2021年11月5日金曜日

「茨木のり子の献立帖」を読み 自分の記憶に浸る

 

詩人が残した膨大な日記、手書きレシピ―・スクラップ、等々を元に 詩人の料理を再現した本。

先ず のっけから痺れた。1958年に建てられた御自宅、台所とダイニングは壁で仕切られ 食器棚があるのだが ちょうどいい塩梅の高さに引き戸があり 料理やグラスや皿が遣り取り出来る様になっている。

 

オレが一歳の頃だ。確か 5歳頃まで住んでいた フォッサマグナ起点地の家は、台所は土間で、ダイニングなんて無かった記憶がある。

自宅のオープンキッチン化なんて つい30年位な様な気がする。

それも 狭い空間を あたかもトレンドな建築設計的に。

まっ 土間と居間の位置関係はオープンキッチンと言えなくも無いのだが。

 

オレの一家は 父の転勤で 京浜東北線に乗れば 10分位で荒川を越え 東京に越境できる街に引っ越した。

 

詩人が残した料理のレシピ―、何処其処で食べたとの記述を読むと  

オレのその頃の食の記憶が揺すぶられた。

詩人が食べた料理、作った料理が オレの食体験と不思議に重なっているのだ。同時代体験かも?知れない。

 

パエリア、ビーフストロガノフ、中華粽、リゾット、ブイヤベース、ジンギスカン、ザワークラウト,肉骨茶等々。

そして 料理屋で食べた 味を再現す と。

詩人の日記には 度々「暮らしの手帖」の記述がある。

 

ここで ナルホドと膝をポ~ンと打つ。

オレンチは 家族が所有する本は オープンだった。

そこには 文春や週刊新潮や 瀬戸内晴美等々。

「暮らしの手帖」と「友の会 料理本」もあった。

更に 父が海外出張すると アレが コレが旨かったと自慢し、

自分が食べたいだけで 買って来たローストダックを食べた。

半年の予定で行き 2年弱帰って来なかった キューバ料理は 講釈を足れなかったが。

そして ドーモ そんな料理が食べられそうな 料理屋に行き 食べる。父の講釈を拝聴しながら。

 

オレの幼い食の記憶では 祖父が道内から 内地に越境し、オレだけを連れまわした 蕎麦屋、鰻屋、天麩羅や、寿司屋、おでん屋なのだ。