2022年10月24日月曜日

「スミヤキストQの冒険」を読み直す休息と遍歴或いは巡礼の旅

 

1970年代初め 文庫新刊棚で この本を立ち読みし 購入した。

倉橋由美子の小説を初めて読んだ。

この本を読んだ動機は、幾つかある。

 

当時 ワタシは、コミュニスト、アナーキスト、ナチスト、テロリスト、ピアニスト、ギターリスト、教師スト、国鉄スト、ハンスト、サディスト、マゾヒスト等語尾にスト或いはズムが付くとカッチョイイのだと思考していた。

また、阿Q正傳を読んでいた事、幻想と怪奇(冒険奇譚含む)やシュールレアスティック&スラップスティックSF、思想の科学、明治・大正・昭和の詩人と思想家、アングラ演劇、新実存主義(コリン・ウィルソン)等々 同時並行的に読書対象が飛躍的拡充し始めていた。

音楽的には、当時 好きなミュージッシャンから ルーツ・ミュジックを辿り始め、浅草オペラ(浅草芸人)等 聴く事も拡充し始めた。

つまり、捻くれた子供から紅顔の美少年に脱皮・進化の過程に居たのだ。

 

スト・Q・冒険のキー・ワードがタイトルに含まれ、立ち読みをすると幻想怪奇譚、革命、脱出の要素があって、出会うべくして出会った本なのだ。

 

或る日 スミヤキストQが 閉ざされた空間に上陸する場面から 物語は始まる。

その閉ざされた空間は、反スミヤキズムと或る種の全体主義に或いは社会的諦念に覆われていた。

さて スミヤキズムとは、反スミヤキズムとは何か?

いつ スミヤキズムは炭焼き思想なのよと明かされるのだろうか?

Qは、阿Qの様に 公開処刑となるのだろうか?

そして 阿Q公開処刑を観に来た野次馬と同じ様に、こう嘆かれるのだろうか?

「銃殺刑って 斬首刑や絞首刑に比べあっけなくて、なんの風情もありゃしない 無粋なモンだな」と。

 

2022年10月16日日曜日

How many times to cross the borderline?

 

これまで 6回パスポートを更新してきた。

各パスポートの変遷と出入国スタンプ記録

    1976(5)

1976年と1977年に 臺灣に2度旅しただけだ。

    1989(5)

仕事で 馬来西亜主体で 臺灣とインドネシアがある

    1965(5)

同上+香港、中国

    2000(10年 増補)

馬来西亜に本格的に腰を据えそうなので10年パスポートにしたのだが、日本、シンガポール、インドネシア、臺灣、中国、香港、タイ、ヴェトナム、フィリピン、韓国を目まぐるしく行き来した。

そして、増補をしたが 増補頁(6頁残し)で使い切った。

    2009(10年 増補)

同上だが 出張回数が減り、旅行が増え カンボジア、ミャンマーに行く。

増補はしたが、ワークパミットの更新には有効期限日数が足りず 増補頁ほとんどを残し 更新。

    2019(10)

もう三年も経つのに、あれやこれやで出張無しで日本、タイ、ミャンマー、印度だけだ。

 

各国の出入国スタンプ上の国境(入管審査場所)

日本:成田、関空、中部、福岡、福岡(海路)、那覇、新千歳、羽田

馬来西亜:スバン、KLIA、檳城、パンダ―ベサ~(鉄路)、ツアス(陸路)

タイ:スワンナープ、ドンムアン、メ―サイ(陸路)、パンダ―ベサ~(鉄路)

シンガポール:チャンギ、ツアス(陸路)、ベドック(海路)

インドネシア:スカルノハッタ、バタム(海路)、スラバヤ

フィリッピン:アキノ、クラーク

臺灣:松山、桃園、高雄

中国:香港、北京、広州、福州、寧波、上海浦東、上海虹橋

カンボジア:シュムリアップ

ミャンマー:ヤンゴン、マンダレー、タチレク(陸路)

ヴェトナム:ホー・チ・ミン(新旧)

韓国:ソウル、釜山(海路)

イギリス:ヒースロー

インド:チェンナイ、コーチ、ガーディン

スタンプ上確認できる 越境ポイントなだけで、そのポイント・スタンプを数えるのはめんどくさくなって止めた。

その上、シングル/マルチエントリービザや馬来西亜のワーク・パーミットや滞在延長スタンプも数知れず パスポートの一頁ずつを占拠している。

スタンプは、重なってたり、曲がっていたり、逆さだったり、頁飛ばし、判別不能等極めてシュール芸術的に押されている。

 

で オレは これまでに何回 国境を越えてきたんだい?

左から2000年、2009年、2019年

かくもシュールなスタンプ 2頁に渡るシンガポール・スタンプ! 

なんと 増補最終頁にヴェトナム・スタンプ 

2022年7月2日土曜日

もはや戦後ではないなら 戦後は何処で彷徨っているのか?其の一

 

「もはや戦後ではない」は、オレが生まれる一年程前1956年の経済白書の“記述”。

生誕後34年程、糸魚川に親らしき人達の事情があり潜んでいた。

此処での記憶は 殆ど無い。唯一 あるのは、流行りもん好きの父らしきがテレビを買い、夕方になると近所の人達が 相撲を見に来て、そのまま呑み会になり、阿鼻叫喚、夏場所では 熱中症対応で 麦酒を頭から浴びるヒトばかりなので、皆さん茶髪だった。

そして、埼玉、蕨の郷に一家難民す。父らしき人は、白石に黒彫字の表札を門に掲げられた。

「廣川寓」と彫られていた。御幼少のオレは、父が普段名乗っている“昭夫”は 幼名であり、成人名は 寓だと理解し、そしてオレも“昭彦”と言う幼名が 成人の暁には「寓の大兄の王子」になると理解し、父を「寓の大君」と呼ぶと理論的に論破され、グーと呼ぶなとグーで殴られていた。

 

蕨の郷 日の出処る國で 人口密度第一位を古事記の頃からダントツで保守している 古都。

潜んでいた家は、準表通りから入る、鍵型袋小路にあり、家々が複雑に交差し、味噌・醤油小醸造工場があった。

袋小路と言っても、ご近所さんの庭を抜けると次の筋に出れるのだ。

幼稚園にも保育園にも行っていないので 人口密度一位の郷で 小童などの存在を小学校に行くまでは 知らなかった。

 

あの味噌・醤油工場に潜入して 樽と樽の隙間で 幾つかの芳醇な香りに包まれて 眠りたい。

 

「もはや戦後ではない」ふむふむ なるほど?