2022年5月28日土曜日

東征或いは征夷を巡る二つの英雄奇譚 其の二 阿弖流為と坂上田村麻呂

其の一に書いた あったかどうかも分からない倭建命の東征から、数百年が経ち、ほぼ数百年前と変わらない前線(むしろ後退している)で倭の国は再び、東征、征夷を行う。

先ず、砦麻呂の乱があった様だが真相は不明、ここで石巻南部の最前基地多賀城を失う。

それから数十年後に、陸奥最大のヒロイック・ファンタジーの阿弖流為と坂上田村麻呂が突如登場した。

陸奥とは、陸の奥、陸の行き止まりの意味だ。

がっ、阿弖流為(蝦夷の本拠)は胆沢(現岩手水沢近辺)なので 陸の行き止まり(大間)350km位あり、当時だったら途方も無い彼方なのだ。

当時、阿弖流為は現十和田なんぞに居なかったのだ。

阿弖流為に馴した蝦夷部族 陸の行き止まり北方に散じ、阿弖流為は500人の族と投降する。

そして坂上田村麻呂は阿弖流為を捕縛し、都迄連行し、助命嘆願するもののバカ達が阿弖流為の首を切り、田村麻呂は慟哭す。チャンチャン。

とは終わらない。幾つかの祭儀に於ける東北映像資料を観た。

その祭儀は、阿弖流為或いは後付け凶賊悪路王に捧げられているそうな。

祭儀に重要なのは、歌舞音曲だ。リズムと舞が プチチョム、チャンゴチュム、ヒャンバルム、サルムノリにクリソツなのだ!

 

蝦夷の戦法は 騎馬民族のゲリラ戦で、坂上田村麻呂はこの戦法を学び、戦ったのではないかと思う。それは、かつて騎馬民族の倭人だった血が蘇ったのかもしれない。

 

日本仔は 何処から来たのか?元々居たのか?って命題がある。

例えば 香港辺りから臺灣経由でとか、東南亜細亜のどっかから、フィリピンからの船旅漂流説、シベリアから徒歩南下説が入り乱れている。

その中で最も頷けるのは 韓から来た人達が 原人と混触しながら 何となくなってしまっただ。

海を渡った韓の人達が南に辿り着いたり、北に辿り着き 果てし無い漢民族闘争をしたのかも知れない。

それは妄想のヒロイック・ファンタジーの世界。

 

この妄想を与えてくれた 水沢出身のバカデブズームと苦節30年未だ津軽弁が理解できない子午線午の助(阿弖流為は青森出身じゃねーよ)に謝意を。

そして 子午線午の助がコミットした映画(?)「阿弖流為」を座して待つ。

 


2022年5月27日金曜日

東征或いは征夷を巡る二つの英雄奇譚 其の一 倭建命

 

オレがヒロイック・ファンタジー、幻想と怪奇、オカルト等小説に嵌まり込んで行ったのは、1970年 早川文庫の団精二、鏡明訳のR.E.ハワード「英雄コナン」シリーズを読んだからだ。

欧英米の作家は、古代からの伝承をモチーフにして肉付けして、小説化した。

近代日本では、有名なのは栗本薫のネバーエンディングストーリー「豹頭王グイン・サーガ」だけど、この極東島国の古代伝承から小説化したのは7080年代の豊田有恒だと思っている。

なかでも代表的なのは倭建命シリーズ、阿弖流為シリーズだ。

極東島国の古代は、平安時代初期(9世紀)位迄で、神話的伝承的或いは時の支配者の正統性を御都合主義で捏造する魏志倭人伝ならぬ偽史倭人伝として成り立つ時代だったろう。

古代から中華には、東夷、西戎、南蛮、北狄と言った四夷(夷狄)の思想があり、華人住まう国の四方の民族は 蛮族で蛮族が我が国を脅かし侵略してきてるから、仕方なく防衛しつつ少しでも前線を押し戻してるのよと現在の3大国がやってる事をやっていた。

話は本題に戻るが、古代倭の国(出所不明天ちゃん黎明期)も そんな訳で数度征夷(東夷)を行っている。

先ず倭建命が、女装して川上梟帥を寝所で寝首を掻き熊襲征伐した西征の後、東征に向かった。

どうも此の頃の倭の国の東支配権は、現在の愛知位迄だった様だ。

尾張国造家に寄宿し、娘と婚約した後、駿河に向かい、抵抗に会い、焼津、草薙剣の伝承になる。

この辺りから ヒロイック・ファンタジーになっていく。

その後相模国に辿り着き、現横須賀から現木更津に船で渡るが「こんな小さな海は一跳び」(後年 「時間のラセンをひと飛び」に転用された)と言って、神の怒りを買い、妃を海に投げ込んで難を逃れ進軍を続ける。

ここからは陸路と海路の二説あるのだが、最終的には旧北上川(石巻辺り)で蝦夷と対峙し、勾玉鏡で太陽光を反射し、蝦夷が平伏したそうな。

 

が倭建命の英雄神話は、本来であれば 都に戻り 万歳三唱で物語がシャンシャン、お後がよろしい様で、ご機嫌よ~と終わる筈なのに「オイディプス王の悲劇」を越える悲劇神話となる。

倭建命は、南下し常総・武蔵から何故か一転し越に行き、臼井、甲斐に入り、尾張に現れる。

そして婚約していた娘と初夜を迎え、しょうもない歌を詠むとある。

「さ寝むとは あれは思へど ながけせる おすひの裾に 月たちにけり」

そして、伊吹山の神と草薙剣無しで対決し秒殺され、ズタボロで都に帰ろうとするが、能煩野(三重県亀山辺り)のどっかの山で野垂れ死にす。

辞世の歌は「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」だったそうな。

そう言えば 遠藤・タケル・勝久と名乗る奴が居たな。

其の二は 阿弖流為だ。座して待て!

 

 

2022年5月21日土曜日

極私的文房具史 筆記具偏其の一

 

小学一年生以前の筆記具の記憶は無い。

幼稚園、保育園には入園していないので、皆でお絵描き、皆で唄おう、皆でお昼寝をした事が無い。

姉が5歳、オレが3歳の時に引っ越した事で 姉が幼稚園に行くのが中途半端だったからだと思う。

オレには、書き方帳に一日数頁埋めるノルマがあったので、鉛筆位は持っていた筈だけど。

これがオレの悪筆人生の始まりだった。書き順が存在している事を知らない、最初の数〼にある点々が何の為にあるのか、〼の中に一字を形よく納めるとかを理解せず、ノルマ達成に励んでいたのだ。


 

小学生になり、Uniのダース箱が親から支給された。

プラケースに1ダースの鉛筆と鉛筆削り(消しゴム)がセットになっていた。

従って、筆箱を買ってもらった事も、ナイフで鉛筆を削った事も無い。

家にはハンドル式や電動鉛筆削りもあったし。

重度手ガッケのオレがナイフで鉛筆を削るなんて出来る分けが無いのだが。

重度手ガッケと言えば、低学年の頃は 手先で何かする様な書道、書き方、算盤、お絵描き等々の塾は全て数回で行かなくなった。

悪筆はドンドン進行した。最悪なのはテストだった。

問題内容も答えも即座に分かりかつテスト時間の半分以下で全回答を終える事を目標にしていた。答えが当たってりゃいいのだ。

択一問題で 番号や〼にレ点やら〇やら×を付けろについては、言われた記号を付けない、〼からはみ出す、〇が〇に見えない、×が×に見えない、最悪はレ点でVに見えたらマシな位だ。いまでも カタカナのソとン、平仮名のあとお、ねを書くのは苦手、さらに テンプレートで〇を書いても真円にならない。

同じ様な大きさで真っ直ぐ書いて行く事をしないので、文書回答や数式を示し解を導き出す問題では回答空欄に収まらないので、テスト用紙の裏側を使う。

よって、100点の筈なのに減点されてしまう。

抗議すると馬鹿は叫ぶ!読めない字を書くからだ もっと丁寧に回答しろと。

全学連は こういった抑圧的な社会に抗議してるんだと この頃知ったんだ。

 



小学高学年になり、進学教室に週一で通い始めた。

週一講義&テストで結果は、家に郵送される。これまでと同じで 正解なのに×やら△が付いて来る。

このテストの採点をしているのは 講義のセンセでも 事務員でもなく、現代であれば SNSやチャットにハンドル名で嫌らしい言葉をカキコする名前も顔も知らない不特定多数の誰かなので、抗議しても意味が無い事を理解した。

対策を検討したんだ。数秒~1分で書いていた回答を2倍の時間で書こう。

そして、これは親から支給されている鉛筆がUniである事が決定的な問題なのだと結論す。

あのUniの消しゴムだって怪しいじゃないか、キチンと消えてる事が無く薄黒い消し後の上の字なんか 判然としないし。

そもそも Uniの鉛筆削りも オカシイ。そうだろ、あの穴に鉛筆を差し込んで 鉛筆を回せば回すほど 永遠に削れていく永久運動、角度が悪いと尖った芯が折れてしまう。

消費を促す 何か財閥系企業のが 小学生の御小遣いを搾取するイヤラシイ資本主義が背後にあると感づいた。

世界にはオレにピッタリの筆記具あるはずだし、もしかしたら 思っただけで明朝体で綺麗に書いてくれる筆記具もあるかもしれない。世界は広く、工業技術は発展の一途。

進学教室に行くには高田馬場で乗り換え、中野に行く。帰りも同じだ。

馬場の駅前には、いつも全学連の隊列があり、アジテーターの煽りと隊列のコール&レスポンスがあった。

オレは キットこの運動がオレのUniからの解放の為に戦ってくれているのだと思った。

そして 進学教室の帰りは、中野から丸の内線で新宿 紀伊国屋、銀座 伊東屋に寄り道し オレの筆記具を探す旅に出た。

新宿騒乱の年の頃だった。