2006年の10月 副業取引先の海外営業で、バリバリ関西人のおっちゃんが
久し振りに 出張して来たので KLで呑んでいた。
「ここで、ゴルフもやらんと、休みの日 何してはりますの?」とおっちゃん。
「好きな音楽聴きながら、煮込み料理とか、本読んだり、昼酒したり」と総経理。
「どんなん 聞かれますの?」
「フォークとかロックとか、関西系の人等 好っきやねん」関西弁伝染る。
「幼馴染でな、高校の時にフォークに狂ったんがおって、近所で評判やったんや。
何年か前に、タイ米の歌 唄うて テレビ 出よったんやでぇ、
もう ええ歳やのに、まだ あないな事 しとったんや」
(Ummm?)
「おっちゃん 壬生に住んどったん?」
「そやでぇ、どないして わからはったん?」
「幼馴染って 乾物屋の勇造やろ」
「勇造 知ってはりますの?総経理 変な人やわぁ」
おっちゃんと勇造さんのヤンチャな頃の話で盛り上がって いい酒が呑めた。
近所の幼馴染だから 当り前だけど 勇造さんと同じで、
おっちゃんも瓦屋根を走り、悪さをしたら電柱に縛られた。
17年間 KLで、勇造さんの話をしたのは このおっちゃん ただ一人だ。
後日、「二軒隣の夏はカキ氷屋 冬はお好み焼屋のちょっちゃん」が
おっちゃんだと勇造さんにメール確認できた。
(ファンクラブの方は、勇造通信Vol.103参照の事)
世間は ほんとに狭い。
で、6.6円山の数日前に おっちゃんから電話があった。
「総経理 行かはりますの?」
「不景気で 暇だから 行きまっせ」関西弁伝染る。
「ほな わしも行こか。ほな また」
6.6 2時過ぎ おっちゃん登場。
「こんなとこ居ったら 茹蛸と難聴になってしまうよって、もう帰りますわ。」
「おっちゃん 何時来たん?」関西弁伝染る。
「三十分位前や。勇造も元気そうやったしな。で 総経理 夜はどないしますの?
あれやったら、京都のええとこ 連れてきまっせ。」
「友達と呑むんやけど、おっちゃんも一緒する?」
「そんなん お邪魔できまへんわ。ほな ええ話あったら よろしゅうに」
なんや、おっちゃん 営業で来たんかいな。
暑いとこ ご苦労さんなこって。
チャン、チャン。
COD Fish蒸しもの
総経理の関西弁 変でも 関西の方 怒らんでやっ。