2015年11月23日月曜日

元始、女性は太陽であった

とは 「青鞜」発刊号 平塚らいてうの初頭文の表題。

同時期に 羽仁もと子は「婦人之友」「友の会」「自由学園」を展開していく。
婦人運動家と両者が言われながら 180度違うお二人です。

戦後 昭和一桁世代の 家庭の女性(母の世代)を魅了したのは
羽仁もと子 「友の会」だと思う。

俺が物心がついた頃には
母は カトリックで 週に何回か
「友の会」の聖地 池袋に通っていた。

おかげで 俺は 地元の教会の日曜学校に通い
お小遣い(月給)を支給頂いた 小学校一年から
お小遣い帳で 収支管理され、
自由学園の児童と同じように
吊りバンド黒の半ズボン、編み上げ革靴で 市立の小学校に通わされた。
家では 家族で料理をし
家にある本は どんな本でも 読んで良かった。
それが たとえ「週刊新潮 黒い事件簿」瀬戸内晴美の不倫小説でも。

母のどういった思考回路で そうなったのか不明だが
自由学園には 大学が無いので 小学校4年から
進学教室に通う。

さすがに60年代後半 半ズボン 編み上げ革靴では
池袋、高田馬場、新宿、中野を歩けない。
VANのシャツやら 長ズボンを買って貰う。
が お小遣い帳の左上の 収支欄に
母の手書きで 貸付金として 赤字で購入費が記載され
おかげで 地獄の返済が 長年続いたものだ。

後年 文芸坐や発見の会に行っていた時
母から お前は毎日何処に行っているのだと問われ
池袋だよと答えると
それは 良い所に行っているねと言われた。

で 俺は いまだにお小遣い帳をつけ
如何に収支をあわせるか 悩んでいる。

ほとんど目が霞んでいる母には
俺のお小遣い帳を見る事は出来ないけどね。