2017年12月21日木曜日

忘却は力為らずや

チョットした淫夢で目覚めた。
20数年来の電気舎弟と同衾している悪夢だった。
そうだ 昨夜はこの舎弟の赴任歓迎会で呑んだのだ。

20年近く前の日本出張 東陽町で舎弟や兄さん達と呑んで
西船の電気舎弟のお家に泊まった事があった。
電気舎弟は 連れ合いにホームレスのオジサンを拾ってきたと告げ
俺は 御礼ですと その日に仕入れたCDを次々に掛けて
出された酒を呑み続けた。

翌朝7時過ぎに目覚め 一階に降り 
電気舎弟の連れ合いに 御礼を言い 風呂を借り
珈琲と自家製パンを頂き 幼稚園児の娘と話していた。
では 御暇しますと言うと 電気舎弟を起こしてくると
えっ 出勤日なのに 彼奴はなんでまだ 寝ているのか?

ボ~っと出て来た電気舎弟 今日 俺は休みますと。
もう帰るんですか?ユックリシテいってください。
で 数時間前の繰り返しで 電気舎弟と呑み始めた。

昨夜は飲み会の後 電気舎弟の単身住居に行き
なんか 画像を撮られ 
かつ 舎弟連れ合いとビデオ通話をさせられた様な気がする。


こんな電気舎弟が大好きなのだ!








2017年12月17日日曜日

Here is my area!

ボ~っとしてたら この街に25年も住んで居た。
今や 鄙びた地域だ。

天空の公寓から 地上に降り
ポトポトと歩き 御飯を買いに行った。

















何処に行けば いいのか?

2017年12月12日火曜日

Eat Food on the Road in Morning Dark Streat

まだ東海岸まで 高速道路ができていない頃
9時、10時の打ち合わせに行くのには
吉隆坡から 50kmも離れていない処から
ひたすら 一般道を走ったもんだ。

朝4時、5時に 俺の家に集合して
最速で走る俺の運転で出発する。

ゲンティンの峠を下ると 
街道沿いの小さな街があり
6時前の真っ暗な 道路脇には
雲呑麺屋があり シュンシュンと湯気が立っていた。
駐車場というより ただの野原に
椅子が出ている。
で 俺たちは 雲呑麺を食べた。

かつての 肉骨茶では 炭火七輪の上で 薬缶がシュンシュンしていた。
カジャンの丘の上 現場に入る手前の廟の中に
肉骨茶があり 朝も明けない中 廟の灯明の中で食べた。

東海岸に走ると 華人文化圏から
ドンドン離れていく。
というか 道路沿いで 食事をとれる街なんて
皆無なのだ その頃はね。

100km位走り 河を越えると
たった一軒か 二軒の掘立小屋を大きくした食べ物屋があって
漢字とバハサの看板がある。
それが広東なのか 福建なのか 料理の種族は分からないが
不思議に美味しい 中華だった。

東海岸の街から 夜帰る時に
イボンヌが 此処には美味しい醤油が売ってるいるから寄って行こうと。
饅頭を食べ 醤油を買って帰る。甘くて旨い中華醤油だった。




2017年12月11日月曜日

ワタシは何処にも行けず 歩く事もままならない

さて 三連休のワタシは
初日にルーチンワークに行き いつもより百歩程多く歩いた。
二日目は 家に引き籠った。
椅子と15歩程離れた冷蔵庫との往復で 一日を過ごした。

さて 今日は これではダメな人になると思ったのと
公寓内の枝切り チェーンソーの爆音から避難したかったのと



車にガソリンを入れる必要があり ワタシのガソリンを購入する為に
歩いて7分圏内に 車で行く事にした。

今日は小っさなKLを囲む セランゴール州サルタンの誕生日祝日だ。
ワタシの家は KL市内なので フツーの月曜日だ。
このエリアでは フツーの商業活動が営まれている。

お家から出て 右折し 数百メートル
極端に青信号が極短いバカ交差点前は 渋滞。
青と赤を5回程 繰り返し ようやっと 横断する。
車にガソリンを食わせる。

再び バカ交差点 黄色と赤の狭間で 強引に右折。
次に左折した瞬間に 大渋滞さ
スーパーとショップロットに入る車が 雪隠詰め。
待つ事 5分 ワタシのガソリン購入を断念し
他人のお家の前に 車の鼻面をツッコミ Uターン
チョット 走った別ルートで お家に撤退。
ワタシはマグロ 回遊しなけりゃ 死んでしまう。

何の事も無いのだ たかが 往復1キロメートル
歩いたって 大した事ない。

ワタシは 車にガソリンを食わせただけ(約3分)
約1時間を掛けて 家に帰り
再び 15歩往復の健康的な生活に戻った。

人生は長く そして短い。
 





2017年12月5日火曜日

永久運動を眺め続ける

白山羊さんから 手紙が着いた。
黒山羊さんたら 読まずに食べた。

仕方が無いので お返事書いた。
さっきの御用事 な~に?

そんなメールを 幾つも眺める。
分析結果は こうでした。

あっ そうですか。

どうしたらいいのですか?っと?

お返事にも成っていない。

う~ん う~ん う~ん。

もう少しだけ 考えようよ。
何故だろう 何故かしら。

調べたり 考えた先に 何かあるのだから。

幼稚園児の方が マシだ。

2017年11月30日木曜日

Done Somebody Wrong to Me

未だ 飛べない客人を待つ間 本棚の整理。
これは あそこで あれは ここで。
 
脳内図書館カードで分別さ
 
本を拭きながら あれ これは それと
読んでしまう。
 
嗚呼 もうアカン!
本の整理にゃ 時間が掛かる。
 
文庫本の山から 発掘された
こんなん 出てきた日にゃ
作業の手は止まり
酒の一杯は もう一杯を呼び~♪
 
40年以上前の 渋谷ジャンジャン楽屋で
お二人の話にビクターの犬化していた時やら
あれやこれや 反芻し始めてしまう。
 
ゲストルームの本の整理は 終わったも同然だし
もうやめよう こんなことは
 
 
振り返るには早すぎる。

2017年11月27日月曜日

噛むか 噛めないかは 自由だ!

昼飯を食べに いつもの中華屋へ
他の二人が頼んだ 牛肉炒飯withエッグに
俺も便乗する。

直ぐに ツッコミが入る
牛肉噛めるんですか?

ああ 薄くて 小さければね
その為に 俺はこんなん 持ち歩いている。
と 調理バサミを見せる。

これで ホラ チョキチョキすれば
ね~ 食べれます。
お見事 パチパチ!

時々 気に食わない奴の指を
グルっと回せるし
お腹だって刺す事が出来るよ。

さて クリフトン年代記の最終章
その男は 3本しかない歯の口で と記述がある。

勝った!
もう2本しかないぜ!

まだ 食べる事の欲望があるうちに
愛でも食べようか。
 

2017年11月17日金曜日

僕はLCCでこんなふうに旅をする 下川裕治著

大好きな過酷旅ライター 下川さんの最新刊を読了。

俺は 1989年位から 仕事で東南アジアに出張し始めた。
出張とは 仕事なので 個人休暇旅行ではない。
が 短期でも 長期でも 仕事の隙間、隙間で 街を歩く。

その頃は ネットなんてあってないようなものだから
アジアの街の情報は 本を読むしかない。
その頃の 俺の アジア三大ライターは、
森枝卓司、蔵前仁一、下川裕治だった。

で LCCだけど
アジアでは 俺の居るマレーシアの エアーアジアがほぼ発祥だ。

かつて 俺の国では 国内線は マレーシア航空が独占していた。
出張で打ち合わせに行き 早く終わっても
何にも無い 地方空港で 何時間も待つしかなかった。
それも 屋根掛けだけの 外で。
欠航になった時には 300km位をタクシーで帰った時もあった。

エアーアジアに 初めて乗ったのは 2005,6年頃のコタバルだ。
打ち合わせが早く終わってしまい。
居所が無いので とりあえず空港へ。
帰りの飛行機まで 4時間さ。
フライト画面を見ると 1時間後にエアーアジアがあった。
エアーアジアで吉隆坡に帰ろう。
駄目もとで チケットカウンターに行くと
数十RMだったので 即購入。
チェックインカウンターで渡された搭乗券は まるでレジ・レシート。
その上 座席番号も記載されていない。
全席自由席の噂は本当なのだった。

出張なので 総務に飛行機の予約を頼む
が 国内線、ほぼ国内線のシンガポールでは
帰りに エアーアジアの便があれば チケットを捨て
とっとと帰る事にした。
座席が狭かろうが 機内サービスが有料だろうが
たかが 一時間のフライトだ。
0.4RMをコインスロットルに入れれば
シートベルトだって 使えるのだ。

がっ LCCってホントに安いのだろうか?
以前 仕事ではなく ペナンから KLの便を予約した。
正確に言うと 友人に購入してもらった。
友人が言う 貴方 荷物以下の人だったんだねと。
なんと 座席料よりも 預け荷物料が数倍するのだ。
俺は 荷物より安いのかと 夜の河原に頭を打ち付けた。






2017年11月10日金曜日

早く寝て 早く起きる事

もともと 寝付きが良く 短時間睡眠でも
予定の時間には 目覚まし無しで起きる事が出来ていた。

最近は いつの間にか寝ている
そして 午前2時~4時に目覚める。
こんな 時間から 行くとこなんかありゃしない。

眠れなくても 横たわって お腹の上で 手を組んで
目をつぶっていれば 休めていたのは 数年前以上の事。

最近は 頭が冴えわたっているので
いろんなことが 頭の中で グルグル グルグル。

今年になって ある打ち合わせで
じゃ To Do Listを作って下さいと言われた。
何それ?知らない言葉。
話の流れから 誰が何を いつまでにやるかって事だ。

ウ~ン そんな事をリスト化 文章化しなきゃ ならないのね。

お前は 何時までに これを上げろ
俺は 何時迄に これをあげるからって
さっき話したのに。

頭の中に それが記憶されているから
意識的にやらない以外は 
何とかするのだよ
が 基本だった。

で 横になり 目を閉じて
頭ン中で To Do Listの項目を 潰している。

 

2017年10月30日月曜日

何かを失う事には 慣れている

これまでの人生 いろんな者や 物を失ってきた。
もう 慣れっこさ そんな事
失うから 得る事があるのだから。

今朝 目覚め 歯茎を磨いていたら
ポトリと何かが 口の中で落ちた。

あっ これは5,500RMだ。
ワタシは また5,500RMを落とし 失った。

残るのは もう一本の5,500RMと
無料と言えば無料だが
何十年も一緒に生きて来た 金に換えられぬ一本だ。

どっちが 最後まで残るのかな?

で 夕食は 昨夜仕込んだ 豆腐牛で 牛丼。
歯茎で噛める優しさよ 今夜 俺を飛ばせてくれ~! 
 

2017年10月15日日曜日

柚木麻子著 「3時のアッコちゃん」双葉文庫

或る日曜日の朝 
Blind Sweet Tanとのセッションを終えたが
予定していたトイレットペーパーとキッチンタオルの
買い出しは止めて 本を読む。
BGMは Lowell Georgeが生きている頃のLittle Featだ。
2時間弱で 読了。

前作「ランチのアッコちゃん」同様に
4話の短編のうち キーパーソンのアッコちゃんが
アッコちゃんとして登場するのは 2話のみ。
2話には アッコちゃんの店の名前が会話や
アッコちゃんらしき人の姿が行き交う街に垣間見えるだけ。
それも 神戸と梅田の話なんだ

で 今回は、3話目「シュシュと猪」がウレシイ。
本社転勤で 東京から神戸岡本に引っ越してきた塔子が
住人のお土地柄と猪ベティにウンザリしつつ 
ホンの少しだけ 馴染んでいく 他愛の無い話。

神戸で生まれ 岡本の女子大に通い 
卒業しても岡本でシュシュの店を開き
サークルの先輩後輩とも仲が良い3人娘の一人が言う。
「神戸女子のネットワーク、すごいでしょう?
大抵の人と、どっかでつながってるんよ」
でも 理解不能な事に
サークルの先輩って男子なのだが。

で 猪がフツーに 生活の中に存在する街。

この十年位 若い女性作家の小説をよく読む。
チョット軽妙で ホンの少しのハードな現実に
小さな幸福の種子が埋め込まれたような小説。

ナルホド。
少しだけ 分かった様な気がする
この作家達は 少女の頃に
くらもちふさこ、紬木たくや大島弓子等々を
読んで育った世代なんだろうなと。














2017年10月8日日曜日

何もない日曜日には

洗ったシーツで 風を集めてみる。


 
 
靴を磨いてみると なぜか左の踵が歪んでいたりする。
 


昨夜の冷や飯に 残り物の掻き揚げ汁をまぶし
ナカオチを乗せ 餃子で夕食。


そんな いつもの なにも特別なことが無い
独りの日曜日だ。

2017年10月6日金曜日

Old Love Song

今夜は 40年近く前に亡くなった 同い年の従兄弟 恵介に出会った。
センチのFBにあった古い写真。

奴は 中学卒業後 高田から状況し
中野にある叔母のアパートに住んで 高校に行っていた。

俺は 時々 奴の所に泊まり
他愛も無い話をし ギターを一緒に弾いて 酒を呑んだ。

いつも酔っぱらって 話していたのは
奴は「いつか センチのローディーになるんだ!」
俺は「いつか 勇造のライブをやるんだ!」
馬鹿な 野望だ。

そして 奴は 大学卒業前に 築地のガンセンターに入院し
俺は 毎晩付き添い 奴の首に 埋め込まれたチャッキから
痰を吸い取っていた。

亡くなった時 従妹の聖子が
欲しいレコードを持ってって。
俺はセンチのレコードを持ってかなかった。
それは 恵介のものだから。

奴は 大型免許を取る前に 亡くなったから
センチのローディーにはなれなかったけど
今も センチは歌ってるよ
お前の作ったOld Love Songを。





2017年10月2日月曜日

Don't Throw Your Gabage

さて この数年 勤務先で エコやら 菜食やら
弁当持参者が増え 会社に掛け合って 弁当箱までゲットしている。

いや いいんだ 君達が健康志向でいる事はね。
曰く お弁当は環境にやさしい?
曰く 肉食はCO2を増加させる?

フムフム。

そして 燃えるもの 燃えないもの リサイクルできるもの
分別しましょうって。

でもね 僕はそんな 君達に言いたいのだよ。
貴方達が 自作お弁当をを食べた
パントリーのシンク。
お弁当箱を洗う 良いね。

が 根本的に 環境に優しくないのは
残ったご飯粒やら 野菜やら
油やら シンクの上に残っている。

あのね これをそのまま 流せば Uトラップ 排水管が詰まる
その上 下水処理場への負荷が超増大する。

できれば 弁当箱を洗う前に
残りかすをぬぐい取り 燃えるゴミに入れてね。

で できれば シンクで洗った後
濡れまくりの辺りを 拭いてください。

そして 自分のコップは 自分で洗ってください。
朝 ミロが入ったマンマのコップがシンクにあるのは
気が滅入る。

2017年9月28日木曜日

富士見ロマン文庫を想う

1970年代後半に 創刊され 20年位続いた 文庫シリーズ。
古今の欧米の性愛小説を 月に2,3冊出版していた。

カバーは 黒 そこに 金子国義の作品が装丁されていた。
小説の挿画も 金子国義だ!

金子国義の作品集は 当時 俺には高価だったので
富士見ロマン文庫を購入し続けた。

50冊位を越えた 或る日 俺は
カバーを切り 黒の羅紗紙に
均等に四隅の切込みを入れ
カバーを挿していった。

そして ベッドが押し付けられている
壁に 貼っていった。

毎月 増えていく 壁紙さ。

六畳の部屋で 金子国義の絵が増殖する。

そんな部屋で 倖せに眠った。



2017年9月27日水曜日

パッチギ!LOVE&PEACE を再び観る

俺が大好きな男 サクマに刺激されて
DVDを引きづり出して観てしまった。

井筒監督の「パッチギ!」の続編だ。

この二つの映画は 年代 地域設定が
1968年京都と1974年東京だ。

俺の小学生後半 独りで電車を乗り継いで
中野の進学教室に行っていた時と
上板橋の高校に通っていた時だ。

池袋から山手線に乗り お菓子工場を過ぎた辺り
線路沿いには チョット広がった地べたで 
何かがばら撒かれ そこから何かを拾う仕事をする人達が居た。

高校に通うには 赤羽線に乗る。
十条駅と東十条駅は 歩ける距離だ。
まだ乱暴者が居て 赤羽線はパッチギそのものが日常だった。

高校一年 自己紹介で
中学までは日本姓でしたが 
ここからは 朝鮮姓の趙ヨンチュンだと
長身リーゼントの奴が言った。

なぜか気が合って 俺達は
一緒にバンドをしたり
働いてからも 子供ができてからも
家族ぐるみで お互いの家を行き来した。

奴は 薬剤師を辞め 親爺の仕事をし始めたのが
地上げとバブルの頃だ。
でも 俺達は 渋谷のガード下やら 新宿ションベン横丁で
呑んでた。

バブルがはじけて
奴とは連絡がつかない
三茶の家に行ってみたが もぬけの殻だった。

ヨンチュン 呑もうぜ 弾こうぜ 歌おうぜ!
一緒にやった さるまたの歌をさ。






2017年9月8日金曜日

亜細亜の子供旅団 最后の彷徨

朝だ 目覚めろと ヤンゴンが言った。
で 三人分隊維 西側の路地を徘徊す。

東の路地よりか 落ち着いた路地が続く。
そこでは 人の生活が 苔生した建物の内外で
営まれている。

朝の煮豆売りが 路地にやってくると
建物の上階で 洗濯物を干していた 女が呼び止める。


吊り下げられたクリップに 煮豆を挟み
スルスルと買い手に

そして 買い手は お代を投げ
売り手が拾う
幾つかの路地を抜け 僕達はモヒンガを食べた。

旅団はその後 シャン料理屋で昼食後
シェンダンバゴタに タクシー2台で 分乗し向かう。
合流点 西入口のエスカレーター ポイントには 別分隊が居ない。
待つ事 十分 それで十分 生きていれば それで十分♫
中に入れば その内 回廊で会えるだろう。

ブラブラと寺院を歩き 少しマッタリしていると
向こうから ブラブラ歩いてきた分団が見えた。
二人の胸には 誇らしげに"E"が!
我が分隊は"W"だ。
まっ 仕方無いのだ 
この分隊長は 40年以上も前から 叫んでおられる
「それが 東か西か北か南かは知らん~」と!
そうですね あの山が見えれば北 この海や川が見えれば南
ランドマークがなけりゃ 分かりませんね。
方位磁石 移植してやろか!
そして この分隊長がエスカレータとエレベータが
違う移送機械である事を認識していないのだと僕は 知った。

が あれ これはおかしいぞ 4人分隊なのに二人しかおらん?
分隊長に訊く 他の二人はと?
二手に分かれ 右回り 左回りで
貴君達の捜索にあてた 効率的やろ?っと。
嗚呼 分隊長 その作戦は 二次遭難を招くのだよ。

座して 待つ事 数十分 
二人分隊が ようやっとやって来た。
「いろいろ拝んでたら 迷っちゃって~」

僕は 本当に 心配したのだよ
貴女達が 何処かの路地で 攫われて
明日の朝には 何処かで 売られている事を!
まっ 持ってけ泥棒 十両付けるから お願い持って行ってっと。

さ そんなこんなで 亜細亜の子供旅団は 散開さ
また いつか どこかで ヘロヘロ 歩き
路上で 御飯を食べ 路地裏に入り込もうね!

再見!





2017年9月7日木曜日

亜細亜の子供旅団 河を渡る

朝だ

旅団二人分隊は お粥を求めてヤンゴン中華街を徘徊す。

骨付き豚肉、油条の広東粥
地べたにへばり付く 卓と椅子

お粥屋のおねーさん
 
吸い込まれる階段 

苔生す壁と路地裏
 
そこそこにぶら下がる クリップ物件
 
野営地に戻り 旅団長から今日の指令を受ける。
土産物屋~シャン麺・餃子 そして自由行動。
が 旅団長が言う 「キミが乗りたいと言うので 昼食後は
昨日渡れなかった河をフェリーで渡るのだよ」
ワタシは気が遠くなる。
 
で フェリーに乗り対岸へ
人々はフェリーを降りて行く
 

が 旅団はそのまま居座り 元のフェリー乗り場に戻った。
フェリー周遊の小旅行であった。
 
自由行動なので 大人の4人分隊は
野営地横のシャングリラで ハイ・ティーを決め込む事に。
が ハイ・ティーは週末だけだと 
仕方が無いので ミャンマー・ビール。
 
旅団はビルマ料理で夕食、野営地に戻り
今日の反省会 白ワイン14,000++チャットを飲み干す。
 
そうして 亜細亜の子供旅団 ヤンゴン最後の夜が 
静かに更けていくのだ。
 
 
 
 
 

2017年9月6日水曜日

亜細亜の子供旅団 忘却の夜

人外魔境市場を無事脱出し 駅に行き
環状線残り半周に乗車す。

この路線は 日本の路面電車なみ
否 路面電車よりも 電車と生活空間、自然空間が接近している。
窓から ほんの少し出ている肘を 木の枝が打つ。
水棲畑で腰まで浸かった人が 収穫し
その横に この人達の家があり
家のゴミは 投げ捨てられ 腐敗し 水棲植物の栄養源に。
って 事もあるが 少し危険な循環環境だ。

チョット離れた 乾いた場所には 大きな家
線路沿いの湿地帯には 人の住むバラック小屋があり
月台は 憩いの場であり 小商いの場だ。

ヤンゴンの車窓から

 
旅団は次の作戦を断念する。
ヤンゴン川をフェリーで渡り 対岸の村の探索。
繰り返すが 1㎜も泳げないワタシには ラッキーの一言だ。
 
さて 西の空に陽が落ちて 旅団は 夕ご飯だ。
昼間の疲れからか この辺から忘却のひと時。
フェリー乗り場近くのシャン料理屋で食べ(??)
フェリー乗り場を視察 エッ 視察?


 
途中 コジャレな 店に寄り
 
 
野営地で 白ワイン14,000++チャットを飲み干し寝た。
が 真夜中三時に目覚め 路上に出ると
動き続けているのか
動き始めたのか 人の生活があった。

ATMマシーン なんかドラマを流してる
ドラマに魅入ったら お金下ろさん!と
ワタシは とりあえず 全編を観た。
 
鉄格子の奥で 起きて仕事する人が居る
 
後数時間で 二人組分団は 徘徊の上
お粥を食べるのだ。
 
 

2017年9月5日火曜日

亜細亜の子供旅団 人外魔境市場を彷徨す

東南アジアの国々では 鉄道市場がある。
線路上 月台上に 売り子1m以内に商品が並ぶ。


で 隣には 本格的Wet Marketへの 暗い 暗い 通路が
旅団に手招きをしている。

地べたの上に簀の子が置かれ 
簀の子の上に野菜やら 果物やらが並ぶ
通路上は ターフやバカデカ・パラソルで雨露を凌いでいるが
隙間から 容赦なく 雨水が 旅団に降り注ぐ。
人二人がすれ違うぐらいの通路
土嚢が両側に置かれ 売り子側への浸水を防いでいる。
が 土嚢と土嚢の間には 深くて暗い河があり 泥濘が続く。
旅団の進軍稜線は 一列にならざるを得ず
かつ 横から 品物を運ぶ人 買い物の人
ただブラブラする人が 割り込み 
旅団は 分断されていく。
さらに 旅団は薄暗い 人外魔境に突入する。

人外魔境の先 ポッカリと空間が拡がった場所辺りに
素敵な飯屋があり 旅団は昼食をとる事にする。
私は 皆から少し 離れ 雨に少し濡れながら 大気汚染。
と Yさんが にじり寄ってきた。
Tさんがおらんのや~ 俺と 廣川クンで 捜索に行くで!
私は Yさんを信じて 人生の三分の二 40年憑依してきたので
もちろん ガッテン承知の助 私にまかせろ。
が 店近くの通路で Yさんが言う
俺は 真っ直ぐ 駅に向かう 廣川クンは 右にと。
え~ 君 君が行く方向は ほぼ真っ直ぐで 
足元がしっかりし 雨露も凌げるじゃないか。
一方 私の方は 暗闇 足元グシャグシャ 雨露が滴り落ちる
ブレード・ランナー或いは地獄の黙示録ワールドではないか!
40年前の出会いから 私が大きく間違っていたのではないかと
心の中に 悔恨の萌芽が芽生えた。

闇を彷徨う事 一時間 Tさんは居ない。
で 飯屋に戻る。深追いは 禁物だ。
雨に濡れ 泥濘に足を取られ。

そして私は 見た!
幸せそうに 御飯を食べ談笑する 私以外の旅団員全てを。

取り返しようの無い40年間を 思いながら 御飯を食べた。
何事もなかった様に。
が 悔恨の萌芽は ほんの一寸 芽を吹き始めた。

フムフム