2010年6月29日火曜日

怒涛のK都 修学旅行    with 豊田勇造 拾得 2days 二夜目 その一

朝10時に起きると昨夜の記憶が飛んでいた。
とりあえず、昨日買っていた「進々堂」の調理パンを食べながら、
「6.6円山ライブ」を見る。
が、行動予定の時間が迫ってきたので、エンドロールまで2倍速。

ラフィング・ハープ敬明さんの「カフェ時々」に行った。


敬明さんが携帯を眺めながら、店の入り口に居る。
エスプレッソを呑みながら、


片山明さんの「小さな町の小さなライブハウスから」を読む。
この本を著者と呑みながら 入手してくれたbに感謝!


リハに出掛けた敬明さんが忘れ物を取りに戻って来ると、
オマケで勇造が一緒に居た。偶然か、必然か?

そこから、新京極へ。

昨日閉まっていたお店で、鉄中華鍋27inch,フライパンを購入。
浅川マキのDVDを大人買いしながら、フラフラ。

立ち呑み屋「たつみ」へ。

日本酒常温ひや2本と鯨のベーコンで、占めて拾得へ。

あっ その前に、立ち食いそば屋で天そば!
関東人には、立ち食いそば屋の 汁としてパンチが足りない。

長くなるから、また明日。

2010年6月28日月曜日

怒涛のK都 修学旅行                with 豊田勇造 拾得 2 days 一夜目

機中で一睡もできず、NGOに着き、一路K都を目指す。
1時間強で、K都に着く。
N古屋から30分。
なるほど、ムラセさんが軽いフットワークで勇造ライブに参戦出来るわけだ。


アーリーチェックインで、宿の部屋で独り 黙々とChili Padiの小分け作業を行う。
チリの香りで、眩暈がした。


宿に迎えに来てくれたbやんの先導で、トボトボと昼呑みに行く。
4条で、お春ちゃんと合流、トボトボと地下道を歩く。

京極スタンドで呑む。

しばらくすると、昼酒しに来たカンチ&さくら小姐が店に入って来た。
偶然を必然とし、5人で呑む。


さくら小姐運転の密室小部屋の車で、無理矢理「拾得」ってとこに拉致られた。
さくら小姐は、飲酒してませんでした。



そこでは、勇造バンドがライブをやっていた。
もー サイコーって事で、酒を呑む。

村元さんから予約していた「6.6円山らいぶDVD」を受け取る。
ムラセさん、けいこはんに再会。


酔払いの大盤振る舞いで、チリをお客さんに無理矢理配る。


迷惑な事この上なし。で、また呑む。


どっと 眠気が襲ってきたので、宿に帰り 爆睡した。

2010年6月24日木曜日

私は決して 悪い人間じゃない!

6月26日(土)午後3時過ぎ K都某所で
「肉骨茶の素」頒布会を開催します。

肉骨茶同好会と肉骨茶普及委員会の共催だね。

ま~ 大体揃った!

立ち呑み同好会とも共闘!

さらに チリ愛好会の御要望に応えて、一握りのチリを・・・!

って、華人の御友達に頼んだら、
明日ねって言ったのに もー 買って来て、
「あ~ゆ~ ベリーベリーハッピー ソー メニー チリ」
腐るほどのチリ!

それに 赤!って言ったのに、やっぱり緑!

よかったね ヒバリさん!

総経理 素手で触りたくな~いよ!

総経理が、北の政所から、何か叱られている時、
心でつぶやく、唄があった!

俺は決して 悪い人間じゃない~
ただ かんがえ~が あっ っま い だけ♪

2010年6月23日水曜日

注文殺到

自家製雲呑麺ドライ


なぜか 「肉骨茶の素」や「大根チップ」や「刻みチリ」やらを
沢山注文されて 困惑している。
総経理 副業お仕事で日本に行くだけで、「拾得」に行くわけじゃないのに。
困ったもんだ!

でも、まあ、ホテルから宅急便で送ればよいので、
副業を小一時間サボって、仕入れに駆けまわっていた。

そんなこんな していたら、
ビレッジプレス村元さんから、「DVD豊田勇造 円山音楽堂ライブ!」
送付先住所確認のメールが来ていた。

7月1日に馬来西亞に着く様に、発送日を気遣って頂いているようだ。
マッ マズイ!
このままでは 行き違いになってしまう!
帰馬は7月2日、来週は出社しない。
26日に 現物が目の前にあって、入手可能なのに、
7月5日まで手にする事が出来ないのは、身悶えしてしまう。

なので、村元さんに感謝しながら、
断腸の思いで 発送差し止めメールを送った。
まだ 発送しておられなければ 良いのだけれど。

もう少し 「肉骨茶の素」を入手せねばなるまい。

2010年6月22日火曜日

2004年6月26日「豊田勇造ライブ 拾得」の記憶

2004年6月25日(金)に日本出張・大津、28日(月)から台湾だった。
馬来西亞に帰らず、関空から中正に飛ぶ事にした。
週末を日本か新竹どちらで過ごすか考えていると、
26日(土)拾得で勇造ライブがあった。大津から京都 近いじゃないかっ!
5、6年振り位の勇造ライブ!偶然とは 恐ろしい。と言う事で、週末は京都。

昼頃 大津から京都へ。錦水館に荷物を置いて、昼酒に行った。
ほろ酔いで、「眼鏡研究社」発見!丸眼鏡一本作る。
錦水館に戻ると九州から来た人が部屋に居て、お話しをする。
一緒に ブラブラ歩いて拾得へ。
カウンター前のテーブル端に陣取る。ここだと、日本酒の注文も楽だし、
立てばカウンターに、座ればテーブルにグラスを置く事が出来、トイレも近い。
なんて賢いんだろう!

この日は3部構成、初めて聴く「勇造バンド」!
のっけから、バンドでブルーズづくし、ええな。
2部はソロ、3部 バンド。 久し振りの勇造は、最高!
アンコールのジェフでは、勇造 ギターをアンプに擦り擦りハウリング。
久し振りの勇造ライブ、お酒と音が身体に滲みた。

総経理の前で酔ってた人が、最後にぶっ倒れたのは御愛嬌。

打ち上げで呑む、錦水館泊の人達、電車に乗り遅れたFC初代会長と
ラーメン屋で呑んで 錦水館へ。部屋で呑みながら延々話す。
数時間程寝て、風呂に入り、朝6時過ぎに錦水館を出て、関空へ行った。

馬来西亞に戻り、清算の領収書「錦水館 三千伍百円也」を見て、
当時の上司が「お前 京都で御休憩したんか?」って。
そんな2004年6月26日の記憶。

今年の勇造B.D.ライブ、26日(土) 27日(日) 6.6 DVD記念2 nightだ!
2004年と同日、曜日も同じ。来週の海外出張も決定。偶然とは 恐ろしい。
でも今回は けい子はんがテレパシーを送ってくれるそうやから、
無理して 拾得行かんでもええのんと ちゃいますかぁぁぁぁ!?

今回、記憶作成に「さくら勇造資料館」を参考にしました。
ありがと さくらさん。


ご近所の橋脚と建物の隙間で屋根掛けだけの店「亜旺」肉骨茶



あれれっ? なんでや?
どないして Booking Informationに
Arrival at 26/Jun 08:45 NGO って書いてあるんやろか?
週末、わし 何しとったらええんかいなっ!?
2日も 独りじゃ ヒッ ジョ~ッにぃ サビシ~イッ!


おしゃべりなカラスには、不言実行は難しい。

2010年6月20日日曜日

ギター・インスト、中川イサトさん

ギター・インストを聴いたり、弾き始めたのは、74,5年頃だった。
きっかけは、当然ながら中川イサトさん(1310師匠)の「六番町ラグ」!
当時イサトさんは、加川良や他のミュージッシャンのバッキングが多かったけれど、
ソロの時は、インスト曲を2,3曲は演っていた。
「六番町ラグ」「かすていらのかをり」「セブンブリッジ」等々。

渋谷のヤマハで、ステファン・グロスマン教則本を買った。
彼の教則本はTAB譜のみ(コード記載なし)なので、
何連音符なのか判断できず、レコードも入手する必要があった。
高校生には、金銭的につらかった。

75年にイサトさんの楽譜集「ミスター・ギター・マン」が出版された。
唄が半分で、唄の旋律とギターの楽譜が並列され、
複雑なコードには、親切にコードダイアグラムも付いていた。
半分がインスト曲でTAB譜と楽譜の並列表記の上に コード付きだったので、
聴いた事の無い曲も弾く事ができた。
唄の曲だけど「あふたぁぬうん」のギターもお気に入りのひとつ。

そして、77年にインストLP「1310」をリリース。
収録曲は、ラグやブルースが多いけれど、全曲インストのギター・アルバムなんて、
日本ではクラッシック・ギター以外には無かったと思う。
同い年の従兄弟とオープンGだDだとかとコピーしあっていたもんだ。
正解を知るのは、3年後80年出版「ミスター・ギター・マン2」だった。
この頃「1310」以外の日本のギター・インストLP は、
79年自主製作の小林たけし「ユンタ」を入手したのみだった。

80年代のイサトさんは、ギター学校をやりながら、
自主製作(ナニワ・レコード)で インストLPを5枚リリースするのだが、
総経理は、入手が叶わなかった。
再びイサトさんのギター・インスト・アルバムを入手できるのは、
90年リリースの「Water Skipper」以降だった。



そんな ギターの話とは 関係なく 肉骨茶屋のレシート。
宿は取っても、副業日程は決まっていない。
トホホ。












2010年6月19日土曜日

醇豆腐(ヨンドウフ、Yong Tau Fu)

以前 醇豆腐の画像をupした時に、
激しく反応して、コメントにカキコした方がいて、
さらに水牛通信のコラムで「おでんのルーツ」を書かれた。

醇豆腐は、魚や豚肉のすり身を豆腐、チリ、茄子、オクラ、湯葉等に挟みこみ、
揚げたり、炒ったり、茹でたりして具とする。
挟む野菜、豆腐は、熱を通すがフレッシュ感が大事だ。

馬来西亞の麺類と同様に、スープとドライがある。

具にスープを掛けたものは、「おでん」感覚。
スープは、醤油仕立ては見当たらず、鶏出汁のアッサリ系が多い。


甜麺醤ベースの甘ダレを掛けたドライは、「田楽おでん」感覚。


甘ダレにさらに砕いたピーナッツがフリカケられている所もある。
いずれも、チリソースが付いてきて、チョチョッと付けて食べる。
スープの場合、甘ダレも付いてくる。

確かに「おでん」に近い感覚があるのだが、
「おでん」の様に、具に汁を滲みこませる様な調理はしない。

醇豆腐の専門店、専門屋台の他、
トッピングとして具を置いている麺屋台、
ライスペーパーを円筒形に巻いた(具無し、具入り)

猪腸粉(Chee Chong Fun、チーチョンファン) の屋台でも醇豆腐を置いている。
猪腸粉屋台では、ドライのみの所が多い。

醇豆腐のみでお腹を満たすのではなく、
オカズ又は酒のつまみの一品って感じだ。

アララ、26日 なぜにK都のホテルは、どこも満室なのか?
路上で寝るしかないのだろうか?

困った 困った!

2010年6月17日木曜日

1997年「ジョホールバルの喜劇」の記憶


行き成り、醇豆腐ドライ!

次期総経理雪ん子 ありがと。好きだよ!
サッカーW杯が始まったが、
サッカーに興味が無いので、どうでもいいのだが。

1997年にジョホール・バル(JB)で、対イランとのW 杯本戦出場決定戦があった。
あのビッグサプライズの日。
副業関係で、この試合の観戦を企画した人がドタキャンし、
運転手が不足したので、業務命令で急遽運転手として狩り出された。
入場時に取り上げられない様に、
そつなく日本酒をペット・ボトルに入れて持って行った。
総勢8人、車二台に分乗して、JBに。

JBのホテルで一休みして、スタジアムまで道も間違えずに行けた。
何処から湧いて来たのか、日本人が80%位居た。
こんな沢山の日本人を見た事が無い。

サポーターが紙吹雪用に新聞広告を配って、
紙吹雪の作り方と撒き時を日本語で説明している。
「今、撒いてはいけません」って言うのだが、
ローカルは、直ぐ撒いちゃ、喜んでいた。

日本が先取点をあげた。
久し振りの新聞広告を眺めながら、酒の一杯はもう一杯を呼んでいると、
イランにあっさり逆転されていた。そんなもんさで もう一杯。
同点後の延長、日本の勝利!W杯本戦初出場!
興味が無いとは言え、酒の勢いもあり、興奮してしまった。

興奮したサポーターがフェンスを乗り越えて、
ピッチに入ろうとするのをポリが棍棒で叩いていたっけ。
そんな事を尻目に、早く出ないと渋滞になるので、駐車場に向かう。
が、隙間と言う隙間に、バス、車が駐車されていて、出るに出れない。
サポーターがバスに乗るのを待つ事2時間、とっくに次の日になっていた。

深夜2時頃、ホテルに向かうが、誰も道を覚えていない。
2台の車でウロウロする事、小一時間。何処を走っているか分からん!
タクシーを停めて、ホテルまで先導させる最後の手段に出る。
タクシーを追尾して、2台共、無事ホテルに着いた。
のだが、タクシーと交渉していた奴が居ない。
どうも、タクシーを捕まえた場所に 奴を忘れてきたようだ。アララ。
携帯電話で奴に連絡を取ると、別のタクシーでホテルに向かっているとの事。
奴には珍しく、激怒している。こんな良き日に、怒っちゃ 台無しだよ。
で、良かった、良かったと部屋で呑む事にした。

日本が初めてW杯本戦出場を勝ち取った1997年のあの日、
あれやこれやで、総経理はすっかり疲れてしまった。
ビッグサプライズは、偶然と必然を結び合わさなくてはならない。
と 言う事で、少しだけ、副業お仕事頑張って、みるかな、後一週間。

2010年6月14日月曜日

2010.6.11 豊田勇造 in北見

6月11日お昼過ぎ、前日の開催地 常呂の宿へ迎えに行く。
ここ数年の定宿らしく、宿の関係者は無人で、勇造さんが留守番をしていた。

車で北見へ向かい、北見在住のファンの女性に案内されて「六創美術館」へ。
のんびり鑑賞出来たのか、満足そうに馴染みの喫茶店「異邦人」へ移動。


















「異邦人」にて、80年代前半までの主催者 池田晃四郎と。


今年の会場は、初めてのライブハウス 『夕焼けまつり』

セットリストは、掲示板の HIRO.Yさんの投稿からコピペ。
HIRO.Yさん、あんがとね(^^)

第一部
①青函連絡船
②長崎帰り
③振り返るには早すぎる
④住所録
⑤大文字
⑥桜吹雪
⑦勇造ないないづくし

第二部
⑧三人の旅人満月の夜に
⑨メコンリバーブルーズ
⑩再会
⑪追憶
⑫田中一村
⑬チャオプラヤー河に抱かれて
⑭それで十分

アンコール
⑮夢で会いたい
⑯走れアルマジロ



青函連絡船から始まるセットは始めてだった。

長崎帰りとのセットメニューで、会場はしっかりノリノリ。

二部の新曲3曲は、北見では(当然)始めてだったけれど、

きちんと伝わっていた。

しかし、「メコンリバーブルース」が、今回の目玉になったのかも…。

「さらば愛しき大地」のような歯がゆさが、前を向く力を伴って伝わってくる。

打ち上げは、これも定番の「板門店」という焼き肉屋さん。

炭火でホルモンを焼き、ビールをグビグビあおる映像が、きっとKLにも届いたのね(^^)

雪ん子にとっては「オホーツク塩焼きそば」よりも、断然北見のB級グルメだと

信じて疑わない『目丼』(目玉焼き丼~340円也)

翌日。勇造さんはHIRO.Yさんに乗せられて、330kmの彼方へ旅立ったのだ。

と、まあ、こんな感じで如何でしょう?総経理??

それにしても暑い、熱い北見でしたとさ

2010年6月12日土曜日

北の町から電話があった様な気がと呟いてみる

喉の渇きを覚えて、夜中に目覚める。

水を呑みながら、不確かな記憶が甦る。



何か、夢の中で、電話があったような気がする。

ホルモン食べながら、呑んでるよ と。

それは、どこか 遠い北の町からの声。

楽しそうな人達の声。

嬉しい人の声。



夢で会えたのかな。

2010年6月9日水曜日

勇造ライブ 北海道ツアー中

北海道ツアー中の勇造。
6.4 長万部6.5ニセコ、6.6小樽、6.7札幌の前半戦終了。
6.10常呂、6.11北見、6.12苫小牧、6.13帯広の後半戦が始まる。
6.11北見は、次期総経理 雪ん子が寝坊をしながら駆け回っている事だろう。
名古屋、大阪から北海道ツアーに参戦している人達もいる。
もちろん、道内追っかけの方達も参戦中。
盛況の内に、6.6一周年記念小樽のライブも終わった様だ。
勇造チルドレンが再び一同に会し、
6.5高槻、6.6山崎で、「五十嵐政史とソウルブラザーズ20周年ライブ」を敢行した。
持続する志しソウブラが盛り上がった様だ。30周年ライブには、参戦したい。
カンチ、スナフ、キムラの「全ビ同 鼻炎トリオ」。
次回は、ゲバ棒フランスパンと味の素火炎小瓶を導入して欲しい。

総経理も何かせにゃアカンと、勝手に舞い上がって、
さくらさんに無理を言って、高槻のバザーに出品させてもらった。
「勇造、友部、カラワン タイライブ」カセット・テープ全2巻と
勇造サイン入りカセットテープ版「チャオプラヤ河に抱かれて」の二品。
勇造FC栢下会長時代の機関誌「アルマジロ」全4号の表紙と
勇造直筆「ファンクラブに寄せて」のコピーを包装紙用おまけとした。

(写真提供さくらさん)
「タイライブ」は、ソウブラのホッコリ三線山村さんと
同じくソウブラの歌姫ウメちゃんがGet!
ウメちゃんと文通から始めてみた~い!(なんでや!)

(写真提供さくらさん 画像修正総経理)
「チャオプラヤ」は、我が心の友bやんがGet!
遅れて行ってGetとは、肉骨茶の様な奴っちゃ!(何のこっちゃ!)
簡便販売なので、包装紙は、配布品となった様だ。
当日参加できず、包装紙が欲しい方は、コメントしてね。

よかった、よかったと、今日も呑むかな!

次期総経理雪ん子に告ぐ! ついでに渾身の6.11レポを投稿せよ!
レポ投稿完了まで、6.12以降 総経理は投稿せんからね!

2010年6月8日火曜日

肉骨茶(Bak Kut Teh)の素 再び

ホルモン同好会から大厄吉隆坡支部長を拝命すべく、
肉骨茶研究を報告して、実績を積む事にした。
って、問題は 総経理のポン酒一本槍。モルト好きの同好会だから。

前回、日本で入手できる「肉骨茶の素」を調査したので、
地元 馬来西亞での調査第一弾として、
超級市場でイージーに入手できる「肉骨茶の素」を調査した。

ISETANとCold Storageで、
何の苦労もせずに、5種類の「肉骨茶の素」を入手。

左上時計回り A1、Uncle Sun、Yew Chin Haw, Ken、Singlong、Cray Pot(中央)
御小遣帳に合計金額記入後、レシートを捨ててしまったので、
単体詳細価不明だが、Clay Pot印が最安値、Uncle Sun印が最高値。
3 ~ 8RM(100円弱~240円弱)位だった様に記憶している。
いずれも、粉末漢方入り紙パックと各種漢方のセット。
漢方の種類と各漢方の量は、いろいろ。
総経理の好みは、Uncle Sunなのだが、
今回は、Cray Pot印「Klang Bakuteh」を使ってみる事にした。
Klangは、馬来西亞肉骨茶の発祥の地とまことしやかに伝えられている。

豚バラブロックと戻した椎茸、マッシュルームに、
「Klang Bakuteh」の漢方セットを投入。
中華たまり醤油「老抽」と「蠣抽」で味を調えて、3時間程コトコト。

味は、それなりに出来た。

馴染の的士運転手に、リザーバーとして店の肉骨茶を打包してもらう。
って、下処理済みのホルモンが入手出来ないし、
下処理上手くできた事がなく、面倒臭くなっただけなんだな。

って事で、今回はクレーポット肉骨茶風ではなく、
屋台肉骨茶風に、中鉢でサーブ。

6月5日「五十嵐政史とソウルブラザーズ 20周年ライブ」打ち上げでも肉骨茶が

2010年6月6日日曜日

2009年6月6日の記憶その二


豊田勇造「6.6 円山」当日。
遅い朝食後、家族に手を牽かれ円山音楽堂にトボトボ向かう。
奇跡の様に、ピーカンの晴天。しかし、暑い。途中、日本酒を購入。
2L紙パックを手にすると、政所に取り上げられ、900mLを渡される。

円山に着き、政所が用意してくれた 勇造への御土産を受付に預ける。
雪ん子とイネちゃんに合流。舞台に向かって左後方、日陰に納まる。
ロバート・ジョンソンが流れる中、ワイワイお話ししてたら、
何気に勇造が出て来て、さらりと「海の始まり」。
いつもの勇造ライブの様に「6.6円山」が、始まった。

三曲目の勇造ブルーズ辺りで、政所と娘が公約通り観光に出かけたので、
日本酒を呑み始める。

ふと気付くと 御客がいっぱい居る。
こんなにお客が居る勇造ライブは、初めて。勇造の演奏が続く。
終演まで保つ様に、一曲毎に日本酒を口に含む事にする。
三部は、舞台に向かい右前から三番目位に移動して、
ほぼスタンディング状態でラストまで。
酒に酔っちゃいないが、
豊田勇造、Yuzo Band、ここに集う人達、円山音楽堂の空間に酔った。
ラストの「海の始まり」で最後の一口を呑んで、阿吽の呼吸でお酒も終了。
総経理は、なんて 息のあう 正しいファンなんだろう。

終演後、雪ん子達と呑み、「拾得」に雪崩込む。
馬来西亞から来た人って、勇造が紹介してくれて、
「次は100歳100曲100時間」と叫んだ気はするが、
身体に残るライブの酔いと酒の酔いで、その後の記憶が無い。
日々としての2009年6月6日が終わった。
残ったものは、6時間の幸福感と次への希望。

そんな「6.6円山」から一年が過ぎ、そろそろ社会復帰しなければと思いつつ、
2019年7月7日 京都円山音楽堂
「豊田勇造 70歳7時間70曲フリーコンサート」に想いを馳せるのだ。

2010年6月5日土曜日

2009年6月6日の記憶その一

フム、ポーク・ポリッジ(豚粥)
さて、2009年6月6日 勇造ファンが至福に包まれた京都円山音楽堂。
「豊田勇造 60歳6時間60曲フリーコンサート」から1年が経つ。
勇造の唄と同じで、コンサート・タイトルが長いので、
親しみを込めて「6.6 円山」と呼ばれる。

総経理は6月4日の夜行便で馬来西亞を発ち、5日の昼前に京都入りした。
長崎からの北の政所様と東京からの倉庫番の娘とホテルで再会した。
家族のプチ旅行も姑息に兼ねてみたのだ。

数年振りに家族と京都をそぞろ歩いた。雨が降ったり止んだり。
政所からは、「明日 雨でもやるの?アタシらは少しいたら、
他に行くからいいけどさ、まったく酔狂な人達だ事」
なんて言われながら、鮨屋で昼酒した。
晩は、北見の雪ん子と呑む予定であったが、携帯に出ないわ、
予定の時間にはホテルにチェックインしてないわで、
政所からは、「君達は 幾つになってもいい加減なんだから」と怒られながら、
おばんざいで呑んだ。

寝坊して飛行機に乗り遅れた雪ん子と連絡が取れ、
雪ん子が店に合流、ビッグサプライズでイネちゃんも来た。
四半世紀振りに再会、
政所と娘は呑兵衛には付き合えないと先にホテルに帰る。

あんな話、こんな話をしながら、呑み続けた。

記憶の無い頭と酒の残る身体で、朝起床。
もう、6月6日だった。

2010年6月4日金曜日

どんな国にも「どんぶり」ってあるのかな?

総経理に会いたいのか、屋台で食べたいからか不明だが、
「馬来西亞に行きた~い」と呟いているmint jam嬢。
東南アジアに「どんぶり」があるのかと問いを発している。

まず、丼形状の食器はあると力強く断言する。
余談だが、お椀はマレー語でMankokなのだ。(末尾kは無音)

が、天丼、鰻丼、カツ丼、牛丼、海鮮丼等の様に、
大振りの丼に飯が盛られ、飯の上に一品の料理が乗り、
一食の料理として完成された「日本の丼」形態は、食べた事が無い。

飲茶屋で小振りの壺に軽く飯が盛られ、
一品の具をちょこっと乗せ、蓋をして、蒸される点心はある。
点心の一つなので、これだけで一食となる事は無いし、蓮華で食べる。
「丼」に近いけれど、ちょっと違う。

深皿に飯を盛り、一品の具が乗った 所謂「中華丼」の類はある。
これは、一食としての分量がある。スプーン又は蓮華で食べる。
器は丼では無いけど、「日本の丼」形態に近い。

日本の丼飯の特徴は、食べ方だと思う。
食べ方としての丼飯は、口の中に飯と具を掻きこむ、
具と飯が口の中で一体化して、得も言われぬ幸福感に包まれる。

東南アジアのぶっかけ飯を「丼物」と言えば言えるけど、
皿に飯、2~3品の具を乗せて、フォークとスプーンで食べる。
掻き込んでいないが、具と飯が口の中で一体化はする。

華人系は、飯の上にオカズを乗せ、ご飯茶碗を持ち上げ、掻き込む。
セルフ・トッピング型「丼物」と言えなくもないが、碗が小さい。

敬愛する大衆飯ライター遠藤哲夫(エンテツ)と料理家瀬尾幸子の
共作本「みんなの大衆めし」が出版された。
いつ吉隆坡の「紀伊国屋書店」に入荷するんだろう。
入荷したら即買いだな。


海鮮丼

去年の6月4日の今頃は、「6.6円山」に間に合う様に、
夜行便に乗る為、空港に移動し始めたっけ。

2010年6月3日木曜日

ブヒブヒ!肉骨茶の素!

輝かしき「6.6円山音楽堂」一周年記念日6月6日。
勇造フリークは、各所で御祝のイベントを行ったりする予定なのだ。たぶんね。

同日、ホルモン同好会が「肉見会@肉骨茶」を開催するとの事。
この同好会は、昨年末に総経理が密輸した「肉骨茶の素」で、
肉骨茶を独自に調理、酒を呑みながらの試食会を遂行している。
総経理密輸「肉骨茶の素」は底を尽き、今回は自力調達したとの事。
ここ本場馬来西亞の「肉骨茶」を食べた会員は、そう多くない様だが、
大根を入れる等の創意工夫をしながら、日々研鑽に励んでいる。
「肉骨茶」日本普及に邁進するホルモン同好会を高く評価する。

さて、当日の会費が高いのは、「肉骨茶の素」が高価だったからの様だ。

と言う事で、日本でネット通販されている「肉骨茶の素」の価格を調べてみた。
Yeo’sブランド315円~600円、A1ブランド600円 シンガポール製。
無印良品は日本製の様だが、189円。いずれも3~5人分。
普洱茶ってサイトは、自家ブレンドの漢方詰め合わせ3回分で3800円。
高いの、安いのやらいろいろ。
因みにローカル価格は、A1ブランド 4.5MR(約130円弱)。
高いもので、10MR(約300円弱)。

なにせ、わが友が参加する同好会なので、
ウィスキーを飼葉桶で呑む人達の集まりらしい。
総経理には、当日用意されるウィスキーの量と質が
その会費の大半を占めていると思えてならないのだが・・・。

いずれにしても、ホルモン同好会の「肉骨茶」活動は、今後も注視していきたい。

お店の肉骨茶を打包(お持ち帰り)すると、厚手のビニール袋に入れてくれる。



そして、お家でトッピングを足して、再加熱。「いただきます」。ブヒブヒ。




ブヒブヒと朝の珈琲