2009年11月2日月曜日

「豊田勇造 6日間コンサート」の記憶 初日

82年春 給料が入り始めた総経理は、
総経理のアパートだったか、勇造さんの家だったかで。
勇造さんに「ギャラを払うから、ぼく一人にうたってくれないかなぁ?」と話した。
それが、何がどう転がったのか、上京してきた 次期総経理雪ん子が加わり、
コンサートを主催する事に。
雪ん子が上京当日、迷子になった事や、
悪魔の様に囁いた勇造さんからGuild D40を 総経理が月賦で買ったのは、
また別の話。

勇造さんから 協力してもらえそうな人達の「住所録」を渡された。
「豊田勇造を肴に 遊びませんか?」と言った趣旨を、
総経理秘蔵の「プリントゴッコ B5判」で往復はがきに刷って、送った。
S木M由美さん、TタS苗さん、K本さん、I原さん、T中S明さん、T中S子さん
そして以前から知っていたkumaさん、T吉良くん達が参加の返信をくれた。
別働隊に、M美やE藤の総経理演劇部関係、
美術に大学関係のうずら社中えーしん。
結構な所帯になった。

最初に皆で集まったのが、どこだか覚えていなけど、たぶん「新宿 石の屋」。
二人以上集まったら打合せと思っていたので、大体 呑みながらだった。
いつも打ち上げ状態だったのは、総経理だけかもしれないけれど。
打合せ場所は、故庄司さんの「新宿 韃靼」、下北「眠亭」、「桃屋」、「陣太鼓」他
呑める所なら夫々のアパートでも。
偶に「談話室滝沢」、下北「いーは・とーぼ」だったが、
終われば、呑みに行っていた。

なんか分からない内に、連続6日間のコンサートをやる事になっていた。
総経理が、酔っぱらっている内に 大言壮語しちゃったのね、たぶん。

このコンサートの基本的な同意内容は、
① ゲスト&豊田勇造4日、勇造ソロ 2日
② 3日間有効の通し券を発行
③ スタッフの知恵、体力、時間、交通・飲食費は、自腹。
   もれなく6日間ライブが堪能できる! 
④ コンサートの全費用は、総経理が捻出
   但し、当日のお酒の売上は費用補填に
なんて!シンプルなのだろう!
シンプルに、Roti Chanai 風 サンドイッチですね。