2010年6月17日木曜日

1997年「ジョホールバルの喜劇」の記憶


行き成り、醇豆腐ドライ!

次期総経理雪ん子 ありがと。好きだよ!
サッカーW杯が始まったが、
サッカーに興味が無いので、どうでもいいのだが。

1997年にジョホール・バル(JB)で、対イランとのW 杯本戦出場決定戦があった。
あのビッグサプライズの日。
副業関係で、この試合の観戦を企画した人がドタキャンし、
運転手が不足したので、業務命令で急遽運転手として狩り出された。
入場時に取り上げられない様に、
そつなく日本酒をペット・ボトルに入れて持って行った。
総勢8人、車二台に分乗して、JBに。

JBのホテルで一休みして、スタジアムまで道も間違えずに行けた。
何処から湧いて来たのか、日本人が80%位居た。
こんな沢山の日本人を見た事が無い。

サポーターが紙吹雪用に新聞広告を配って、
紙吹雪の作り方と撒き時を日本語で説明している。
「今、撒いてはいけません」って言うのだが、
ローカルは、直ぐ撒いちゃ、喜んでいた。

日本が先取点をあげた。
久し振りの新聞広告を眺めながら、酒の一杯はもう一杯を呼んでいると、
イランにあっさり逆転されていた。そんなもんさで もう一杯。
同点後の延長、日本の勝利!W杯本戦初出場!
興味が無いとは言え、酒の勢いもあり、興奮してしまった。

興奮したサポーターがフェンスを乗り越えて、
ピッチに入ろうとするのをポリが棍棒で叩いていたっけ。
そんな事を尻目に、早く出ないと渋滞になるので、駐車場に向かう。
が、隙間と言う隙間に、バス、車が駐車されていて、出るに出れない。
サポーターがバスに乗るのを待つ事2時間、とっくに次の日になっていた。

深夜2時頃、ホテルに向かうが、誰も道を覚えていない。
2台の車でウロウロする事、小一時間。何処を走っているか分からん!
タクシーを停めて、ホテルまで先導させる最後の手段に出る。
タクシーを追尾して、2台共、無事ホテルに着いた。
のだが、タクシーと交渉していた奴が居ない。
どうも、タクシーを捕まえた場所に 奴を忘れてきたようだ。アララ。
携帯電話で奴に連絡を取ると、別のタクシーでホテルに向かっているとの事。
奴には珍しく、激怒している。こんな良き日に、怒っちゃ 台無しだよ。
で、良かった、良かったと部屋で呑む事にした。

日本が初めてW杯本戦出場を勝ち取った1997年のあの日、
あれやこれやで、総経理はすっかり疲れてしまった。
ビッグサプライズは、偶然と必然を結び合わさなくてはならない。
と 言う事で、少しだけ、副業お仕事頑張って、みるかな、後一週間。

2010年6月14日月曜日

2010.6.11 豊田勇造 in北見

6月11日お昼過ぎ、前日の開催地 常呂の宿へ迎えに行く。
ここ数年の定宿らしく、宿の関係者は無人で、勇造さんが留守番をしていた。

車で北見へ向かい、北見在住のファンの女性に案内されて「六創美術館」へ。
のんびり鑑賞出来たのか、満足そうに馴染みの喫茶店「異邦人」へ移動。


















「異邦人」にて、80年代前半までの主催者 池田晃四郎と。


今年の会場は、初めてのライブハウス 『夕焼けまつり』

セットリストは、掲示板の HIRO.Yさんの投稿からコピペ。
HIRO.Yさん、あんがとね(^^)

第一部
①青函連絡船
②長崎帰り
③振り返るには早すぎる
④住所録
⑤大文字
⑥桜吹雪
⑦勇造ないないづくし

第二部
⑧三人の旅人満月の夜に
⑨メコンリバーブルーズ
⑩再会
⑪追憶
⑫田中一村
⑬チャオプラヤー河に抱かれて
⑭それで十分

アンコール
⑮夢で会いたい
⑯走れアルマジロ



青函連絡船から始まるセットは始めてだった。

長崎帰りとのセットメニューで、会場はしっかりノリノリ。

二部の新曲3曲は、北見では(当然)始めてだったけれど、

きちんと伝わっていた。

しかし、「メコンリバーブルース」が、今回の目玉になったのかも…。

「さらば愛しき大地」のような歯がゆさが、前を向く力を伴って伝わってくる。

打ち上げは、これも定番の「板門店」という焼き肉屋さん。

炭火でホルモンを焼き、ビールをグビグビあおる映像が、きっとKLにも届いたのね(^^)

雪ん子にとっては「オホーツク塩焼きそば」よりも、断然北見のB級グルメだと

信じて疑わない『目丼』(目玉焼き丼~340円也)

翌日。勇造さんはHIRO.Yさんに乗せられて、330kmの彼方へ旅立ったのだ。

と、まあ、こんな感じで如何でしょう?総経理??

それにしても暑い、熱い北見でしたとさ

2010年6月12日土曜日

北の町から電話があった様な気がと呟いてみる

喉の渇きを覚えて、夜中に目覚める。

水を呑みながら、不確かな記憶が甦る。



何か、夢の中で、電話があったような気がする。

ホルモン食べながら、呑んでるよ と。

それは、どこか 遠い北の町からの声。

楽しそうな人達の声。

嬉しい人の声。



夢で会えたのかな。

2010年6月9日水曜日

勇造ライブ 北海道ツアー中

北海道ツアー中の勇造。
6.4 長万部6.5ニセコ、6.6小樽、6.7札幌の前半戦終了。
6.10常呂、6.11北見、6.12苫小牧、6.13帯広の後半戦が始まる。
6.11北見は、次期総経理 雪ん子が寝坊をしながら駆け回っている事だろう。
名古屋、大阪から北海道ツアーに参戦している人達もいる。
もちろん、道内追っかけの方達も参戦中。
盛況の内に、6.6一周年記念小樽のライブも終わった様だ。
勇造チルドレンが再び一同に会し、
6.5高槻、6.6山崎で、「五十嵐政史とソウルブラザーズ20周年ライブ」を敢行した。
持続する志しソウブラが盛り上がった様だ。30周年ライブには、参戦したい。
カンチ、スナフ、キムラの「全ビ同 鼻炎トリオ」。
次回は、ゲバ棒フランスパンと味の素火炎小瓶を導入して欲しい。

総経理も何かせにゃアカンと、勝手に舞い上がって、
さくらさんに無理を言って、高槻のバザーに出品させてもらった。
「勇造、友部、カラワン タイライブ」カセット・テープ全2巻と
勇造サイン入りカセットテープ版「チャオプラヤ河に抱かれて」の二品。
勇造FC栢下会長時代の機関誌「アルマジロ」全4号の表紙と
勇造直筆「ファンクラブに寄せて」のコピーを包装紙用おまけとした。

(写真提供さくらさん)
「タイライブ」は、ソウブラのホッコリ三線山村さんと
同じくソウブラの歌姫ウメちゃんがGet!
ウメちゃんと文通から始めてみた~い!(なんでや!)

(写真提供さくらさん 画像修正総経理)
「チャオプラヤ」は、我が心の友bやんがGet!
遅れて行ってGetとは、肉骨茶の様な奴っちゃ!(何のこっちゃ!)
簡便販売なので、包装紙は、配布品となった様だ。
当日参加できず、包装紙が欲しい方は、コメントしてね。

よかった、よかったと、今日も呑むかな!

次期総経理雪ん子に告ぐ! ついでに渾身の6.11レポを投稿せよ!
レポ投稿完了まで、6.12以降 総経理は投稿せんからね!

2010年6月8日火曜日

肉骨茶(Bak Kut Teh)の素 再び

ホルモン同好会から大厄吉隆坡支部長を拝命すべく、
肉骨茶研究を報告して、実績を積む事にした。
って、問題は 総経理のポン酒一本槍。モルト好きの同好会だから。

前回、日本で入手できる「肉骨茶の素」を調査したので、
地元 馬来西亞での調査第一弾として、
超級市場でイージーに入手できる「肉骨茶の素」を調査した。

ISETANとCold Storageで、
何の苦労もせずに、5種類の「肉骨茶の素」を入手。

左上時計回り A1、Uncle Sun、Yew Chin Haw, Ken、Singlong、Cray Pot(中央)
御小遣帳に合計金額記入後、レシートを捨ててしまったので、
単体詳細価不明だが、Clay Pot印が最安値、Uncle Sun印が最高値。
3 ~ 8RM(100円弱~240円弱)位だった様に記憶している。
いずれも、粉末漢方入り紙パックと各種漢方のセット。
漢方の種類と各漢方の量は、いろいろ。
総経理の好みは、Uncle Sunなのだが、
今回は、Cray Pot印「Klang Bakuteh」を使ってみる事にした。
Klangは、馬来西亞肉骨茶の発祥の地とまことしやかに伝えられている。

豚バラブロックと戻した椎茸、マッシュルームに、
「Klang Bakuteh」の漢方セットを投入。
中華たまり醤油「老抽」と「蠣抽」で味を調えて、3時間程コトコト。

味は、それなりに出来た。

馴染の的士運転手に、リザーバーとして店の肉骨茶を打包してもらう。
って、下処理済みのホルモンが入手出来ないし、
下処理上手くできた事がなく、面倒臭くなっただけなんだな。

って事で、今回はクレーポット肉骨茶風ではなく、
屋台肉骨茶風に、中鉢でサーブ。

6月5日「五十嵐政史とソウルブラザーズ 20周年ライブ」打ち上げでも肉骨茶が

2010年6月6日日曜日

2009年6月6日の記憶その二


豊田勇造「6.6 円山」当日。
遅い朝食後、家族に手を牽かれ円山音楽堂にトボトボ向かう。
奇跡の様に、ピーカンの晴天。しかし、暑い。途中、日本酒を購入。
2L紙パックを手にすると、政所に取り上げられ、900mLを渡される。

円山に着き、政所が用意してくれた 勇造への御土産を受付に預ける。
雪ん子とイネちゃんに合流。舞台に向かって左後方、日陰に納まる。
ロバート・ジョンソンが流れる中、ワイワイお話ししてたら、
何気に勇造が出て来て、さらりと「海の始まり」。
いつもの勇造ライブの様に「6.6円山」が、始まった。

三曲目の勇造ブルーズ辺りで、政所と娘が公約通り観光に出かけたので、
日本酒を呑み始める。

ふと気付くと 御客がいっぱい居る。
こんなにお客が居る勇造ライブは、初めて。勇造の演奏が続く。
終演まで保つ様に、一曲毎に日本酒を口に含む事にする。
三部は、舞台に向かい右前から三番目位に移動して、
ほぼスタンディング状態でラストまで。
酒に酔っちゃいないが、
豊田勇造、Yuzo Band、ここに集う人達、円山音楽堂の空間に酔った。
ラストの「海の始まり」で最後の一口を呑んで、阿吽の呼吸でお酒も終了。
総経理は、なんて 息のあう 正しいファンなんだろう。

終演後、雪ん子達と呑み、「拾得」に雪崩込む。
馬来西亞から来た人って、勇造が紹介してくれて、
「次は100歳100曲100時間」と叫んだ気はするが、
身体に残るライブの酔いと酒の酔いで、その後の記憶が無い。
日々としての2009年6月6日が終わった。
残ったものは、6時間の幸福感と次への希望。

そんな「6.6円山」から一年が過ぎ、そろそろ社会復帰しなければと思いつつ、
2019年7月7日 京都円山音楽堂
「豊田勇造 70歳7時間70曲フリーコンサート」に想いを馳せるのだ。

2010年6月5日土曜日

2009年6月6日の記憶その一

フム、ポーク・ポリッジ(豚粥)
さて、2009年6月6日 勇造ファンが至福に包まれた京都円山音楽堂。
「豊田勇造 60歳6時間60曲フリーコンサート」から1年が経つ。
勇造の唄と同じで、コンサート・タイトルが長いので、
親しみを込めて「6.6 円山」と呼ばれる。

総経理は6月4日の夜行便で馬来西亞を発ち、5日の昼前に京都入りした。
長崎からの北の政所様と東京からの倉庫番の娘とホテルで再会した。
家族のプチ旅行も姑息に兼ねてみたのだ。

数年振りに家族と京都をそぞろ歩いた。雨が降ったり止んだり。
政所からは、「明日 雨でもやるの?アタシらは少しいたら、
他に行くからいいけどさ、まったく酔狂な人達だ事」
なんて言われながら、鮨屋で昼酒した。
晩は、北見の雪ん子と呑む予定であったが、携帯に出ないわ、
予定の時間にはホテルにチェックインしてないわで、
政所からは、「君達は 幾つになってもいい加減なんだから」と怒られながら、
おばんざいで呑んだ。

寝坊して飛行機に乗り遅れた雪ん子と連絡が取れ、
雪ん子が店に合流、ビッグサプライズでイネちゃんも来た。
四半世紀振りに再会、
政所と娘は呑兵衛には付き合えないと先にホテルに帰る。

あんな話、こんな話をしながら、呑み続けた。

記憶の無い頭と酒の残る身体で、朝起床。
もう、6月6日だった。