84年は、冬に あるまじろ無限公司内ユニットで「ブレークダウン」を1日やった。
井の頭公園の花見で、故S司さんと誰だったかが池で泳ぎ、警察に補導された。
総経理は泳げないので、池にザブッと浸かっただけで補導されなかった。
そして、打ち合わせをして、呑んで、進んで行く。
この年 勇造さんは カセットブック「センシミーナ」を国立マーススタジオで録音、
あるまじろ無限公司も「賑やかし」で参加、ライナーノートに名前がクレジットされる。
S木さんと「東海道線各停最終の大垣止まり、京都遠征の旅」も敢行した。
が、新宿「韃靼」で呑み、中央線で寝てしまい、待ち合わせの電車に乗れず、
次の日 始発の新幹線で京都に行った総経理の事は、また別の話。
資料がないが、記憶では
9月たぶん18日(火)から23日(日) 19時開演 主催 あるまじろ無限公司
初日と楽日が豊田勇造ソロ。
ゲストは、中山ラビ、フラメンコ舞踏家(お名前を失念)、白竜、友部正人(順不同)
チケット代は 値上げしたか、1日券を作ったとか 通しのシステム変更をしたかな?
”追記(09,11,8) Tタさんから情報が
9月19日(水) 友部正人 豊田勇造
9月20日(木) 白竜 豊田勇造
9月21日(金) 豊田勇造
9月22日(土) 中山ラビ 豊田勇造
9月23日(日) 田中美穂 豊田勇造
9月24日(祭) 豊田勇造
※3日券と1日券があって、それぞれ緑と紫で色分けしていました。”
勇造さんが「センシミーナ」全8曲を毎日 セットリストに入れると言うので、
6日間全部来る人には、ちょっとねって事で、
3年間で初めて セットリストについて、素面で30秒程 議論した。
「センシミーナ」から 何曲か入れるって事に落ち着いた様な気がする。
いつもの様に、受付で呑み、ギャラを渡し、毎晩打ち上げ。
第三回目の「豊田勇造 6日間コンサート」が終わった。
その年、総経理は無計画にも所帯を持ち、85年2月に出産予定だった。
この3年間、呑み代と6日間コンサートに 清く正しく年収を使っていた。
呑み代と6日間コンサートを天秤に掛けて、意地汚く呑み代を選択した。
次期総経理雪ん子は、大学卒業で北見に帰る事に。"追記 09,11,8, 雪ん子は、84年春に帰道"
そして、呑みながら、総経理は、
あるまじろ無限公司を遊眠する事にした。