小学一年生以前の筆記具の記憶は無い。
幼稚園、保育園には入園していないので、皆でお絵描き、皆で唄おう、皆でお昼寝をした事が無い。
姉が5歳、オレが3歳の時に引っ越した事で 姉が幼稚園に行くのが中途半端だったからだと思う。
オレには、書き方帳に一日数頁埋めるノルマがあったので、鉛筆位は持っていた筈だけど。
これがオレの悪筆人生の始まりだった。書き順が存在している事を知らない、最初の数〼にある点々が何の為にあるのか、〼の中に一字を形よく納めるとかを理解せず、ノルマ達成に励んでいたのだ。
小学生になり、Uniのダース箱が親から支給された。
プラケースに1ダースの鉛筆と鉛筆削り(消しゴム)がセットになっていた。
従って、筆箱を買ってもらった事も、ナイフで鉛筆を削った事も無い。
家にはハンドル式や電動鉛筆削りもあったし。
重度手ガッケのオレがナイフで鉛筆を削るなんて出来る分けが無いのだが。
重度手ガッケと言えば、低学年の頃は 手先で何かする様な書道、書き方、算盤、お絵描き等々の塾は全て数回で行かなくなった。
悪筆はドンドン進行した。最悪なのはテストだった。
問題内容も答えも即座に分かりかつテスト時間の半分以下で全回答を終える事を目標にしていた。答えが当たってりゃいいのだ。
択一問題で 番号や〼にレ点やら〇やら×を付けろについては、言われた記号を付けない、〼からはみ出す、〇が〇に見えない、×が×に見えない、最悪はレ点でVに見えたらマシな位だ。いまでも カタカナのソとン、平仮名のあとお、ねを書くのは苦手、さらに テンプレートで〇を書いても真円にならない。
同じ様な大きさで真っ直ぐ書いて行く事をしないので、文書回答や数式を示し解を導き出す問題では回答空欄に収まらないので、テスト用紙の裏側を使う。
よって、100点の筈なのに減点されてしまう。
抗議すると馬鹿は叫ぶ!読めない字を書くからだ もっと丁寧に回答しろと。
全学連は こういった抑圧的な社会に抗議してるんだと この頃知ったんだ。
小学高学年になり、進学教室に週一で通い始めた。
週一講義&テストで結果は、家に郵送される。これまでと同じで 正解なのに×やら△が付いて来る。
このテストの採点をしているのは 講義のセンセでも 事務員でもなく、現代であれば SNSやチャットにハンドル名で嫌らしい言葉をカキコする名前も顔も知らない不特定多数の誰かなので、抗議しても意味が無い事を理解した。
対策を検討したんだ。数秒~1分で書いていた回答を2倍の時間で書こう。
そして、これは親から支給されている鉛筆がUniである事が決定的な問題なのだと結論す。
あのUniの消しゴムだって怪しいじゃないか、キチンと消えてる事が無く薄黒い消し後の上の字なんか 判然としないし。
そもそも Uniの鉛筆削りも オカシイ。そうだろ、あの穴に鉛筆を差し込んで 鉛筆を回せば回すほど 永遠に削れていく永久運動、角度が悪いと尖った芯が折れてしまう。
消費を促す 何か財閥系企業のが 小学生の御小遣いを搾取するイヤラシイ資本主義が背後にあると感づいた。
世界にはオレにピッタリの筆記具あるはずだし、もしかしたら 思っただけで明朝体で綺麗に書いてくれる筆記具もあるかもしれない。世界は広く、工業技術は発展の一途。
進学教室に行くには高田馬場で乗り換え、中野に行く。帰りも同じだ。
馬場の駅前には、いつも全学連の隊列があり、アジテーターの煽りと隊列のコール&レスポンスがあった。
オレは キットこの運動がオレのUniからの解放の為に戦ってくれているのだと思った。
そして 進学教室の帰りは、中野から丸の内線で新宿 紀伊国屋、銀座 伊東屋に寄り道し オレの筆記具を探す旅に出た。
新宿騒乱の年の頃だった。