2020年1月19日日曜日

もう 作業着を着て 仕事に行かないのだ!

新しい仕事時間にも慣れて
作業着を着て出社するのも やめた。

いつ何時でも 何処でも 勝負してやる!
なんて 準備している必要は ないのだ。

50歳の誕生日の朝 目覚めると オレはド金髪になってた。
所謂 怒髪天か?

作業着で出社しなくなって 2週間経つが
あの時と同じように 誰も聞いてこない
「どうしたんですか?」とか
「いいっすね それ」とか

新しい勤務時間で 出社2週間が経ち
毎週月曜日9時からのセクション朝会に出る必要が無くなった。
がっ 今週から 朝会は11時にしたと言う。
いいんだぜ そんな事しなくてさ
オレは チョットした暇つぶしに 出社してるだけなのだから。



2020年1月9日木曜日

歩く行為について ワシも考えた!

昨年4月 栄養失調(脚気)でポンコツ君になったオレだった。
なんとか 真っ直ぐ歩ける自信の萌芽が出たのは 7月の京都の旅だった。
が  ダラダラ ヨボヨボ歩いているだけだった。
階段の昇り降り 特に降りるのが 怖くて 手摺に摑まる(しがみつく)しかなかった。

8月のタイ、ビルマの旅では 高い段差を昇り降り出来た事に
オレながら 感動したし 歩行数も増えた。

この辺りから オレは歩行数を増やす事を目標にした。
そして 右肩上がりで 歩行数が上昇した。
昨年11月には ついに一日2万歩以上を達成した!
がっ 翌日 摺り足でしか歩けなくなったのだ。
再び 歩行数とオレのメンタリティとフィジカルは 地に墜ち
朝 半覚醒の時 悪魔が耳元で 呟く
「今日も 仕事に行けないな 休んだら?」って。

そして 年末 日本潜入を試みた。
KIXで 到着階から エスカレーターで 上がる時
キャリーバッグが 後ろに倒れ そのまま オレは仰向けになった。
立ち上がる努力はしたが 立ち上がれず 仰向けで  エスカレーターで搬送された。

と或る日 居候先のベランダで モクモクしながら 寒いので足踏みをしていた。
「廣川クンな~ 足踏みする時は こんな風にしたら ええで~」っと
つま先立ち足踏みを 披露してくれたのだ。

この瞬間 オレは理解した。
オレは ポンコツになってから ベタ足で歩いていた事を。
人は 概ね 踵から着地し つま先で蹴りだして歩く。
傭兵は 足の踵外側から着地し 足の平をつけづ 
小指まで 動かし 小指から親指につけ 前進する。
足の着信音を消すために。

意識しながら 歩く。
例えば 体内の液体を 右足から お腹を経由し左足に移動させる。
踵から着地し つま先で蹴りだす。
階段の昇り降りは つま先から とか。
そして 無理をしない 5分歩いたら ベンチに座り 休む。
お家に帰ったら 膝にサポーターを付け メンテする。

歩く行為を 62歳にして 考察し理解したのだ!














2020年1月4日土曜日

さてと 今年は 何しようかな?

年末 日本侵入 弾丸ツァーで
軒下を借りている会社に 数年振りに 寄った。
オレは 扶養人数2名を1名に変更する事を伝えた。

軒下を貸してくれてる会社からは 二つ 伝えたい事があると言われた。
一つは マイナンバーを持っていないオレが なんか証明しなきゃならん事で
太田裕美ちゃんに よく分からんが テキトーに書いといてと伝える。

もう一つは 現社長(大学で初めて喋った金歯小僧)がインフルエンザで
倒れている(お前 オレに会いたくないのだろ?)O島が 
前社長F井さんに託した 嘱託依属契約書にサインする事だ。
オレはF井さんと口約束でテキトーに軒下を借りたが
O島は キチンとしたかったようだ。
でっ サインした。

20年振り位に 給与明細書を貰う オレは給与明細を働き始めて
30何年も真面目に確認した事が無い。
そこには 所定就労日22日 基本給〇円 健康保険料とか厚生年金とか雇用保険料とか
記載があった。なるほど フムフム。

そして 太田裕美ちゃんが 毎年渡せなかったですけどと
ヤドガリのオレに 2020年の手帳をくれた。
その手帳の頁下には
くだらない 標語みたいな言葉が記載されている。
例えば「生き残ると言う事は、戦う事である。」
「プロとは結果で勝負する人である。」とか
「反対方向に神経を集中せよ。真の攻防とは、
常にに反対方向に神経を集中していなければならない。」
とか とかと Ummm。

そして オレは 40年強位前に 教育テレビで見た
ある男のドキュメンタリーのタイトルを発見した。
「継続は力なり」
その男は 今も歌い続け オレは 今も聴き続けている。

で 少しだけ感謝する 受け取りもしない 使いもしない手帳に
何年もオレの名前を印字してくれた O島とF井さんに。

使おうかな 手帳 今年は