2009年12月31日木曜日

大晦日になっちまった

今年は、25年振り位に正業業務が忙しくって、副業業務はサボリ。
こないだ、「それにしても、総経理は 勇造さん一色なのね」って、
総務経理イネちゃんに言われちゃった。
そう 今年2009年は、その一言に尽きる。

副業もあり、3月まで6.6円山に行くかどうかは、闇の中だった。
勇造掲示板 名古屋の高木さんの書き込みで、6.6円山参戦 ケッテ―!
次期総経理雪ん子も「行くよ!」って。イネちゃんもBig Surprise参戦。
で、6.6円山音楽堂!
日本全国、世界各国から1800人!こんなに沢山の勇造Freak見た事が無い!

掲示板の人達のブログやHPを覗く為に、Dial UpからWiMAXに変更。
書き込すると、掲示板の人達は、まるで昔からの友の様にノリがいい。
「ちゃんと固形のお米も食べなきゃ ダメ!」とイネちゃんに注意されたので、
夕食の証拠写真撮り、メール配信も始めた。
次期総経理雪ん子が、あ無公の「勇造ライブ客席ジャック」素案を上申してきた。

っで、こんなもんを始めてしまった。

何度かの副業業務日本出張計画が頓挫、変更で、勇造Live降臨をジェフした。
そんな年の瀬に、遂に勇造Live降臨を完遂。
副業業務以外の友と沢山出会い、いっぱい話し、
一杯呑めたのは、17年間の馬来西亞暮らしで初めてだった。

雪ん子の業務努力で、あ無公住所録も埋まり始めた。
いくつかの古文書も発掘し、不確かな記憶の穴を埋めている。
勇造の唄、勇造と勇造を聴く人達の現在とあの時について考えている。

まっ こんな年もいいもんか。

さて、来年(2010年)桜吹雪の頃の吉日、
あ無公の「勇造ライブ客席ジャック」決行と宣言しておく!
良い子は、精進潔斎の上 参戦せよ!
命の出汁                 年越し蕎麦

唄が出来、唄う迄に必要な時間とは

豊田勇造F.C.は1975年7月に発足し、あやふやな時期があるが、
1987年から土田さんが第2次F.C.会長となり、今年で34年目となるはず?
今回発掘してきた古文書の中にこんな物があった。
豊田勇造F.C.機関紙「アルマジロ」
第1次F.C.会長栢下さんの頃、会員に配布されていた機関紙だ。
会長の文中に、「二千円もの大金はたいて会員」とある。
機関誌創刊号は、1976年1月1日発行(定価250円)、
同年5月20日に2号(以降定価300円)、1977年6月1日に3号、
1978年6月24日に4号が出ている。5号の配布は不明。
87年5月の「勇造通信」Vol.3  も発掘。

4号に勇造寄稿文「今、うたうこと」があった。

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そう、2007年CD「夢で会いたい」の3曲目「はだしの歌うたい」だ。
年間4~10回位聞きに行っていた76年から91年までのライブで、
怪しい記憶ではあるのだが、この歌を聞いた事が無い。

勇造Freak のSet List宝庫「さくらWeb文庫」で確認すると、
最古の記録は、2002年5月12日in 南風楽天
「裸足の唄うたい」(ママ)となっている。
今までに 一度も聞いていない唄もある事だから、
まぁ、2002年以前に出来たのだろう。

もし、98年頃に唄い始めたのだとしたら、
寄稿文から20年経っている事になる。

この寄稿文が、どの時点で唄になったのか?
唄になるまで、勇造はこの寄稿文を何度読み返したのか?

30年の時を超えて、結びつく文と唄。

78年から30年以上経ったインドで、
はだしの歌うたいは 今も 唄っているのだろうか?


刺身とトロロブツ

さて、あと一日 良い子は明日も夜更かしかな。