道内から流れて来た父が母と出合ったのは
フォッサマグナの起点 越後の港町。
三歳の頃 埼玉は蕨に移動した。
そこには十年位居た。
家の門には 「廣川寓」と表札が掛かっていた。
人口密度日本一の町
流れ者が 工場で働く街
小学校のクラスでは 三分の一位が
給食費を払えない 生活保護家庭の街
「寓」なのだ。
大宮の片隅 田んぼの ど真ん中に
家が建ち 表札から「寓」が削除された。
そこで生まれ 育った人ばかりの地域。
「寓」は 続く。
相模大野に住む。
良い街だけど 友達は 学業の為に ここに居るので
みんな どっかに帰って行く。
最後まで居たのは 俺ぐらい。
「寓」だ。
大宮倉庫を買いたいと言った人がいたので
大宮に戻るが
会社で寝る生活が続き 倉庫に帰っても
玄関脇の自分の部屋で寝るだけ。
やがて 俺は馬来西亞に住み
倉庫を買いたいと言った人は
生まれ故郷で住んでいる。
生まれ故郷って そんなに良いのだろうか?
馬来西亞 この家で「廣川寓」とは表札を置いていないが
ここもまた「寓」だ。
どれだけ 馬来西亞で暮らす どっかから やって来た人達と
仲良くなっても いっぱい話しても
「寓」なのだ。
「寓」の人は 街に根付いてる人にとって
珍しいから チヤホヤして 味が無くなったら
スルメの様に 唾棄される。
イツカ ドコカニ イッテシマウ。
さて 何処に行こうかな。