2017年4月30日日曜日

スケッチ・オブ・ミャーク@my house theater

ミャーク。
宮古の源語発声だ。

ドキュメンタリー「スケッチ・オブ・ミャーク」
監督は 「とどかずの町で」の大西功一
原案は 久保田麻琴

働く時に唄う唄
過酷な人頭税を収め終り 
収穫を祝い 唄い 踊る 祭り。
女性だけが唄う 御嶽での秘事。

唄う事で 神(先祖)との 交流し
過去を敬い 現在を知り 良き未来を願う。

胸の前で 手のひらを上にし
指を曲げながら 自分に 指先を向ける。
唄と共に 腕は水平を保ちながら 頭に
そして 指は頭に向けられる。

同様な 祈りの行為は イスラム教にもある。

自然の中に 存在する 神々に対し
手のひらを上に向け 自分をさらけ出し
神々を 自分に呼び込むのか?

高齢の長崎トヨさん 船に 飛行機に乗り
やって来た東京では 車椅子に乗られていた。
草月ホールの 詠いでは
椅子から立ち上がり サンバンを鳴らし 唄い 踊られた。

笑いながら 涙してしまった。

I envy these old of Myahk.
They don't have to worry abouto the corrupt world outside,
they have such a complete and happy little scene.
I could be wrong, but look at their faces and listen to the wicked funk music!
Tt's a good place to be, or I'll eat my hat on stage.
by Ry Cooder








2017年4月29日土曜日

MY HOUSE @ myhouse

ずっと前から 観たかった
堤幸彦「MY HOUSE」を観た。

俺が 収入も無いが 生活の不安も無い頃
たかだか 40年位前 うろついていた街がある。
首都高のガード下 ちょっと離れると幾つかの公園がある。

朝の高架下 同じ様な年代の男が
片手に段ボールを抱えて歩いている。

公園でベンチに座れば とある信仰のオバちゃんが話しかける。
で トイレに行けば オッチャンが 話しかけてくる。
「元気ね~な。元気にしてやるか?」

このモノクロの映画からは
個人が街に潜み 過ごす事
場所から 他人を排除してはイケナイ
で 僕らは どうするのか?と問いかけている。


2017年4月27日木曜日

プガジャと村元さんに魅せらて

十代から二十代 それは 1970年代だった。

東京近辺の書店では 置いていない「フォークリポート」を
青山の同潤会アパートで入手したのは 十代前半だ。

で 「プレイガイドジャーナルよ 1971~1985」村元武著 読了。

大阪に「プガジャ」がある事を知ったのは いつなのか 記憶にない。
それは いしいひさいちのバイトくんなのか 中島らもなのか。
ただ 俺がリアルに入手したのは
プガジャマガジン「糸川耀史写真集 グッバイ・ディランII」
「フォークリポートわいせつ事件 満巻 & 珍巻」だ。

フォークリポートから 端を発し
「思想の科学」「ワンダーランドto ペーパーバック版宝島」と読み続け
「プガジャ」に辿り着けたかったが 辿り着けなかった。
「ぴあ」とは違う情報誌。

ニューヨークから 帰って来た勇造が 久し振りにレコーディングをした。
俺は 毎日 国立のマーススタジオに行った。

出来たのは カセットブック「センシミーナ」
プガジャの製作 販売だ。
エルトローボのLPと違い
ライナーノートは その時の今と 次への柔らかい希望だ。
こんな所に 村元さんの気持ちを感じる。

何十年も経って 俺は 偶々 日本 大阪に出張し
江坂のビレッジプレスの事務所(天牛ビル?)に
勇造のCDと金森コウスケのCDを入手に訪ねる。
まるで 10代前半 同潤会アパートに行ったように。

初めて 村元さんにお会いした。





2017年4月13日木曜日

相手の気持ちになって 考えてみる

さて 今回のお客様は チョット~だけ
ご自分方の方式が ワールド・スタンダードとお考えになっていらっしゃる。
納入もオンタイムでなくてはならないのだが
近くの道路で待機してはイケナイのだ。
いろんな方式をお持ちだ。

チョットだけ この仕事スタックしている。
そりゃそうだ 俺んとこのローカル・スタッフに限らず
元請のローカル・スタッフだって ***方式を理解して無いんだ。

俺は なんとく理解している。
例えば *ん*ん方式は 欧米系のパクリカイゼンだ。
オン・タイム納入は 時間的 在庫無駄を排除する事。
ANZENは 人はおバカだから よきしない事をするもんだ。
機械も 制御も おバカで壊れる時があるから
隔離しましょうねって。

で 久し振りに戦闘モード
こうした画一的 不信人な方式を正とする人達と遊ぶには
まず この人達と同じ考え方をする事さ。
で 勉強してます T*Y*T*方式。

チビット言われた 機械のフェンシング
俺達だってやってるよ!

が 悲しい事に 私的お付き合いで なかなか
相手の気持ちになって 考えられない。
愛する事と 愛される事は残酷だ。





2017年4月9日日曜日

You Must Unloading

ワタシの身体は一つしかなく
持ち手は二つしかない
背負える肩は二つ
ボールチェーンを付ける足も二つしか無い。

300km離れた現場は 追い込まれ
20km離れた現場は ナンチャラ方式で全てが遠い
350km離れた現場では のび太君の我儘に悩まされている。
で 明日は 25km離れた処で 新しい荷物を背負い込むに行く。

頭の中だけ フル回転さ。
で 回転を止めて眠るには 思考を停止するしかない。
で 先週は12Lが空になった。

幾つかの河を渡ってきても

さて 久し振りに 集中して
豊田勇造「血を越えて愛しあえたら」「センシミーナ」を聴きながら
「歌旅日記 ジャマイカ編」を青空文庫で読む。
読み辛い。

ジャマイカ編の 一部は LP版ライナーノーツが主になっている。
そのライナーノーツは とても 細かい活字で 書かれていて
約40年前の自分は読めたが 40年後の自分にはルーペが必要だ。

歌旅日記では 
多分 日記のホンの一部が出ている。
歌にならなかった 歌詞。
京商人の 金の細かさ。

ミュージッシャンが 先乗りして
宿を押さえ レコーディングのミュージッシャンを探しながら 金勘定をする。

さて俺はと言えば 
フィッリピン、ベトナムや インドネシア 中国で
約束を果たさない人達に
日払い 現金支払いで 対応してきた。

マジソンスクエア―ガーデンみたいなバッグに
札束を詰め 現場で御支払し
ホテルに帰ると 残金を数えた。

何度数えても合わない 札が多すぎて。
そして 紙幣の製造単価よりも安い 紙幣は
酔っぱらって 窓から 捨てた。

2017年4月3日月曜日

だいぶ ボケてきたかもしれないね

今朝 出社したら
5列向こうの机の 名前も覚えていない
スタッフと話している子がいる。
あれ あれはTanではないか?
君は 300km離れた現場で 未だ結果を出せていない現場で
格闘していなければ ならないのに 何故此処に?
と 呼び留めようとすると 下に降りて行ってしまった。

昼飯時 近くの中華屋で 再びTanを目撃!
で ジ~っと 一分観てみると
同じ名前のTanだが つい2ヶ月程前から 始めたプロジェクトのTanだった。
同じ服 同じ眼鏡なので 朝は勘違いをしていた事になる。
つまり Tanの名前が頭の中に浮かんだが
あのTanなのか このTanなのか 識別できていないのだ。

この十年位 新しいスタッフの名前を覚える事が無い。
一緒に 同じプロジェクトをやれば 覚えるのだが
関わりも無く2,3年で辞めてしまうスタッフもいるので 
頭のメモリーに格納しているスペースが もう充分では無いんだ。

つい先週も 日曜日に電話が鳴った。
「Hi Hirokawa san, How are you? Bryan here.」
ブライアン・ジョーンズは知っている。
が もうトックの昔に お亡くなりになっているのでは?
しかも お友達では無い。

お客様の会社名が出たので もしかしてと
スタッフ名簿を眺めると 居る 居るBryan。
が 顔は思い出せない。

そんな 毎日。