2017年4月27日木曜日

プガジャと村元さんに魅せらて

十代から二十代 それは 1970年代だった。

東京近辺の書店では 置いていない「フォークリポート」を
青山の同潤会アパートで入手したのは 十代前半だ。

で 「プレイガイドジャーナルよ 1971~1985」村元武著 読了。

大阪に「プガジャ」がある事を知ったのは いつなのか 記憶にない。
それは いしいひさいちのバイトくんなのか 中島らもなのか。
ただ 俺がリアルに入手したのは
プガジャマガジン「糸川耀史写真集 グッバイ・ディランII」
「フォークリポートわいせつ事件 満巻 & 珍巻」だ。

フォークリポートから 端を発し
「思想の科学」「ワンダーランドto ペーパーバック版宝島」と読み続け
「プガジャ」に辿り着けたかったが 辿り着けなかった。
「ぴあ」とは違う情報誌。

ニューヨークから 帰って来た勇造が 久し振りにレコーディングをした。
俺は 毎日 国立のマーススタジオに行った。

出来たのは カセットブック「センシミーナ」
プガジャの製作 販売だ。
エルトローボのLPと違い
ライナーノートは その時の今と 次への柔らかい希望だ。
こんな所に 村元さんの気持ちを感じる。

何十年も経って 俺は 偶々 日本 大阪に出張し
江坂のビレッジプレスの事務所(天牛ビル?)に
勇造のCDと金森コウスケのCDを入手に訪ねる。
まるで 10代前半 同潤会アパートに行ったように。

初めて 村元さんにお会いした。