2010年6月6日日曜日

2009年6月6日の記憶その二


豊田勇造「6.6 円山」当日。
遅い朝食後、家族に手を牽かれ円山音楽堂にトボトボ向かう。
奇跡の様に、ピーカンの晴天。しかし、暑い。途中、日本酒を購入。
2L紙パックを手にすると、政所に取り上げられ、900mLを渡される。

円山に着き、政所が用意してくれた 勇造への御土産を受付に預ける。
雪ん子とイネちゃんに合流。舞台に向かって左後方、日陰に納まる。
ロバート・ジョンソンが流れる中、ワイワイお話ししてたら、
何気に勇造が出て来て、さらりと「海の始まり」。
いつもの勇造ライブの様に「6.6円山」が、始まった。

三曲目の勇造ブルーズ辺りで、政所と娘が公約通り観光に出かけたので、
日本酒を呑み始める。

ふと気付くと 御客がいっぱい居る。
こんなにお客が居る勇造ライブは、初めて。勇造の演奏が続く。
終演まで保つ様に、一曲毎に日本酒を口に含む事にする。
三部は、舞台に向かい右前から三番目位に移動して、
ほぼスタンディング状態でラストまで。
酒に酔っちゃいないが、
豊田勇造、Yuzo Band、ここに集う人達、円山音楽堂の空間に酔った。
ラストの「海の始まり」で最後の一口を呑んで、阿吽の呼吸でお酒も終了。
総経理は、なんて 息のあう 正しいファンなんだろう。

終演後、雪ん子達と呑み、「拾得」に雪崩込む。
馬来西亞から来た人って、勇造が紹介してくれて、
「次は100歳100曲100時間」と叫んだ気はするが、
身体に残るライブの酔いと酒の酔いで、その後の記憶が無い。
日々としての2009年6月6日が終わった。
残ったものは、6時間の幸福感と次への希望。

そんな「6.6円山」から一年が過ぎ、そろそろ社会復帰しなければと思いつつ、
2019年7月7日 京都円山音楽堂
「豊田勇造 70歳7時間70曲フリーコンサート」に想いを馳せるのだ。