2022年4月4日月曜日

ビザについて幾つかの出来事を思い出し、オレも考えた

 

細田朋浩著「僕はバックパッカーになりたくて世界一周の旅に出た」アジア編を読了。

他国へ行く旅人の多くは 1.有休を使った短期 2.著者の様に退職し長期他国旅 3. 2と違い長期一カ国滞在(旅人用語 チンボツ)

いずれも 特に2,3の旅人には ビザ問題があるが 個人の旅だ。

オレは フリーな旅ではない仕事の出張で プロジェクト毎に亜細亜各国に短期入国を繰り返す、或いは長期滞在しなければならなかった。

ビザ許可日数で他国に出国し再入国する旅人用語ビザラン、国によっては 1年有効のマルチビザを使う。いずれも観光ビザだ。

1990年代は、まだ亜細亜各国のイミグレ、所属会社コンプライアンス、当人意識が緩かった。

就労ビザやプロジェクトビザ無しで 仕事をしてた。

当時だって 180日ルールがあり、一年間で180日以上滞在していると就労してるかしてないかに関わらず、その国に住民税(?)を払わなければならない。

オレも含めて90年代前半迄は 各社 駐在員以外の長・短期出張者は 観光ビザで滞在してた。

業者間では 呑み屋で出会った時とか、電話や打合せ席上で情報交換があった。

あの人が 180日ルールで出国拒否されたけど お客さんのブミ系ダト-に圧力掛けてもらって難を逃れたとか、此間現場にイミグレが入って出張者が牢屋に居るんだとか。

この頃は 「それは運が悪かったね」が情報の最後の本音だった。

旅人と違って オレタチは 各国で実際に働いて収入を得ているのだった。

90年代後半から 亜細亜各国で 緩さが無くなって行った。

180日ルールで 300万円強の税金を課せられた人や就労税金で揉めるケースも出て来た。

オレも 当時ビザには五月蠅かった印尼入国の際 別室に連行されたが 2時間程の問答の末、袖の下を逃れ、入国出来た事があった。

でもね、業務的ビザランはメリットがあった。それは、特に臺灣。

業務的ビザランで、臺灣出国し 香港や琉球に行く。

一泊して帰る時もあるけど、仕事が集中している時は、トランジットにする。

トランジット時間を6時間以上にし、トランジット入国枠で入国し 昼間ブラブラし 無泊で再入国する。

この頃 拠点の馬来西亜では、就労ビザを取ってもらう事にした。

2000年代になるとコンプライアンスで
御客、自社で長期出張者のルールが厳しくなる。

年間180日以下で管理やプロジェクトビザ申請中のレター携帯とか、人によってはプロジェクトビザが降りない限り 長期出張拒否とか。

そして アレ以来蟄居お申し付け、半径1km生活者のオレの脳内に鳴り響く音はこの曲だ