2022年5月17日火曜日

いつもアナログ的に手繰り寄せて来た!

 

小学高学年だった1960年代後半から80年代は、アナログな検索時代だった。

音楽は、深夜放送(セイヤング除く)FENで情報を知る。

短波/広域ラジオで 東海や関西を聴き、挙句の果ては朝鮮半島のラジオも聴いた。

そして、買わなくてもレコード屋を徘徊巡り、一枚ずつ持ち上げ、共演者やレーベルクレジットを記憶する。

置いてあるチラシは、必ず持ち帰り、新開店したらしい個人レコード屋に行く。

本も同様で、大手書籍店と神田神保町や馬場、池袋、新宿の古本屋、独立系書店に突入す。

本を立ち読みし、解説や謝辞を立ち読みし、記憶する。

メモを取る習慣が欠落していたのだ。

大手書籍店の文庫棚には、各出版社の月間文庫本目録が紐でぶら下がっていて、隅から隅まで立ち読みした。

緑の窓口で 紐で括られた時刻表を隅から隅まで読んでいた事がある。購入希望書に 紐で括られているボールペンで 記入していく。

乗車駅、降車駅、乗車券、特急券、指定席、グリーン車・・・。

何処にも行くわけでもないのに。

ライブや芝居も 入場前にチラシが配られるので 読み込む。

入手しづらい本や、レコードは、販売元事務所に突撃する。

最初に突撃したのはピンポンダッシュした事がある豊島区の某プロガバンダ系出版社ではなくて、まだ今みたいな街では無かった原宿~表参道~青山、同潤会アパートの近くにあった東京セントラル・アパートにあった関西レーベル・出版の事務所だった。その辺にあるの持って行っていいよと言われた。

 

あれから30年程後1990年代後半、大阪江坂で同じ様に 出版社を襲撃したんだ。

30年前と同じ様に 持って帰りたいのがあったら持って行ってと優しく微笑むヒトが居た。

2022年4月4日月曜日

ビザについて幾つかの出来事を思い出し、オレも考えた

 

細田朋浩著「僕はバックパッカーになりたくて世界一周の旅に出た」アジア編を読了。

他国へ行く旅人の多くは 1.有休を使った短期 2.著者の様に退職し長期他国旅 3. 2と違い長期一カ国滞在(旅人用語 チンボツ)

いずれも 特に2,3の旅人には ビザ問題があるが 個人の旅だ。

オレは フリーな旅ではない仕事の出張で プロジェクト毎に亜細亜各国に短期入国を繰り返す、或いは長期滞在しなければならなかった。

ビザ許可日数で他国に出国し再入国する旅人用語ビザラン、国によっては 1年有効のマルチビザを使う。いずれも観光ビザだ。

1990年代は、まだ亜細亜各国のイミグレ、所属会社コンプライアンス、当人意識が緩かった。

就労ビザやプロジェクトビザ無しで 仕事をしてた。

当時だって 180日ルールがあり、一年間で180日以上滞在していると就労してるかしてないかに関わらず、その国に住民税(?)を払わなければならない。

オレも含めて90年代前半迄は 各社 駐在員以外の長・短期出張者は 観光ビザで滞在してた。

業者間では 呑み屋で出会った時とか、電話や打合せ席上で情報交換があった。

あの人が 180日ルールで出国拒否されたけど お客さんのブミ系ダト-に圧力掛けてもらって難を逃れたとか、此間現場にイミグレが入って出張者が牢屋に居るんだとか。

この頃は 「それは運が悪かったね」が情報の最後の本音だった。

旅人と違って オレタチは 各国で実際に働いて収入を得ているのだった。

90年代後半から 亜細亜各国で 緩さが無くなって行った。

180日ルールで 300万円強の税金を課せられた人や就労税金で揉めるケースも出て来た。

オレも 当時ビザには五月蠅かった印尼入国の際 別室に連行されたが 2時間程の問答の末、袖の下を逃れ、入国出来た事があった。

でもね、業務的ビザランはメリットがあった。それは、特に臺灣。

業務的ビザランで、臺灣出国し 香港や琉球に行く。

一泊して帰る時もあるけど、仕事が集中している時は、トランジットにする。

トランジット時間を6時間以上にし、トランジット入国枠で入国し 昼間ブラブラし 無泊で再入国する。

この頃 拠点の馬来西亜では、就労ビザを取ってもらう事にした。

2000年代になるとコンプライアンスで
御客、自社で長期出張者のルールが厳しくなる。

年間180日以下で管理やプロジェクトビザ申請中のレター携帯とか、人によってはプロジェクトビザが降りない限り 長期出張拒否とか。

そして アレ以来蟄居お申し付け、半径1km生活者のオレの脳内に鳴り響く音はこの曲だ

2022年4月1日金曜日

妄想の一杯は もう一杯を呼び 長い夜は続いて行く~♬

 

ワタシは 大阪のオバチャン建築士から送ってもらった 資料「ニコイチ・あすなろ夢建築」を印刷し、ジックリと研究す。

一頁目から -事業の構成員-とある。さすが大阪 墨筋で組が構成されている。

次に -ニコイチとは- 隣り合う2住戸を繋ぎ 90平米とする。なるほど。

つまり 1住戸は45平米だった事になる。それは 高級ホテルのセミスイートと同じ平米数だ。

次に注目したのが コンクールの点数だ。

何故 グランプリが1点しか貰えないのに、佳作が3点貰えるのか?不平等だ。

グランプリ作品を検証す。対象設計は 22105号室 389.96平米だ。

何故 3階なのに105号室なのだろうか?ワタシの経験では 集合住宅、ホテル等の部屋番号は 先ず階数が一桁、二桁そして部屋番号が一桁、二桁、三桁となる。謎だ。

-主な変更点-先ず 既存排水経路位置が決まっている為便器の向きを変更。

悩む 実施前は共通階段に対して対面に排水周りが集中している。

実施施工図では 便座が180度回転し 排水口とは真逆だ。どう 繋いだんだ既存廃水経路と?

とツッコミながら 考えた。大宮倉庫は 階段室が吹き抜けになっているだけで 隣住居とは完全ミラー構成だ。

隣を占拠し 壁をブチ破れば グランプリと同様であるが148平米にリノーベーションができる。さらに ベランダ間の非常壁もブチ抜けば ベランダで 独りBBQや朝の爽やかな風に吹かれながら朝食と珈琲、命の水を愉しみリッチな朝やハーブ等オーガニック野菜を自家栽培も可能になる。

更に キッチンの排風ダクトを延長しベランダ上部にフードを設置すれば 上階からのケムケムクレームも無いはずだ。

がっ 問題は 大宮倉庫のトイレ位置なのだ。キッチン横にあるので キッチン拡充を図れないのだ。

そして 金は天下の回り物と嘯いて生きてきたが、この歳になると 回るものも回らなくなるのだ。テヘへ。