2019年12月5日木曜日

振り返るには 早過ぎる

2ヵ月位前に 過去の納入した設備のRefarence Listを作って下さいと言われた。
それって な~に?
どんな業種のお客さんにどんな設備を納入して
受注前設計と 何か問題が あってどう対処したかとか
 このリストを参照する事で 受注前設計の時短とリスクを減らしたいんです。
フーン?!

納期はいつ?
11月末でお願いします。
分かったよ。

まさに 御隠居さん 仕事だ。

そして オレは 二カ月間何もしなかった。
そんな リストに従って 受注前設計をしたところで
マニュアルに従って 設計したから ワタシのせいではないって言い訳に
使われるだけなのだ。
一番大事な事は 後ろ髪がさかだったり
首すじが冷たくなることを 記憶できる 知識を持つ事。

オレのやっているゴトをする技術屋は
他人から 言われた事を 信じてはいけないのだ。
同じ製品を作っている お客さんも 入れているハナグスリが 少し違う。
お客さんに 辛抱強く アレ入ってませんか?
これっすか?みたいに聞き出す知識は
時には 図書館に行き 文献を読み漁り 製造工程とハナグスリを知らない限り
できないゴトなのだ。
まっ 今なら ネットでググれるかも知れない。

がっ そんなリストを作ってしまうと 単純に従うのだ マニュアル馬鹿は
技術屋で入社したのに!
自分で 排水を舐めたことも 手で触ったこともないくせに。

そして御隠居さんは 納期を数日過ぎて
まるで 夏休みの宿題を 最終日に一気にやる 小学生の様に ほぼ終わらせた。
もう 学校は始まっているのに~♬

振り返るには 早すぎる~♬





 

2019年11月4日月曜日

印度と馬来西亜でボクタチはガンバッタノダ! ボーナストラック

スクショ・コマワリが面倒でも結構面白かったので
印度国鉄に勝利後のボーナストラックです。

さてと 闘いは我々の勝利で ノーサイドだ!
そんな 後でもボクタチのチャットは続いてく~♬

 脚色なんかしねーよ!
 ド~して キミは 仕事中にチャットしてるんだい?
あの クソ高い イギリスでも タバコを止めない 浪費家だ。
女房、子供は霞をくっていきてるん だなっ!
脳内ポッドで 友川カズキの「生きてるって言ってみろ!」
が鳴りまくる。
 ボクは 在外で 一家離散だから
日本から スリングして 日本のTVを見れないんだよ。
 我慢できない奴!
いい加減に 我慢を覚えなさい。
 ドーピングに引っ掛かるから
プロテインは ダメだよ。
 そしてボクタチは ビデオチャットをした。
一時間もツダと無駄な時間を浪費してしまったのだ!
もう 死ぬまで 何時間も無いと言うのに。
さて ボクは イギリス赴任から 日本に帰る ツダに
馬来西亜に 来いと オファーを出した。
その時は 叶わなかったが 数年後 奴が 赴任してきた。
で また タッグを組んだが 日本に帰れ辞令が出て
奴の送別会で ツダが 皆に言った
「この親爺が 死ぬ前に もうチョットだけ 一緒に 仕事する為に馬来西亜に 来たんだ。」と 涙を流しなら言った。
「成長してねー お前と仕事が出来て 楽しかったよ お前が望めば何時如何なると処でも 死んでヤル!」とボクは 涙を堪えながら 贈る言葉を言った。
そして 男達は それぞれの道を 歩き始めた。
どーだ プロジェクトXに なったぞ ツダ!

2019年11月3日日曜日

印度と馬来西亜で ボクタチはガンバッタノダ! C/D面

さてと 2枚組のC/D面 一挙に行くのだ!

心が折れた 印度舎弟に
三つのオプションを提示したボク。
路上でも 電車の床でも ホテルの通路でも 家のタイル床でも
どこでも いつでも 寝る事ができる そんな僕とは言え
できれば 枕と毛布がある 寝台で寝たいのだ。
Hさんからは あと10寝台しか残ってねーよ
と 圧力を掛けられている。
印度舎弟との あるお仕事のレイアウト作図で
ボクの廃水処理装置は チャンと納まったが
キミの装置は 入らない このユニットは要らないよな?
え~ それないと純水造れないんっす!
いいんじゃないか 純水じゃなくてもさ
だって 入らないんだから 妥協しろよっ!
あっ こことここ 100mmづつ 詰めましょうよ
ボクは通れるけど デブのお前は通れないぞ。
いいじゃないすっか デブ通り抜け禁止って看板たてれば。
あっ 惜しいな 50mm足らんな~。
こことここを 25mmづつ 詰めて下さいよ。
え~ 面倒くさいな~ ボクのACADに5mmなんて半端な数字は打ち込めないんだ。
え~ 自動寸法じゃなくて 手動で寸法うちこみましょうよ~。
不毛な会話をしながら ショーがネーナ ちょっと モクモクしに行くか ?
いいっすね!って 10分毎に ボクタチは モクモクしに 行く。
ほぼ 仕事していないのだ。

そんな印度舎弟が 印度で覚醒した!ハッパでも吸ったのか?













しっかり 現地に馴染め 印度舎弟 お前なら カースト最下等以下で 生きていけるぞ!



口座に 金が無いんじゃないかな~

オ~ やった!やった!ボクタチは印度国鉄を制覇したのだ!

お前さ~ チャンと指示したのか~?
マレーグリッシュでは 通じねーよ
巻き舌 タミールグリッシュを習得しろ!


マッ しょうがないな 。ヤレヤレ。

ここまでくれば 終わったも同然だ。



印度舎弟は 決して 諦めない
タックルで 倒されても 1mmでも亀の様に這いずり回り
前に 前にと 進んで行くのが 得意だ。

一方 ボクは 頑張っている デブの後ろで
次の手は どうするかな~
今晩は 何を食べるかな~ と考えながら
デブ そこは押しこめ!っと。
エールを 送っている。
モー 呑んでるけどね ボクは。
オ~ オ~
よく やった~!
だから ボクは キミが好きなんだ!
ボクが マトモニ 歩けなくても
キミは ボクを背負って歩け!
ボクが 手が震え 命の水が 呑めない時は
口移しで 呑ませてくれ!
ヤダケドなっ。





そろ そろ 印度国鉄とボクタチの
闘いは ボクタチの勝利で 終わろうとしている。
ガッ A型のボクは 最終確認を 印度舎弟に ツッコむ。
ツッコむしか 前に進め無いノダ!
そして ノーサイド。
ア~ とっても 愉しい 半日だった。









































 

2019年11月2日土曜日

印度と馬来西亜で ボクタチはガンバッタノダ! B面

馬来西亜と印度には 2時間半の時差がある。
ボクが印度舎弟にチャットしたのは 11時 印度は8時半だった。
因みに 日本は12時 も~ 呑んでもいい時間だ。
印度の深い 深い 闇を徘徊する
LINEとWhatsAppチャット劇場が静かに始まる!
こんな感じでさ。
印度舎弟が ローカル・スタッフとの
メールにボクをCCに入れたので
状況が理解できるのだ。
これは ボクタチが よくやる
ヤバイとこだけ 関係者にNotice手法 
ボク 悪くないケンねって。
でっ 理解しました 孫請け
 何もしていないのだとの事を。
印度舎弟は 他人に優しい奴だ。
この辺りから 印度舎弟とボクの
ダブル・タックル、
ノー・ルック・パス、
オフ・ロード・パス
印度国鉄との 激しい戦いが始まったのだ。

行くぞ 行くぞ
いつもたった二人のチームだ、
ボクは62歳 ジット ジット
スクラムの尻から 覗き込みながら
何かが出て来るのを待つ のが好きさ!
印度舎弟は 倒されても 1mmでも 進む奴さ。
40代後半 行くのは お前だ・・・!

ボクが お前に発注したのに
なぜ ボクがみなきゃならんのだ!
そして ボクタチは 勤務中なのだ。
仕事しろっ ツダ!
ガッ 仕方が無いのだ いつも ボクラは
受けた仕事は パーペキにコナス最強タッグ!
ナルホド フムフム
そう来たかっ 印度国鉄!















とても 理工系男子のチャットとは
思えないが それでいいのだ!
とりあえず なんか押してみて
反応を確認する 正しい事だ。
そして・・・


























印度舎弟が 引いたのを
初めて見た。
ボクが命の水を呑んでいるのに
印度舎弟は 心が折れた様だ。
下戸だから 儚い ラガーマンだ。

そして ボクは 印度舎弟に
オプションを提示した。
何時 如何なる場所でも
戦ってやる 馬鹿野郎!とで ボクタチの
印度鉄道との
闘いは続いて行く~!






























2019年11月1日金曜日

印度と馬来西亜で ボクタチはガンバッタノダ! A面

アレはいつやったろうか?「南インドに行こう」とHさんに誘われた。
ボクは 子犬の様に首を振りながら 「行く 行くかんねっ!」と。

「 印度国鉄サイトで 寝台特急を予約しようとしたが
何度やっても出来ない 一日中 印度国鉄に振り回されたよ。
キミの印度舎弟にやってもらえないかな~?」
と 一昨々日 Hさんからチャットが来た。
瞬足で 印度舎弟に 電話した。
「喜んで~」と印度舎弟が 元気よく答えた。
光の速さで必要情報をビュ~ンと飛ばした。

翌日 ローカルスタッフからの 確認事項について 印度舎弟とヤリトリし 
予約を確定する様に ローカルスタッフにやって頂けと。
スクショの画面には 指定した寝台特急と寝台等級に座席有りとあった。
もう 終わったも同然と ボクタチは 思った。
そう 印度舎弟とボクは 馬来西亜、台湾で
幾つもの工番をタッグでこなした。
受注し スコシだけ細かい工程表を作り 完璧だ! 
この工番は終わったも同然だとハイタッチしてきた。
まだ 何も始まっていないと言うのに・・・。
がっ 印度は そんなに甘く無かった事に 
気づくのに 多少の時間が掛かったのだ。

それから 二日経ち Hさんから チャットが来た。
「チケットの予約は どうなっているかな?」と。
ボクは 音速で 印度舎弟に確認のチャット。
そして ボクタチは 印度の底知れぬ深みにハマって行くのだった。
 それは 次の回で このブログ史上 初めてのスマフォ・スクショ・コマワリでね。
お楽しみは これからだ!



2019年10月27日日曜日

血を越えて 愛し合えたら in 馬来西亜

さてと ボクと北條クンは 下北沢や吉祥寺の店に 飛び込み
とある ポスターを張ってもらう旅をしていた。
北条クンは 電工のバイトをしていたので
狭い階段の両壁に足を踏ん張り スルスルと上がり
天上にポスターを 貼ってた。
なぜなら そのポスターを店の人に見せると
目立たない処なら 宜しいです っと言われ続けたカラネ。
それは 誰かさんの毛穴も見えるドアップ
「血を越えて愛し合えたらツァー 」のポスターだった。
もう 40数年前の幸せな記憶。

そして 成り行きで
ボクは 東南アジアの果てに居て
この数年 お向かいに住んでいる 印度人の「光りの大典」
オープンハウスに 御呼ばれされている。
誰が行ってもいいし 知らない者同士が

同じテーブルで 御馳走を食べるんだよ。
民族も 歳も 宗教も 主義も違う その日の友達として
「光の大典」で 話して ホンの少しだけ 分かり合うんだ。

そして 7歳と5歳の華人の子供が ボクヲ指さして叫ぶ
「Wow Kitty!」

 それは リアルな ホンノ少しの
血を越えて愛しあえる瞬間なのだ。
そう やって このアジアの片隅に潜んでいる。








2019年10月15日火曜日

さてと 革命は 失ったさるまたからはじまるのだ!

1973年だかのFacesの解散コンサートを見ながら
高校生の頃の事を思い出した。
オレとヨコタ君は 宮原駅から高崎線に乗る。
いつも 同じ車両の同じドアから。
熊谷から乗り込んでいた オシダ君が 真ん中にある棒の処にいる。
よ~ よ~と言いながら オレタチは 赤羽で赤羽線に乗り換え 池袋へ。
そして 少し歩き 東上線に乗り換え 上板橋で降りる。

示し合わせたわけでは 無い。
この列車が ギリで高校の門が閉じられる前に 辿り着ける。
高崎線が遅延すると オレタチは 赤羽線を板橋駅で降り 東上線下板橋に走る。
が 上板商店街 中本ラーメン店傍の お惣菜屋さんで 白米に 好みの天婦羅を
乗せてもらう 持ち帰り朝食を買う事は 外さない。

さて その通学途中 その頃 出始めのKISSやQUEENが好きだった
オシダ君が なんで ロッド・スチュワートとFacesが受けるのかと?
オレは 即答で ロッドのケツがヒップなのだと。
あんなヒップなケツは スージークアトロなんて 遙かに超えてる と。

オシダ君は文系だったので 一緒に帰る事は無かった。
オレはと言えば ヨコタ君と三茶の趙君と
池袋 西口のシケタ 地下の喫茶店で
どうでもいいような ナポリタンを食べ チョットだけモクモクして
次のライブで 何をやるかを 話す。
趙君が 聞く ヒロカワ なんかいい唄があるか?
あ~ オレがやりたいのは こないだ 池袋シアターグリーン・ホーボーズコンサート
で聴いた 林亭の「さるまたの唄」だな。
そして オレタチ三人は オレが違法録音したテープでコピーした。
ヨコタ君は買ったばかりのバンジョーが弾きたかった。
それも ソフトな可愛げな長髪とベルボトム ロンドンブーツで。
趙君は リーゼントなのに ベルボトム オランダポッコリ靴さ。
そして オレはと言えば ほぼ ほぼ浮浪者の恰好で
「さるまたの唄」をやった。
そんな 遠い記憶。
https://www.youtube.com/watch?v=c91m11VDl-8

2019年10月8日火曜日

この6ヵ月を振り返ると そこには解放の兆しがあったのだ

さてと ワタシは4月の誕生日前に ポンコツになった。
車を運転したら 全てが二重に見えていた。
車から這い出ると 真っ直ぐ立てなく 歩けなかった。
予兆は 去年からあったのだ。
ほぼ総入れ歯が合わなくなったので 食べ物が噛めなくなり
米の麺ばかり 具は噛めへん 鵜呑みか食べない。
元々 食は細かったんだ。
一日の何度か 1秒位 意識が遠くなる。
まっ なんくるないさ~ と思っていたんだ。

今年に入って 朝起きても 脱力感と無力感で 行動できない。
そして ポンコツになった。
栄養失調だった。

退院後 4月 5月と仕事を休んだ。
かくも長き不在でも 仕事は問題なく進んで行く。
そうしたもんだ ヤレヤレ。
新しい完全総入れ歯を生成に行く。
その間は 噛まんベールチーズと市販の野菜ジュースで過ごした。
だって 噛めへんからね。

6月末に 仮入れ歯が届いた。
この時点では ペットボトルのキャップも開けられず
食生活の改善で買ったハンド・ブレンダーも保持できなかった。

そして 7.6 YUZO Live in 京都へ行った。
まだ しゃがめないし 真っ直ぐ 曲がって歩けない。
皆と泊まった 一棟貸しの中庭 ドンと二人で廊下に座り呑んでいた。
寝ようねっと 庭の石に足を降ろし 廊下に上がろうとするが
そのまま 尻からストンと落ちた。

ヒバリちゃんと勇造に連れっててもらった 店で
もしかしたら ワタシは食べることが出来るのかも知れないと思った。

8月頭にヒバリちゃんと勇造がKLのワタシのコンドに来たが
まだ 両腕の肘から手先は痺れ 両足は膝の上下から 足先まで痺れていた。
がっ 一つの光明が見えて来た。
三人で 食事をしていると 食べられる。
使えずに放っていた ブレンダーでヒバリちゃんが
果物のジュースを作ってくれた。あっ これはいいな。

8月末 音も達とタイ、ビルマに旅をした。
歩くし 皆と食べてると食べれるのだ。
よし よし。

旅から戻り 永久歯も生成したので
ゆっくりと リハビリを始めた。
まず 歩く コンドを朝 三、四周する。
昼食は 噛めるので 食べる。
今まで 買い物に行っていたKLCCでは 極私的ジムとし
各階を一筆書きで歩いて最上階に行く。

朝は ヒバリちゃんに教えてもらった 果物のジュース(スムージー)を
ブレンダーで作り 食べる。
野菜も噛めるようになって

かなり身体がカイゼンされている。

そして ワタシは昨日 ある事を発見の会!
急速に歩行数が減っているのが会社にいる時なのだ。
ワタシは 一時間に一回  ワタシの執務室に行き 沈思黙考するのだが
ワタシの現在の嗜好ブツは 火持ちが良いので 終了するまで 2~3分かかる。
お~そうだ 歩き○○コをすれば 2,3百歩だと。

そして 執務室で 歩き〇〇コをして セコク歩数を増やしているのだ。
ヤレヤレ。




2019年10月4日金曜日

ワシも こんな国で 環境について考えた

ISO14000番と言う 企業が環境に優しい?活動を持続する
行動を認証するシステムがある。

そこでは EMSと言う環境マネージメントを社内で設置し
社員に徹底する為のトレーニング毎年 行う必要がある。

オレはこのトレニーングを この数年拒否している。

なぜか?
オレがこの十数年 彼らの行動を伺っていた。

で CO2が 肉がとか お持ち帰り包むスチロールはとかと
まっ それはそれでいいのだ 正論だからさ。
がっ オレは言いたいのだよ。

EMSのおかげ 健康を配慮し 弁当に切り替えた社員が多くなった。
なんせ 弁当箱は 会社支給だから。
が プラスチックの弁当箱だ。
で 弁当箱の残渣を シンクで流す。
Uトラップは詰まり 排水できない。
あのね 残渣は 紙で拭ってから キミの弁当箱を洗うんだよ。
 オレは 珈琲を淹れに行って 呆然と眺めるんだ。
シンクの中に山積みされている 個人使用のカップを
どうして あのカップの中身を洗い流さないのか?
誰かが食べた残渣がシンクに滞在されておるのか?

そして 毎朝 シンクの残渣にウンザリしているのに
使い捨てプラ箱のナシレマを食べてる人達が居る。

で この数年 毎週月曜日にNo Meat Dayって事で
無料の昼食を展開している。

それは それで いいのだが オレは参加しない。
なんでも 水に流して お終い
自分ん家のゴミは 外に掃き出してOK
とある 有機食材店で レジバッグをエコバッグに入れている人達を見たんだ!
それは 社員だったよ~。

もう少しだけ 自分達がやっている仕事を考えて欲しい
そして 今日も 廃水処理に居た奴が 純水造水に鞍替えした。

お願いだから 狂信的な自分の主義を 人に押し付けないでくださいね。





2019年9月14日土曜日

ボクと オバちゃんの雲呑麺と

ボクが このエリアに棲み始めたのは1992年だった。
華人のエリアでチョット歩いて行くと
ショップロットがあり
幾つかの コピティアムがあった。

そこの角のコピティアムが 
お気に入りで 週に何度も食べに行っていたんだ。
コピティアムに共生している いくつもかの屋台
店主の入れ替わりが数年ごとにおきるのだが
なぜか 左三軒だけが 相も変わらず 同じ屋台なのだ。
夫婦(多分)でやっている炒裸条屋 以前はバナナ・リーフに乗せていたが
最近は ラップに乗ってやってくる。
母さんと息子の猪丸麺屋。
そして 我が愛しの雲呑麺屋だ。

オバちゃんとオジちゃんが やっているのだが
オジちゃんは 青ネギを刻むだけで ほぼ何もしない
オバちゃんが麺を茹で特製のタレと和え 持ってくる。
オジちゃんは 新聞を読んでるだけだ。
ボクは夫婦かな と思っていたのだが
問うてみると 兄妹だった。

別に 特別に美味しい雲呑麺では無い
ボクは 麺と水餃を 生で打包する事が多かった。
オバちゃんが問う
タレはどうする?チリはどうする?
没要と答え 家で 好みの雲呑麺に仕上げ 食べた。

が ここの鶏モミジと冬菇の煮たのだけは
再現できなかった。
で モミジ煮物がある時は 店で食べる。
〆に モミジ煮込みの乳化した 汁を
雲呑麺に掛けて 食べるのが至福の時だ。

オバちゃんが 言う
「しばらく来なかったから 日本に帰っちゃんだと思ってたよ。」
「病気して 歩けなかったんだ」
「もう ダイジョウブかな 食べに来たんだから」
そして オバちゃんは いつもの様に いつもの14RMを徴収して行った。



2019年9月4日水曜日

タイ~ミャンマー ポンコツツァー 最終日


空が白み始め 今日の移動の為に パッキングをした。
デッキでモクモクしていると
隣のロッジのキヨコさんも出て来て モクモクし始めた。
問わず語りに キヨコさんが話す。
大雨で 避難しなければならなくなるかもと
けい子ちゃんと二人 真っ暗闇の中 荷造りをして
いつでも脱出可能な服装で 起きっぱなしだったそうな。
トタン屋根なので真夜中の雨は 大雨に聞こえただけなのだが。




朝食後 市場に皆と行き、乾燥納豆4種類、納豆味噌、調理用お茶を購入。
ホテルに戻り シャワーを浴びて ホテルで昼食を。
ヘーホー空港で もう少し残るヒバリちゃん、勇造とお別れ。
ヤンゴンに飛び バンコク行きに乗るのだ。
2年前と打って変わって奇麗になった国際線。ショップも多くなっていた。
皆と搭乗ゲートまで行き、自由行動とした。

モクモク可のラウンジに入りマッタリしていたのだが
何気に 搭乗券を見て アレ これはおかしいぞと気づいた。
搭乗券に 記載される時間は Boarding Timeなのだが
Departure Timeと書かれ 出発予定時刻が記載されていた。
皆には この時間までには この搭乗ゲートに戻っていてねと伝えていた。
未だ時間もあるしと すこーしだけ 慌ててラウンジを出た。
何気に 出発案内のスクリーンを見ると 搭乗ゲートが変更になっていた。
搭乗ゲートが変わる事があるので スクリーンで確認してねとは言った。
オレは激しく動揺しながら 
新搭乗ゲートの手前にある元の搭乗ゲートに急いだ。
すると 皆は椅子に座り お喋りしているのであった。
が 直ちゃんと千晴ちゃんが 居ない。二人は?と尋ねると トイレだと。
かなり安心し 搭乗ゲートが変わった事を話して 移動を開始した。
恐るべし ヤンゴン空港 小さな空港で良かった。

DMKで 日本行きに乗り継ぐ皆を Transferのチェックポイントまで送り
また今度ねと爽やかな笑顔で言って皆と別れた。
今年もまた 空港ホテルに泊まり
アルコール販売停止時間10分前にSang Somを購入。

チビチビ ガガガッと呑み 夜深い闇に呑まれ眠った。
そして また 独りになった そんな夜だった。

2019年9月3日火曜日

タイ~ミャンマー ポンコツツァー 5日目


ポンコツなオレだけど 6時前に起床。
ケッコウ歩き お腹が空く そして音も達と食事をしているので
体調は かなりいい。復調の兆しを 肉体の奥から感じる。

そして 前回泊まったRemember Innを表敬訪問し 船着き場まで歩き
市場を徘徊した。

朝食後 再び インレー湖ボートトリップだ。
今日は Phaung Dawで五日市がある。パゴダも観ないで 五日市直行。


ウ~ン ウ~ン 前回のAungpanの五日市と比べると猥雑感が無く残念。
蓮織物工房に行き お買い物。
オレの興味は この店がインレー湖で初めて
染色排水処理装置を導入した事だ。
が コンテナボックスに鍵が掛かっていて 装置を見る事が出来なかった。
残念。


Inle Heritageで昼食を。 



シャン・ヌードルを食してから
併設されている 保護されているビルマ猫達を見学 
インレー湖の魚水族館を見学。職業訓練所みたいな学校もある。

ニャウンシュエに戻り 一休み そしてThanakna Gardenで夕食を。

白ワインを呑む。
店に着いてから ケッコウ雨が降り始めた。
と キヨコさんが突然 先にホテルに戻ると帰って行った。
なんか心配そうな 素振りで 片山さんが 
ボクもと合羽を着て帰って行った。

小振りになってから ホテルに戻り 夜に抱かれる様に 眠った。
数時間後 叩きつける様な雨音と尿意で起きた。
が 停電している。壁伝いにトイレに行き 部屋に戻ってベッドに横たわると
片山さんがペンライトで 荷物に向かっていた。
とその時 何かを持って 片山さんが外に出て行ったのだ。
暫くして 彼は戻ってきて 呟いた。
「ダメだっ 暗すぎて撮れん」
オレは知っていた このホテルに着いてから ロッジの戸口で
三脚に防水カメラを据えて アングルを探っていた事と
スコールの写真を撮りたいと言っていた事を。


店から 帰ったのは 防水カメラをホテルに置いてきたからだった。
そして この機会を逸すると スコールを撮れなくなると思ったのだが
戻ると 小振りになってしまったので シャッター・チャンスを逃したのだ。

停電も復旧し 少し眠った もう直ぐ夜明けだよ。
暗闇の中で 片山さんと話して過ごす。