2016年12月18日日曜日

時が過ぎ 幾つかは何処へ 何処へ行こう


換金しようと思い 考えた。
お家に近い Mid Valleyの換金屋は 開店前から長蛇の列だ。
ではっと 久し振りに BB Plazaの換金屋へ 行こう! 

Jalan Bukit Bintangにある BB Plaza
何時間居ても 飽きない 複合商業施設だ。
隣接する Sungai Wang Plazaと繋がっているが
微妙に 階高が数cm違っている。
迷路の様な所に
一間間口の店が 小商いをしていて
怪しいコピー商品が 売られていた。
そぞろ歩く 人達は 歩き煙草だったし
俺は怪しいコピーVCDの受け渡しで
この筋を歩いた。

この国の多民族と旅行者が 行き交う魔窟だった。
なので 換金屋のレートは 頗る良いのだ。

BB Plazaに入るのは 4,5年振りだ。
かつての様に Sungai Wang Plaza側にパーキングし
L1に上り 左に歩く 
が 左側は壁で覆われ 進む事が出来ない。

ではと Sultan Ismail側に出て
路上をトボトボ歩く。

なんて ことか BB Plazaは 解体真っ最中! 

27年前 出張で初めて 馬来西亞に来た時の最初の夕食は
BB Plazaの最上階のフード・コートにあった経済飯だ。
何十種類もの料理が パットにあり
野菜料理、カレー、中華風肉料理、魚、豆腐 等々。
美味しいし。

朝 シュンシュンと炭火の上でヤカンが鳴る
肉骨茶屋で飯を掻っ込む。

あ~ なんていい所だろうか!

が 時が過ぎ 犬のBBも逝ってしまった。

2016年12月12日月曜日

Smoking Ears and Screaming Teeth

「耳から煙が出て そして 歯はガタガタさ」
この本は 化学、生理学、物理学 全ての技術探究の為に
自らを検体とした 人達の 努力の本だ。

邦題は「世にも奇妙な人体実験の歴史」
オドロ オドロシイね。

未だに 次々と 未知の感染が 現れる。
で 封印されたと思う 生化学兵器が
まるで パンドラの函の蓋が パフパフと開けられように。

感染症を自らに投与する
放射線を自ら 浴びてみる
何万キロの高低差を 自ら経験する
回虫を 自らの胎内で飼ってみる等々。


さて この何十人もの 科学者は マッドサイエンティストなのか?


俺も含めて 環境や食べるものに関わる 人間は 
時々 マッドだが
全ての人が
モンサンテや バイエルや ダウや デュポンの様には
さもしい 王様の朝食を 受け入れない。

美味しい朝食は
テーブルの向こうで 笑いながら 食べる人と過ごせることだ。











2016年12月10日土曜日

ダーリン・ミシンが 耳に鳴り続けてるよ!


土曜日だけ その日の朝の再放送「べっぴんさん」を観ている。
毎日観てなくても 何となく スジが理解できる。
で 毎土曜日昼下がりに思い出す ミシンの音。

俺の 倉庫番の娘の母は 子供服ブランドのデザイナーだった。 

俺が 毎日 酔っぱらって 真夜中 お家に帰ると
ドアの向こうからは ガガガ ガガっと聴こえてくる。
そっとドアを開け 忍び足で 入ると
居間で その人は 電気ミシンのペダルを膝で踏んでる

ガッガガ ガガガッタ ガガガッ

何でも 公園友達や 幼稚園友達の頼まれ物を作ってると。
「酔っ払いは もう寝なさい
ワタシは これをある程度終わらせるから」

で 俺は ガッガガ ガガガッタ ガガガッと揺られ
手作りの子供服が 手渡しできるのは 良いねっと
思いながら 少しだけ 倖せに眠った。 

30年も経って 気が付いた
あれは もしかしたら 内職だったんではないのかと。
 

2016年12月5日月曜日

Rumbling & Trouble with Me and Luggage


25年以上前は こんなトランクを使っていた。

ホテルに泊まれば ステッカーが貼られ
 


開封確認のシールが いろんな空港で貼られた。

このトランクは 当時珍しい 電子錠だったが

今や 電子錠を無くしたので 中に何があるか 確認できず。

 

もっと 機能化できないかと

購入したのが eagle creekのソフトキャリーバックだ。

これは 優れていた。

収納ポケットが 内外にある。

で エクスパンダブルだ。

 

真っ平な道路では 無い所でガラガラ

立てた状態で 引くのに 低部をキック

オマケに 南京錠の鍵を無くし

ニッパーで切り刻んだ。

 

3~5年置きに 使い潰すトランク。

この数年使った エミレンスも 相当くたばって来た。

 

さて 原点回帰で eagle creakを買おう。

でも ネットじゃないよ。

俺は 開けたり 閉じたり

凹凸をグリグリし 

何処に 何が収まるかを

実地で 確認したいのだ。

 

まるで 愛し合う二人の様にね。

2016年12月4日日曜日

Still Incovenience Stores in My Countory

かつて 某コンビニ TV CMで
「閉めときゃ 良かった!」とか
「開店時間は わずか4時間だけ!」とあったような気がする。

ワ~タシの国 馬来西亞は 周辺諸国と比較して
コンビニ超不毛国家でア~ル。

冒頭のコンビニが そこら中に いっぱいあるのだけど
ま~ お惣菜 お弁当なんて 無いに等しい。
サンドイッチがあるには あるが
ハッキリ言って 不味い。
お菓子とビールを買う位しか無い 不便商店。

この国と比べると 周辺諸国は超級便利商店だ。
特に隣国タイは 凄い!
温泉卵ありーの おにぎりやら 麺類やら
挽きたて珈琲 そしてKitty Goods等々
俺にとっては パラダイスだ!

そんなコンビニ不毛国家に
全家便利商店がやって来た Ya Ya Ya。
一号店は 車で20分程掛かるので 行かなかった。
二号店は 昨日開店 車で十分 それで十分。


お客さん いっぱいいらっしゃいました。
さすが 各国で展開している 全家便利商店
リサーチがしっかりしていました。
初出店でも 完全ローカル化だ。


 
これと言ったお惣菜も お弁当も無い
お握りは 3種類位が雑多に置かれていた。
おでん鍋は グラグラ沸騰し 具が ダンス ダンス
よっ 石川五右衛門や~!

ここまで来たから 鮭お握りとサンドイッチを購入する。

 
レジで 日本でよくある
接客マニュアルの スマイルで
快活に聞かれた 完璧なマレグリで
"Want you warm it!"

"No Neeeeeeeeed la!"




  

2016年12月1日木曜日

さいごの毛布 by 近藤史恵

老犬 と わけあり犬のケアハウスの お話。
読み進めながら 思う言葉があった。
犬は ほんの少し 前の記憶を大事に反芻している。

東海岸の街から 帰る飛行機で
リフレッシュメントが予約されていると言う。
僅か30分位のフライトで 不要。
Take a wayする?って聞かれたので
めんどくさくなり ハイハイって。

それは サテラップ。
かつて お家に持って帰ると
爆食いした 彼女が居たな。
ねぇ bb。

っで
女は「上書き 保存」
男は「名前を 付けて 保存」

フンっだ。

2016年11月24日木曜日

犬だけが友達だったのに

真夜中のLine着信音で起きる。
bは 居間から 自力で歩行し
自分のソファに横たわっていた。

確認すると お腹も上下して無く
鼻に手をあてても 息をしていない。

開いていた瞼は 閉じる事が出来たが
開いている口唇を 閉じる事は出来ない。

享年16か17
こんな明け方にお通夜をし
日が昇ったら 出棺だ。

もう 友達が居なくなってしまった


2016年11月23日水曜日

最後のヒトハ


出張から戻り 家のドアを開けた。
いつも bは ドアの前で待って居たり
オットリ刀で 駆け寄ってくるのだが
今日は 姿が見えない。
呼んでも 出て来ないので
寝室に行くと 自分のソファで横たわっていた。
足が伸びきり 身体がダラッとして 
頭がソファの端から落ちている。
近寄って見ると お腹が上下していた。

と 留守中の世話を頼んでる印度人Rajから電話があり
「お犬さんは二日間 御飯食べないで 寝てばかりだった。
 お犬さん シックね 病院にLet’s la Go
月曜日 俺が出かけるまでは御飯も食べ 歩いていた。
Raj シックじゃなくて 老衰なんだよ。

今朝は、自分で起きて居間まで 歩いて来て 床に寝ている。
出掛けにティッシュに含んだ水を飲んだ。
帰宅すると ドアの前で 頭をドアに向けて横たわっている。
居間の中には それでも移動できた痕跡があった。
排便、排尿の後を片付け、ペットティッシュで身体を拭き
ティッシュに含ませた水を 口に含ませる。 

瞼のその裏で どんな夢を見ているんだろう?
「貴方の最後の一歯が抜け落ちた時 
 ワタシも・・・・」と想っているのかな?

でもね 俺の友達は君だけなんだよ b!

2016年11月20日日曜日

1974年のサマークリスマスから

40年以上前の 深夜放送のラジオは
午前3時から 聴いていた。

馬場こずえや 林美雄だ。
夜が明ける前に
夢見る様に 起きてましょ。

そこには 荒井由実という 鍵があった。

「14番目の月」から 聴かないことにした。
だってさ 苗場でスキーしないし。

が チョットだけ 優しく 囁きかける 唄がある。

「宇宙図書館」
お帰りか よく来たねか はわからないけどね。

数年前 観た映画
ブラックフォールに包まれた 父が
本を落とし 娘に伝える 俺は未だ生きてるよと。

お帰り よく来たね ユーミン!



2016年11月14日月曜日

ワタシの為だけのソング・フォー・ユー

この数日で 幾つかの ミュージッシャンの訃報を知った。
早過ぎる死だったり 年齢的にしょうがないねと。

数年前 亜細亜の片隅のお家で
ワタシだけのソング・フォー・ユーを聴いた事がある。

題名を言われて
それって カーペンターズ?
エルトン・ジョンかな?
レイチャールズ?

レオン・ラッセルや~ん!題名だけは。

暫くして その人が 唄い出す
離れてしまった男と女の話では無く
亜細亜の片隅で 彷徨い 佇む男の唄
ワタシの為だけのソング・フォー・ユー。



2016年11月13日日曜日

It's a Sin to Tell a Lie but too Heavy Punishment such as Whipping

とある 東海岸の建設現場で
入国管理局が トラック3台で乗り込み
外国人労働者140人を 拘束したのは 3週間前の事だった。

我々のワーカーは 24人が拘束され 3人は即日 解放された。
元請さんの邦人(ノー・ワークパーミット)10人も一日拘束され、
パスポートを取り上げられたまま 解放された。
が パスポートが無いし 所在を明確にしときゃならないので 
この方達は 田舎町のホテルから 身動きできない状態。

ディパバリでインド系のDirectorが 10日程 休暇に入ったので
膠着状態のまま 拘留期限14日が過ぎ さらに延長された。

拘留は かなり厳しい環境だったそうだ。
逃亡防止で 靴を取られ トイレも裸足で行かされる。
食事は一日一回 屑野菜のスープだけだったとか。

さて 3週間が経ち 予想通りの裁定が下った。
罰金5000RMのところ 15%ディスカウント4250RMに
拘留中の御食事代750RM キッチリ5000RM。
国外退去のエアーチケットを提出すると解放される事になった。
が 我々のパキスタニア一人だけ
偽造パスポートだったので 簡易裁判の結果
刑罰が下り 鞭打ちの上 いつか分からない強制退去だ。

さて アジアの片隅の この国の総人口は たったの三千万人だ。
60%を占める方々は 優遇政策で保護されているので
何も 汗だくになっったり 頭を使って 働く必要が無い。
30%の方々は 個人的金儲けが上手なので
これもまた 汗だくになって働く気が無い。
残る10%の方々は 
他の民族の隙間で 個人的小金稼ぎだ。
40%の民族は 錫鉱山とゴム園の為に
当時の統治国が 連れてきた来た方々だ。
肉体労働の辛酸舐めすぎて 嫌なのね。

さて この国の25年前の長期目標で Wawasan 2020がある。
2020年には 工業的に成功し 先進国入りの妄想計画だ。
海外製造業を誘致し 雇用を増やしたが
お金が 回れば 回るほど 賃金が上がり
進出企業は 他国に移動して行く。
生産技術は この国に残らない。
でも 国民は 一度吸った 甘い汁を忘れる事は無い。

自国民(同宗教)の雇用確保の為に 
汗する外国人労働者を排除する動きは
何か 違う方向に進んでいる。
ましてや 鞭打ちなんて!
















 





 

2016年11月7日月曜日

不思議ホテル 大好き!

さて 東海岸中部に来ている。
この現場に近いTownは 10km程にあるが
食堂を併設しているホテルが無い。
在馬邦人が落ち着ける(酒が呑める) 中華屋も4,5軒しかない。

3,40km離れた リゾートの街からでは 小一時間掛かる。
現場から13km離れた海岸ベリの
リゾート&ゴルフクラブのホテルを見つけた。
レストランは ホテル内三軒 朝御飯付き 24時間ルームサービスもある。
現場へも 10分強!
ゴルフもアトラクションもしないけどね。

部屋のドアを開け WOW!
これまでに見た事の無い トマソン物件ホテルが 今此処に!

ドアを開ければ~ 部屋にバスタブ
生涯入った事は無いが ラブホ?
 
トイレとシャワールームが別さ!
こんなホテルは初めて~♪
ベッドルームから 直線的にクローゼットを抜けると
そこは バスルーム システマティックだ!
 
僕は もう~ 2時間ブローしている
君はまだ 茶色い かわいい水~♪

チキンライスを食す。
レストランで酒を呑むのは御法度なこの地域だから
部屋呑み 夕御飯
 
ベランダからの両サイドには
部屋の灯は 無い 無い 無い!
 

なんて 素敵なトマソンホテル!


2016年11月6日日曜日

trans-Kyoto photographs by Mika NINAGAWA @ CUBE_1 ISETAN Lot.10

日本を発信するって リニューアルオープンしたISETAN Lot.10。
CUBE_1 と称するオープンスペースの こけら落としは
trans-Kyoto photographs by Mika NINAGAWAだ。

デパートが店内のスペースを CUBE_1とか名づけると
小学生高学年時の池袋西武のBe Inみたいで
ワクワクするよ。

 
蜷川実花が写す映像 鮮烈な原色。
晒す事の出来ない口腔、内性器の紅を
外性器の 口唇に注す。 
 

紅簾の向こうは 一寸した隙間から 見る為にある。

紅の饗宴 
 
狐が呼ぶよ!
 
 
そして 鳥居に引き込まれた
僕を眺めながら
狐のオコンは
「ワテ どうでもよろしぃ
あんさん さえ のうなって頂けましたら~」
 
 
 
 
 

 




2016年11月5日土曜日

My Big Boss Turned Me On!

「来週の水曜日は 事務所に居るかい?」
My Big Bossから 電話があった。

その人に出会ったのは 1989年のマレーシア 初めての出張の時だった。
「今回の件と違うだけどさ 急な引き合いあって 悪いんだけど
 明日位までに 計画設計してもらえるかな?
 本社に頼んでると 間に合わねーからさ~。」
日系企業が マレーシアに ドンドン進出してきた時期で
出張に行く度に 同じ様な依頼を受けて ガシガシ やっつけていた。

で 1992年から マレーシアに居る事になってしまった。
それから 10年強 その人と 仕事を遊んだ。
まるでジェットコースターに乗ってる様な 濃密な年月 WOW!

定年延長で 臺灣に 行かれてからも
請われる度に 馳せ参じた。

引退後 MM2Hでマレーシアで 住んでいられた。
「事後報告で悪いけど 在馬の保証人になってもらったから」
フムフム ハイハイ。

「ネットが繋がらなくったけど どうしてかな?」とか
「最近カントリーに凝っててさ~」とか
忘れた頃に 電話が掛かってきた。
が こちらが電話をしても 決して出ない。

天真爛漫 唯我独尊
本社への報告 一切無し 天性の博打打ち
でも 無駄な一手は 仕事、人に対しても打たない。

「あっ~ あっ 酒をさ~ 置いとくからね~ バイバイ」

俺は この人に救われ 仕事で遊びまくった。
もう 此処に留まる 義理は無い。



「メルありがとうね。
 こちらこそ長い間助けて頂いて大変感謝して
 います。

 1989年出稼ぎに出て今年は2016年約27年間
 の海外生活充分堪能さして頂きました。

 現役時代は本社に稟議書を出した事がなく
 全て事後承諾良く無事に過ごせたというか
 HQのガバナンスの問題だね。命令される
 のが嫌いな自分にとっては大変良い会社
 だったという事になるけど。

 さすがに74歳近くなったら廣川さんのように
 料理が上手でないので日本食文化が恋しく
 なりました。 

 廣川さんも適度なお酒でいつまでも健康
 いてください。
 
 ではサヨウナラ。 」


Bossも元気で サヨウナラ! 




2016年11月4日金曜日

夜空と陸の隙間に潜り込んで

来週は 東海岸の現場に 行く事になった。
発端は 出稼ぎ労働者がイミグレーションの査察で 拘留された事だ。
人口三千万の この国 
60%の多数民族は 頭を使う事も汗を流して働く事も嫌な ノンビリさん
30%の黄色人種は 頭を使ってお金を稼ぐが 汗は流したくない方々。
10%の方々は 深く物事を考えている顔なのだが・・・。
必然的に出稼ぎの方々に頼らざるを得ないのだ。

そして もう一つは 現場に行ってもらっていた日本人が
心臓の痛みを訴え 帰国してもらうしか無くなったからだ。

その現場は CityでもTownでもVillageでも無い 中途半端な所から
10km弱の場所にある。

その中途半端な所には ゲストハウスに毛が生えたようなホテルしかない。
食堂も付いていないので 朝食も夕食も ホテルで摂る事が出来ない。
たった4,5軒の中華屋 もちろん日本食屋は無い。
以前 その内の一軒のホテルに泊まったが 
六畳位の部屋に コンパクトに収まった ベッドとトイレ
窓のカーテンを開けると
道を歩く人と 顔合わせ サラマット・パギッ と言う事になった。

昼は 現場のキャンティーンで 
味がどうのと言う事が出来ないブッカケ飯を食べるしかないのだ。
隣の石灰工場からは キャンティーンの横で
白い煙が吹き まっ なんだな アルカリ食品を食べてるのだな 俺達はと納得する。


さて どうするか?
南に下ると 朝夕食事が摂れるリゾートホテルがあるが
20~40km現場から離れる。

北に目を転じると 現場から10km強の所に 5000円位で
朝食付き 24時間ルームサービスのリゾートホテルがあった。
WiFiは有料だけどね。

チョックラ 行って来ようね そんな所に。
It's most poor area in malaysia or most original malaysia la!



 

2016年10月29日土曜日

血を越えて 御飯を食べよう!

今日は 光の祭典 Salamat Depawali!
夕方 メッタに鳴る事の無い ブザーが リンリン。

隣人が お出でと。

つられて 下に降りると オープンハウスだ WOW!

馬来西亞は 多民族国家だけど
少し ほんの少し 歪んでる。

だけど 皆で お祝いしようよ
一緒に 御飯を食べて

朝の徘徊で 逢う人
出勤時に 逢う人
リフトで 逢う人

みんなで お酒を呑み 御飯を食べる
チョットだけ いい日じゃないか?

僕は 以前から知っている人
徘徊時に挨拶する人
知らない人
お話をして 帰った。




2016年10月28日金曜日

春餅を食べる日

子供の頃の事。

何か 良い事や 親しい人達が家に来る時は
チョット 大きく皮を作り ほんの少し 焼き 春餅にして
いろんな具と餡を挟んで 食べた。
もちろん 子豚の皮も 北京ダックも無いけどね。

幼少の頃から お家にやって来る家族がいた。
いつも お家で 母を先頭に調理した料理を食べるのだ。
この家族 ビッグイーターです。

で 子供達も 同じような 年齢で
ピアノの連弾とかしていた。
次女とは なんか 惹かれ合ってた。

さて この穏やかな時に 
豊田勇造の「走れアルマジロ」をながし ギターでチョット遊んでいると

オジサンが聞いた
拾得はなんて読むんか知ってる?

じっとく!

さすがや ウチの娘達とは ちやう!

と言う事で 次女に嫌われた。
父ちゃんはツライ ツライ。



2016年10月11日火曜日

いつから 三越と伊勢丹が一緒になったやと~♪

この吉隆坡に 伊勢丹が進出したのは
1990年代初頭の ブキビンタンのLot10だった。

リニューアルして 日本のアンテナショップみたいにするらしい。
そこで 今は 三越 伊勢丹HDと言う事を知った。

ナルホド 僕は知ってるよ 関西では
阪急と阪神が一緒になった事を。
総取り「決戦 日本シリーズ」とほくそ笑んだが
もう 阪急ブレーブスが無くなっていた。

で さらに 西武そごうHDが
阪神阪急HDに関西圏の数店舗をと。

そこには 元親会社を抜いてしまった M&A大好き子会社がある。

僕は この国で メガSCに行っても面白く無いし
おんなじテナントが入ってるだけだ。

もう「不思議大好き!」とか 「Be In」ではない。
ましてや 火事で ハシゴを上り下り出来なかった 女子従業員が居る事も無い。

で 僕はオモウ ホントはさ
西武と東武が 一緒になれば良かったんだと。
だって 池袋東口にあるのが 西武で
西口にあるのが東武なんだよ~。

そして この百貨店達も
地方の百貨店を食い荒らして来たんだ。

2016年9月29日木曜日

Long Long Week

今週は 東海岸北の国境の街で 長い 長い一週間を過ごす。
ようやっと 先程 解放された。

この三日半で ワタシの出番は1時間半のみ
放置プレーが続き 今日の午後のまとめでは 座敷童状態。
日本人相手なのに 俺が喋った日本語は ほんのわずかだ。
疲れたぜ ヤレヤレ!

昨夜 ホテルに延泊をお願いすると
ホテルレートは 某A Go だ より高いと!
元々 某A Goだ で予約していたので
もう一泊を予約した。

そして 今朝は 不思議な事になった。
フロントで 先ずチェックアウトし カードキーを返した。
その場で チェックインして カードキーを貰った。
ウ~ン ウ~ン 初めての経験。

既に持ち込んでいた「命の水」が無くなったので
この街でたった一軒の酒屋に寄って
ワインを買って帰った。
明日は 移動だけだ。











2016年9月28日水曜日

ケダルイ午後

さして 作業する事が残っていない現場。
現場事務所で事務仕事のローカルスタッフ二人
この現場での御用が無い俺は 他のお仕事をする。
冷房がきついので ローカルスタッフに了解をとり
エアコン4台中3台を停めた午後。

なんか事務所内が生温かくなってくる。
ジワっとケダルクなり 頭がドヨ~ンとしてきた。
ふと気づくとスタッフ 二人の
キーボードを叩く音が聞こえなくなっていて
Siesta One! Siesta Two!

しばらくすると 二人は起きて 現場に行ってくると出て行った。
二人が何時に戻ってくるか分からないが
暑い現場から 戻って来た時の為に
エアコンを1台 稼働した。

そして 一人になった俺は
まだ あるかも知れない幾つかの事に
妄想を巡らせ始めた。

そんな ケダルイ午後の話。




2016年9月17日土曜日

わたしの小さな古本屋 

本屋さんの棚で ヒッソリと僕を待っている本に出合う事がある。
目に留まった瞬間 立ち読みもせずに 購入して 
人攫いの様に お家に連れて帰り
風にカーテンが揺れ 少しだけ木洩れ日が差し込む
昼下がりのベッドの上で 戯れながら 読んでしまおう。

「わたしの小さな古本屋」 倉敷・蟲文庫店主 田中美穂著も
そうした本の一つだ。

著者が突然始めた 古本屋さん
日常が静かに語られ 紡がれていく エッセイ。
が その文章は 路地の古本屋で 何気なく起こる奇譚集の様だ。

お近づきになった友部正人が 引っ越しの為に 本を送ってくれ
数年後 蟲文庫ライブの出待ち前に その中の一冊を
この本 ボクも持っていたんだけど
いつのまにか いなくなってしまったんだと話したとか。

クラフト・エヴィング商會が 現実世界の倉敷で古本屋さんを
営んでいるような気になってくる。

田中さんのお名前は記憶になかったけど
倉敷 蟲文庫は どこかで聞いたか 読んだ記憶があった。

今日は 良い本を読んだ。
それだけで 幸せな日だ。

2016年9月10日土曜日

ベルウッドの軌跡

労音をひきづっていたURCがあり
なんか良く分からない エレックがありで
登場してきたベルウッドレーベルは
70年代初頭のガキには新鮮だった。
外盤を買うと 大手WBとかだけど
レーベルプリントが LPの中央で廻る様な事。

浴びる様にその頃の音を聴いたのは
「ホーボーズコンサート」だ。

雑司ヶ谷公園の手前に ヒッソリと佇む芝居小屋。
赤テントや黒テントと同じ様に
床に座り 膝立てて 音を聴くのだ。

たった一年程 毎月一週間 ここで音が聴ける。
今日はクラブの集いで とか
親を騙し 金をくすめ 聴きに行った。

俺が録音した テープを返さなかった
立教大学生もいた。
高校生を騙すなよ!

そんな 音の記憶。

2016年9月5日月曜日

酔っ払いの話は いつも聞き流される

とある朝の社内特別執務室で
マネージメントから
「先週の夜の話進めますね」
そうだ 先週 このお方と タイマンで酔っぱらって話したんだ。
あいつをヴェトナムから マレーシアに戻してもらって
俺は 後1年位で 仕事を辞めるよと。

2週間後 ヴェトナムから舎弟が来馬し、
マネージメント同士の打ち合わせ中に二人だけでお話した。

「娘二人 日本の高校に入れなきゃならないし
正直 ヴェトナムの事務所は 居所がなくったので
マレーシアに戻りたかったので 了解してもらって良かったです」
ウン ウン。了解って なんだ?俺が望んだ事なのに。
「私も もう50になったんで ボスが65になる
5年後に引き継げるように頑張ります。」
ン? なんか話が違う。

その晩 ヴェトナム組二人とマレーシア組二人で呑む。
マレーシア・マネージメントが
「みんなボスの体の事を心配しているので
今回の超法規的処置で 後5年 頑張って下さい。」
ハ~?
「現場や出張が減れば まだまだやれますよね!」
エ~?

待て 待て 話が違うだろ
俺が 君に言ったのは
何十年も博打打って 勝ってきたけど
もう 勝ち続ける事は出来ないし 疲れるのだよと。
悪魔に売り渡す歯も もう無いしと。


誰もが 酔っ払いの話は 聞き流してしまうのだ。









2016年8月27日土曜日

納豆本を巡る漂流 或は 悔恨と 懺悔と


バンコク行き三日前に ヒバリちゃんから
高野秀行の納豆本持ってたら こっちに持って来てと連絡があった。

が 持っていない。
今からアマゾンでポチっとしても 馬来西亞に届くのは最短4日後だ。
高野秀行のブログで辺境アジア納豆の連載をしているのは知っていた。
お~ あれが本になったのか!読みたい 読みたい 読みたいのだ!
辺境作家高野本であれば 集中すれば 4時間程で読了する自信がある。
バンコク 37時間滞在中なら 十分だ。
そして ヒバリちゃんに渡せばいいのだ!
後は どうやって入手するかだ。

見透かされたように 名古屋の千晴ちゃんから
ヒマラヤのこれを買って来てと お願いされる。
俺もお願いがあるのだと 物乞い ナマステ。
そして アマゾンで 千晴ちゃんがポチっとして
高野秀行著「謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>」が
バンコクにやって来た!Ya Ya Ya!

その晩は 呑み過ぎと疲れから 荷物も開けず 爆睡。
翌朝 なぜか真っ裸で ホテルのベッドで起きた。
バンコク朝食屋台ツァーで 千晴ちゃんから
「読み終った?」と聞かれ
アマゾンの梱包袋すら開けていないけど 
4時間あれば 余裕で読了さっと!

マングローブ昼食ツァーまで 3時間弱 楽勝さ。
が 前日入手したmintのCRP写真集を眺めつづける。
で 五分の一の76頁しか読めていない。
ホテル前で読書してると ワッキーがそのあたりは チェンマイ?
チェンマイは読み終ったよ
水上レストランで 寝転がりながら 読めば読了さっ!

が 心清き男や 女と話をしていて 一文字も読めず。
まっ 勇造ライブ中に読めばいいさと。

が 本さえ取り出せず 腕ひしぎ逆十字 腕にタップし 
ギブを認めた。
ヒバリちゃん スマン!

その夜は ムラセ姐、千晴ちゃんの部屋で
両手に花とゆめ状態で 枕話をし
翌朝 バンコクから吉隆坡に戻った。

お家に着き 荷を解いていると
な~んと カバーはあるのに 納豆本が無いのだ!

帰馬の飛行機で 読み始め 眠くなったので爆睡
座席前のリーフレットに入れたまま 忘れてしまったのだ。
スマン 千晴ちゃん!

そして俺は アマゾンに自力でポチッとした。
他の納豆本と一緒にね。

で 現時点で 未だ 三分の一 131頁辺りをウロウロしながら
揚納豆モドキを食べている。






 

2016年8月22日月曜日

望んだわけでは無いと 街と人が語り続ける十字路

出版されたばかりの電子写真集を
クアラルンプールの自宅でダウンロードした。
旅の記憶の写真集だから 滞在時間35時間の旅先で読む方が良い。
そして北上し 翌朝 バンコクのホテルで
獣道の横を走る電車の表紙を見てから 写真集を開いた。

鈍色の線路脇の低いプラットフォームを 歩く若い人達の写真と
その場所なのか 街なのか 談笑しながらビールを呑む人達の写真から
その写真集は始まる。

ページをめくっていくと そこには
低コストと生産性向上を目的とし 効率化を図った
70年前のプラントが 線路の向こうにある。
このプラントは 何も生産しなかった。 
当事者が望んだ事では無い死と絶望
そして 従事した人の空虚以外は。

晴天の日 鈍色に見える写真が続き 
雑草の蒼さが 死から 生に繋がる中で
座る 青年の姿。

侵略と狂気に支配され続けたこの国。
街の人は 老いも若きも短い夏を 愛おしむ。
冒頭の聖歌隊と老女
望んだわけでも無い この街の70年前の記憶を
心の何処かに刻みながら 詠唱し 座っている。

表紙の獣道脇の電車の写真で終わり
奥付の筆者の写真を眺めていると
40年前、35年前、25年前に 出くわした悪魔が囁く
やあ~ 久し振りだな 元気だったかい?
ちょっと長かっただろう この旅は
お前がもう一回 魂を売れば 新しい旅に出れるよ と。
そうだよ 俺はまだ選択できるねと答えて 奥付を閉じた。

 
70年前 タイを海上で迂回し マレー半島を銀輪で南下した狂気の部隊。
日の入りのアザーンが流れるこの街 コタバルで これを書いてる。
いつかの 京都 晴天の6月
十字路で 君とすれ違わなかったら
この写真集と出合う事も無かったかも知れないね。

生と死と 過去と未来の十字路で
作者が撮った写真が
誰もが望んだわけでは無い局面に
哀悼と希望を と語りかけてくる 写真集だ。










 

2016年8月16日火曜日

何処かに行ってしまった 街角

俺の好きだった 街角 Jalan Bukit Bintang。
が もう何年もユックリと歩いていない。

そこは 観光客の通りだし 俺にとって 何も無いのでね。

野暮用で 歩いてみると そこは 別世界だった。

まっ いいんだけどね。

 
真夜中のJalan Alor
かつての常宿に折れる 角にその店がある。




クレイポットチキンライス屋台だ。
かつて ビールを頼むと 小学生の子供が 買って来てくれた。
今や 子供も立派に 働いている。

でも この夫婦は まだ ここで 四半世紀以上
美味しいクレイポットチキンライスを作っている。
変わり続ける街角の 変わらない食事と微笑みが好きだな。





2016年8月11日木曜日

2019年に解放されるのを 待っている獣

今朝は 会社のドライバーと免許の更新に行って来た。
これまでは 委任状無しでも 簡単に更新出来たが
在馬外人は 本人出頭だとの事
更に 一ヶ月以上前に 免許の有効期限が切れている。

久し振りに難局を切り抜け抜ければなるまい。
と ドライバーと Jabatan Pengangkutan Jalan(交通局)に向かう。
が ドライバーは何故か助手席に座り 俺が運転する。
う~ん 君のお仕事は ドライバーだよね?
そして 俺の免許は失効しているのだよ?

何か理不尽な気もするが 細かい事を気にしていたら
この国では 生きていけない。

ホラ話をしながら JPJに到着。
整理券を取り ジット待つ事1時間。
手続きに20分、新しい免許を待つ事20分。
何事も無く 新しい免許を頂戴した。

再び ドライバーを助手席に乗せ ホラ話をしながら 会社に戻った。
所要時間2時間 が なんか納得出来ない。
失効中の無免許運転を問われる事も無く 
5年有効の免許だ。
俺のパスポートとワークパーミットの有効期限は後3年だと言うのに。

で この国の誰もが そして俺達も 妙に納得する
Never Mind La ! It's Malaysia !と言いつつ。
What a Wonderful Country?! Malaysia Bole!

で 俺は気づいた 全ては 2019年に向かっている。
2009年から7年が経ち あの年に小学校に入学した子は
制服の裾から ハミダシ 一人夜に濡れる癖を覚える歳だ。

後3年 俺は解放される時を
世界の中心に幽閉された獣の様に
記憶を反芻し ただ ジット待っている。



2016年8月10日水曜日

ある朝吉隆坡に山崎の旦那さんからメッセージが届いた

その日の朝は 治りかけの風邪を押しのけて出社する朝で
それでも やっぱり いつもどおり 濃い珈琲を淹れて
おもちゃみたいなテーブルに向かって 
小人の椅子に腰かけ 朝のメールチェックをしていると
ピロリンとスマフォが鳴った。山崎の旦那さんからや。
あれこれは おかしいぞ なんでかというと
俺の午前7時台は 山崎では 午前8時台
山崎の旦那は 部下が出社する前に
渋茶を呑み 経済新聞を斜め読みしながら
生産性向上と利益向上の為に 誰を苛めるべきか
或は 女将さんに黙って 毛(モー)一本いっとこか! 
と お悩みになられている時間だ。

あっ そうだ 隠れキティラ―の俺と旦那さんで密かに密通している
中国には タイには こんなキティ・グッズが 画像送付されたのか?

意味不明のメッセージがそのSMSに表示されてた。

 
そして 関係無いと思うが 俺のあるSMSと別のSMSかアドレス帳が
「同期をしない」に設定しているのに 同期していた。
夕食の豆腐に頭打ち付け 俺は罪人かと叫んでいた~🎵
 
お仕事関係や知らない関係を全て ブロックし
ほっと 一息ついて 「命の水」を呑み
 
愛された分 愛し返せたら~♪
それだけで 良かったのにね。