2009年12月2日水曜日

1984年にS木さんと京都遠征した事 Vol.1

S木さんは、名古屋の銀行を退職し、80年2月の「ジャマイカ録音ツァー」に参加、
その後 東京に来て、バイト暮らしをしていた。
正しく お酒とポーカーゲーム1089機に お金を注ぎ込みながら、
貧しくも清く生きている女性だった。
そして あるまじろ無限公司の強力呑み助スタッフ。

何かと言うと 一緒に呑んでいた。
彼女のお家では、昆布一枚と豆腐一丁を鍋に入れた湯豆腐を肴に
正しく茶碗酒を呑んでいた。

1984年の6月位。
そんなS木さんと勇造ライブ初めての京都遠征を敢行した。
当時まだ運行されていた「東海道本線普通大垣止まり最終」に乗って、
呑み明かして、在来線に乗り換え、京都に行くって、素晴らしい計画の・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・はずだった。

総経理は、新宿にあった 庄司さんの韃靼で「六調子」を正しく呑んでから、
待ち合わせの東京駅に 中央線で向かったが、ふと起きると「吉祥寺」だった。
慌てて、引き返したが、「東海道本線大垣止まり最終」は、とっくに発車。
ホームには S木さんの影も形もない。
携帯なんぞない時代なので、連絡とれず。

あぁ、S木さん 女独りで行ってしまったのね。

朝一番の「ひかり」に乗れば、(まだ「のぞみ」が無かった)
大垣から乗り継ぐ在来線より、30分以上早く京都に着く。
「ナイス! やったね!」小躍りしてしまいました。

一発逆転の目処もたったので、
総経理は 朝を待つ為に 深夜でも開いている呑み屋へ Go、Go!

そして・・・・・
Vol.2に続く。
外れてしまった2333、トンカツ揚げるのは、大変ニャァ~。