2020年7月4日土曜日

知と血と痴について ワシも考えた

京都大学のオンライン公開講義”立ち止まって、考える”を聴講した。
講義を聴講するのは 40年振りだった。
オンラインなので 途中退席あり、酒呑みながらでも、モクモクしても、
食べながらも自由さ 後でも再生できるから 学生やりたい放題。
講義中に抜け出して モクモクしてから 戻って 出席名簿に記入するみたいな
スリルには欠けているのだがね。
初講義は 環境史「災害の環境史」瀬戸口明久 講師だ。
初講なので 過去の疫病、現在の疫病とヒト環境の関わりを説明していた。

あれ これは バカ4年制学校の卒業単位の五分の一位を
ボーナスポイントで  頂けた一年生 教養工程で 最も愛した講義に共通している。
ワシが 徘徊2年を経て 行った4年制学校は 「ワシがペスト菌を発見したのに ノーベル賞を受賞したのは なんもせなんだ 共同研究者じゃ!」との怨念の系譜上に設立された。
まっ バカしか行けない学校さ。
さてと 教養工程に 立川昭二教授の講義(科目)「疫病の歴史」があった。

大講堂で行われる講義、学部の生徒がゴチャマゼの どーでもいい講義。
立川教授は 歴史学者で たまたま 疫病と社会の歴史を研究されていただけで
柴ちゃんの呪いで バカ共の学校で教授になり 聴きもしないバカ相手に講義をされていた。

ワシは この講義には 全て出席し 篭脱けもしなかった。
だって 面白いんだよ 疫病とヒト社会の関係はさ。

あそこに行くと 仕事が あるってさ、分散から集中の社会
分散社会では 屎尿を川に排泄したり、田畑に撒けばよかったのに
集中社会では 心優しい自然にとって 過大な負荷になる。

まっ そんなもんだ。