2018年12月14日金曜日

Nothing But Alcohol !

毎日呑んで 41年~
まだ まだ呑み足りない 俺が居る~♪

20年前に 胃穿孔の手術をして 2週間程 禁酒をした。
が 一生の酒量のリセットがかかったのか
以前より 摂取量が増えた。
この1、2年は 増々状態だ。

数年前に読んだ本「生きてるぜ! ロックスターの健康長寿力」
彼らは ドラッグや酒の依存症から抜け出す為に
車や 釣り スポーツ等々に依存したそうだ。
キースは 何も止めずに 「俺は不死身だ!」と言っていた。

さて 今観たい映画は  「Eric Clapton - Life in 12 Bars」だ。
と 思っていたら 今日ある 記事を読んだ。
キースは 1年前から 酒を止めたそうだ。
「もう 必要ないし シラフの演奏が楽しい」と。
ロン・ウッドも酒を止め タバコは電子タバコにしたそうだ。

キースの歳まで まだ14年ある。
オレは その歳に 同じ気持ちになるのだろうかね?

「自殺しなかったのは 酒が呑めなくなるから」
I Got Alcohole!







2018年11月29日木曜日

早いね時の過ぎるのは みんな昨日のようさ~♪

今週月曜日に出社すると 15年前に退職した会社が破産した様だと。
同期入社(大学も同期)で 俺より早く別会社に移ったO君に確認した。
なるほど そうか もしかして 創業40年ではなかったか?

俺はその会社に成り行きで入社して 21年在籍した。
が 後半11年は馬来西亜に独りで 出稼ぎに出ていた。(出されたか?)

O君と俺は その会社で初めての大学新卒採用だった。
まっ 二人とも何する会社か よく分かってなかったけどね。
創業メンバーは とある会社から スピンアウトして会社を立ち上げた。
なんとその十数人の先輩方の内 下戸は3人だけ
後は ほぼ大酒呑みで 毎晩が宴会状態だったので
俺達には理想的な職場だった。

土日、普通の連休も働き 残業・徹夜も当たり前だったのだが
俺は 他の会社を知らないし 薄給とは言え
月給、ボーナスを貰え 持ち株制なので 配当金まであり
今持っている技術を自習できて なんの不満も無かった。

俺が出稼ぎに出る数年前には親会社の株を買い取り
小っちゃい会社だけど 皆で楽しくやって行こうとしてた。

出稼ぎに出て 何年か経った頃から
今の会社から送金してもらう俺の売り上げが
会社売上の何十%かを占めはじめ
業績が良くないからと 給料をカットされても
拾ってもらった会社だし 皆も苦労してるだろうと考えていた。
それなりの忠誠心を持っていたのだ。

なのだが
電話で名前を言っても「いつもお世話になってます」と
見知らぬ新入社員から 応答されるし
一時帰国で 久し振りに出社すると 俺の机は既に無く
私物が段ボール箱に入れられていた。

出稼ぎ10年目  親会社の株にオマケで付いてきた当時の社長が
話があるから 来馬すると連絡してきた。
日本に戻って来てくれって話だった。
俺は一晩 呑みながら考え 退職する事にした。

1年後に退職とし 今の会社に移籍する事で決着した。

時は過ぎて あれから15年が経ち
社長も代わったその会社とは ほぼ無縁で過ごしてきた。
破産しようが どうなろうが 今さら知ったこっちゃ無い。

でも 出稼ぎから26年 独りで仕事をこなしてこれた
技術や経験は あの会社に 成り行きで入社したからなのだ。
在籍十何年までは 俺にとって居心地の良い ホームだったと
思いつつ 今週は呑み続けているのである。

早いね時の過ぎるのは みんな昨日みたい~♪











2018年11月8日木曜日

あのトンカツを 食べに行きた~い!

もう 相当前の事だ。
白金首都高高架下に「トンカツすずき」があった。
って 今もある様だ。
高架下の引き戸を開けると
L字カウンターがある。

ロースかつをいただく。
「いつも ありがとね」と母さんが言う。
「いつも スイマセン」とオレが言う。

トン汁はオマケねって 野菜が多い。

お代わり自由ではないが 足りてるって?
御飯は? キャベツは?
でも カツは?とは言ってくれない。

そんな 人形劇部  後輩のご家族のとんかつ屋だ。



2018年10月31日水曜日

東海林さだお著「ひとりメシの極意」をヒモトク

グヤジイーと枕をを濡らした夜から何日経ったのか?
オレは ISETANのリフトで3Fに上り
メンズフロワ―を横切り エスカレーターで4Fへ。
キティグッズを横目でガン見しつつ
KINOKUNIYAの中文コーナーかたマレーコーナーを
駆け抜け 邦文コーナーへ 最短・最速で駆け抜ける。
新刊コーナーを右から左へ 舐め回す。
とりあえずビールではないが
太田和彦「関西で飲もう」
残り物のお通しで
鈴木弘毅「全国駅ラーメン探訪」

そして 串カツ発見の会!
東海林さだお「ひとりメシの極意」
カバーに著者初の新書と大書されてる。
オレは ムフフ化し 手に取った。
推定250gの重量級の新書
そりゃ そーだ 新書なのに352頁の 大盛なのだ。
鼻孔が膨らみ 鼻息は噴き出し雲と化す。
アングリ開いた口からは 涎がタラタラ~リ。
このままでは 単なる怪しい人なので
購入して 光の粒子となって帰宅した。

着替えるのもモドカシク クネクネしながら キツケに命の水を呑む。
正座をし ジックリと本を 愛で 撫でまわす。
ショージ君の丸かじりシリーズは、週刊朝日で連載し
単行本は朝日新聞出版、文庫は文春からと暗黙の了解があった。
が これは朝日新書なのだ。
空前絶後のオキテ破り それが無謀なのかどうか
まるで空白の一日の暴挙 新書刊行。
いつ何時 どこでも相手になってやる ワシ朝日だケンね!

右親指&中指で表紙を捲ろうとした その時
表紙 表紙が厚い!ショージ君 腹筋一万回だね。
そして オレは この本の異形に鋭く気付く。
そうだ 帯が無いのだ。ショージ君たら 丸腰なのよ。
帯に書かれる惹句が カバーに書かれているのだ、ムフフ。
オレは眼球をスキャンモードにし コンマ1mm格子でカバーを精査。
上部周囲に違和感あり 眼球ズーム。

そっ そこには 白地に何本かの赤い縦線が
カバー上部推定3.5mm巾でグル グルリ。
このデザインには 見覚えがあると脳内カラスが啼いた。
オレは 震える指で恐る恐る カバーを剥いた。

ナ~ンと オレがカバーと思っていたのは
超巨大化した帯だったのだ。
グガ ガァーン グガ ガァーン・・・・・・・・・・・・
オレの意識は 百万光年の彼方に吹き飛び
オレの躰は 床に崩れ落ちた。

フッ。

数日後 床の上で覚醒したオレの脳内文字は
こう刻まれていた、

そうだ、ショージ君の本を読もう!

 






2018年10月30日火曜日

そうだ、 ショージ君の本を読もう

シーナマコトの記事があったからと
 知人が飛行機内の週刊朝日を持ってきてくれた。
パラパラしながら シーナの記事(3)をダハダハ読む。

日課がヒンズースクワット300回、
腹筋200回、腕立て伏せ100回。
そんなに鍛えてどうするのだシーナ君などと問い詰めながら
再び 週刊朝日をパラパラする。


最後にいつ読んだかも 記憶にないが
週刊朝日が 薄く 軽い事に 溜息一つ。
内容が無いよなーと 眺める。
週刊朝日どころか他の週刊誌も読んでいないケンねー。


が あるじゃないか 週刊朝日 やればできるじゃないか!
そう 超長寿連載コラム ショージ君の
「あれも食いたい これも食いたい」(見開き2)
ウハウハと読む。

がっ 本と違って 段組みが読みづらく
イラストが小さいのだ。
ウハウハは ウハの半分位になってしまった。

頁を捲れば 別の話があるケン 良いもんねと
本を読んでるつもりで 頁を捲った。
次の頁には 知らない誰かのコラム(1)が!

グヤジイ~!

そうだ、ショージ君の本を読むのだと
鋼鉄の誓いを立てた。
まっ セイゼイ ラップ位の薄さと弱さだけどね。













2018年10月24日水曜日

夜の廊下 朝の路地 夕方の船

例えば 夜の廊下を歩き
 
 
階段を上がる
 
 
ルーフトップでは

 
風に誘われ 
 
 
樹を登ると 朝の路地
 

そして路地を抜けると
 
 
夕方の海峡 船が何処かへと 連れて行ってくれる
そんな 倖せな時間を妄想する

2018年10月14日日曜日

AIロボットは 作業前にラジオ体操第二でボールジョイントをほぐすのか?

現場監督として AIロボットを導入するそうな。
ワタシにも馴染みがある 某建築さんの工事現場で
テストが行われた映像を見た。

現場を狗の様にウロツキ回り
パシャ パシャと現場写真を撮ってる。

ほんの一瞬 作業着、ヘルメット、安全帯、安全靴で
身を固めた 人の監督さんが縄みたいなのを
投げているのが 映り込んでいた。
不安全行動か?!

2019年夏頃から 導入されるようなのだ。
確かに 現場をウロツキ回り
現場写真や 不安全行動・場所の写真を撮って
下請け会社に 改善させる状況証拠を
収集するには 役立ちそうだ。

ルンバ君以上の AIお掃除ロボットはもう 導入されている。
その内 自走するAI溶接ロボットや
AI配管フィッターロボも出て来るだろう。

AIロボ監督さんには PPEが要らないのだろうか?
ワタシは観てみたいと切に 妄想する。
落下事故で フルファーネスの安全帯でブラブラ舞っているのを
15段こはぜの安全地下足袋を履くのを
紫のニッカポッカを自慢げに穿いているのを
休憩時間に吸ったタバコを 手で消すのを
皮手を取ると 小指が短かったりするのを
土日の現場 午後3時ごろ ソワソワするのを

ワタシは 現場仕舞いで
セキネの親方に呑ませてもらった。
カウンターだけの中華屋で 親方と呑んでいると
組の人達が やってくる
「監督居たの~」って
近くの店のトンカツが出前されてくる。
近くの店の刺身が出前されてくる。
ホラ話を聞き 話し 幸せなafter hoursだ。

AIロボットは 砂町で呑めるのか?




 

2018年9月30日日曜日

一人抜け また一人・・・そして独りになったDMKの深夜

朝 目覚めるとベッドの上だった。
7時過ぎ 4人で 再び市場へ。
朝の市場は 活気にあふれている。
俺の好きな生鮮豚肉売り場も 生気に満ち
壁の開口部から 差し込む光で 包まれ
肉を捌く 男や女の 叩きつける中華包丁の音が
静逸な 音楽になっていた。

朝食をどこにするか?
市場の中にあった よさげな麺屋は 満席だった。
場外にある ビルマ料理屋に吸い寄せられた。
店先に 3個の寸胴鍋が置かれている。
蓋を開けると 美味しい匂いが食欲をそそる。
が 店には誰も居ない 
奥から何やら美味し気な調理の音と匂いがしている。
覗いているみると 女将さんが 出て来て
中国語で対応してくれる。
どうも Azureと同じように華人系だ。
ビルマスタイルで メインに何品か付いてくる。
美味しいのであるが 何か品数が少なく
客は我々だけなのが気に掛かる。
朝食だしね まっ いっか!


ホテルに戻り お片付け寸前のビュッフェで珈琲とジュース。
ウダウダ過ごして タチレクへ。
と 昼食をチャイントンで食べて行くのだと。
ヴァンは 市場に向かい とあるビルマレストランに。

再びAung Nang Myanmar Food Restaurantで昼食を!



店先には 朝と違って いろんな総菜が並んでいた。
あっ 朝は開店前だったのね~。こりゃまた 失礼しました~♪

タチレクに着き さらにミャンマーを旅する 
勇造とヒバリちゃんと別れる。
小雨の中 徒歩で出国し メーサイ タイへ入国。
チェンラーイ空港で 川村さんと別れる。元気でね 川村さん!

日本からの 7人は同じフライトだが Fly-Thruなので ここでお別れ
オレとプンが最後に残った。

が 機内で再会 そして DMKで強制送還の難民の様に
ドナドナ状態で引いて行かれる7人と別れ
再び オレとプンになった。

で DMKには プンをお迎えに来ていた某小野崎さんが居て。
じゃ また 来年と言って別れた。

それは まるで歯が一本 また一本と抜けて行くような一日だった。

そして 独りになったオレは 無用にアップグレードされた
スイートルームで 独り ベッドで眠った。
本日の歩数10,000歩







 

2018年9月28日金曜日

ドナドナ日和の日@ミャンマー

さてと ベッドで目覚めた。
小高い丘にある 元藩主の御宅のホテル(らしい)。
ベランダから 街を眺め 
プール沿いに ユックリ歩く ホテルの人達が居る。
そんなマッタリとした 朝7時前。
ホテルで朝食、ウダウダして 市場へ。


総勢12名 連隊は ズンガズンガとは進まない。
昼食後 ドナドナ状態で何処かに行った。



 





アクーの集落へ 行ってみー 囲まれでー♪


 




幾つかの集落と寺院を巡り 帰る事に。
オレの心配事は 「ミャンマー命の水」を仕入れる事だ。
がっ 帰り際の夕方市場み寄る事に急遽なった。
俺は はたして「ミャンマー命の水」を入手できるのか?

夕食は 再びAzureで ホテルに戻り
「ミャンマー命の水」を呑み
静かに ベッドで寝た。
本日の歩数 14,000歩。

2018年9月7日金曜日

The Long and Winding Road to Kyaingtong

朝 目覚めるとベッドの上だった。
6人編成の徘徊部隊で ヘロヘロ ウロウロ、タチレクを徘徊す。
ロータリーを東に向かうと
路地に物売りと行き交う人々が見えたので 吸い込まれる。

 
 
普通の生活市場が路地で 商いをしている。
昨日の国境越え後にあった市場より 地元生活感が溢れている。
隣接するタイヤイ寺院周囲に展開する 門前市場なのだ。
市場から 坂をチョット歩いて行くとキリスト教会があり
その先の お茶屋で ビールを呑んだ。
帰りしな 白い象寺院に寄り 昨夜ビールを呑んだ店で朝食を。
 
入国許可書を ガイド兼運ちゃんに預ける。
出国するまでは この運ちゃんが ワシらの身元引受人なのだ。

 最初の検問所を通過 しばらくして 電話がリンリン
Uターン・ダッシュ!
検問所に戻り 彼は手ぶらでオフィスへ
そして 入国許可書を鷲掴みで 戻ってきた。フムフム。

タチレク出発一時間程で ターレイで昼食 ビール。
トイレのキレイなドライブイン。
道端の青果、野菜売りやら モンピャック昆虫食市場に立ち寄って進む。
近々 アカ族のブランコ祭りがあるそうで ブランコ見学で停車。
と少年がブランコして下さいました。フムフム。

峠を攻めて 棚田を眺め ド~ン ド~ン進んで行く・
次の検問所を無事通過。入国許可書を持っている事を確認。フムフム。

チェントンの街が一望できる中腹の白い仏陀を拝観する。
山の頂上まで 仏陀パークを建設する一大プロジェクトであった。
無事チェントン到着。
湖畔をそぞろ歩き Azureで夕食を。美味しい。



湖畔を反時計回りで ゾロゾロ。チョット 一服。
湖畔を一周して ホテルに戻り チョット一杯。
ウィスキーを呑み切り 豊かな気持ちに包まれながら ベッドで寝た。
 

本日の歩数 約15,000歩。
 
 

2018年9月3日月曜日

Across the Borderline on Foot from Mae Sai to Tachileik


朝目覚めるとベッドの上だった。
移動が9時なので 徘徊中止 ホテルで朝食を食べる。
と言っても 無駄に6時前起きてしまうのだが。
チェンライ空港で 川村さんとプンちゃんが合流 総勢12名となる。

車でメ―サイに着き ヘロヘロ ゾロゾロと歩きタイ出国。
10m弱のサイ川 緩衝地帯の橋を渡り ミャンマー側へ。


いよいよ 今回の旅で 最も関心があった入国手続きだ。

タイ人、ミャンマー人は ほぼノーチェックで行き来している。
ここに座りなさいと言われ 机越しに 3人のオフィサーから
何日いるの?とか どこ行くの?と聞かれるのだが
相手の英語が分かりづらく こちらの英語も旨く理解して頂けない。
ガイドは?と言っているようなのだが 一向に埒が明かない。

タイ語を話す川村さんとプンが別室に連れていかれる。
何ヵ国の入国手続き(空港)で別室に連れていかれた事があるけど
無事入国できても あんまりウレシイ事ではなかった。
そんな中 マレーシアのパスポートを幾つか持って来た人が居て
オフィサーがパラパラ眺めてOKだった。わしらと何が違うの?

10分位待っただろうか 川村さんが戻ってきた。
隣のツーリズム・オフィスで 入国許可書を発行してくれるとの事。
お向かいのカフェで良い子にしててねとオネーさん。
オネーさん フツーに英語話せる!

ヘロヘロ ゾロゾロと道を横断。そこは免税店で ビールも呑める。
タチレク以外へ行く場合の入管システムを理解した。

オネーさんから道路越しに呼ばれ ヘロヘロ ゾロゾロと戻り
荷物を受け取り 入国許可書を押し頂く。
パスポートは イミグレ預かり、
 出国時入国許可書と引き換えで戻ってくる。
チェントン往復のガイド兼運ちゃんも確保した。
川村さん プンちゃん ありがとう!

ロータリー脇の屋台でビルマ料理。後ろの店でビールを調達。
夕食後 呑み足らない仲間で ホテル近くでビール。


何せ午後7時過ぎ位なのに 店が閉まっているのだ。
3月の旅でタナカが発見したウィスキーを入手。

ワッキー、勇造、ヒバリちゃんとチョット一杯
少し幸せにベッドの上で眠った。
本日の歩数 約9900歩。