2011年3月4日金曜日

日本からの便り

本日の副業業務も終り、余計な電話やメールが来る前に
PCを閉じて、帰ってしまおうとしていたら、
Kanchi兄の「どひゃひゃ通信 第3号」が届いた。

ソウブラ五十嵐正史さんが「どひゃひゃ」が届いたと書かれたのは、
3月1日だったので、4日遅れで馬来西亞に到着した事になる。
速い様な 遅い様な。

山崎の師匠豪邸で、さくら大姐、カンチ兄と3人で呑んだ時、
もとい、3人で大姐の豪華手料理を食べながら
カンチ兄と2人 豪華ポン酒を酌み交わしたあの時。

あの時のピリ辛唐揚げを再現してみた?

カンチ兄は、喋り口がマッタリとしていたが、決して無言ではなかったっけ。

総経理は、かつては「余計な事を喋り過ぎる」と
北の政所から よく怒られていた。
最近は、思う様に日本語が出てこなくなったのと
歯が抜けているので、ユックリ喋らないと明確な発音にならないので、
喋り方が遅くなり、言葉数が減っている。

でも 相変わらず余計な事を発言したりしてるけどね。

送られてきた封筒の裏書きには、
「やっと ギルドが出来上がりそうだ」と書かれていた。
Dr.Kの病院に入院したのは、2009年の年末。
1年以上の長期入院だったが、なんとか全快出来そうみたい。
とっても Happyだ!