2010年1月28日木曜日

豊田勇造は、もう タイに居るのだろうか?

冬のLiveを終えて、勇造さんは、3月中旬位まで、充電期間。
タイに行って、周辺諸国も 旅するんだろうな。
吉隆坡に来て、「醇豆腐」食べに行こうよ。ねぇ、ヒバリさん!
ツァーとは、違う旅で、ゆっくり充電して、春からまた唄ってね。

84、5年頃から勇造さんとカラワンとの親交が深まり、
タイ好きの人達から、Liveのお知らせが来る様になった。
主催者の方々から御誘いを頂いたけれど、
あ無公を遊眠した総経理は、かなり失礼してしまった。
余談だけど、その頃の主催者に神谷一義さんの名前がある。
Off-noteの主宰者と同一人物かな?

87年5月発行 「勇造通信Vol.3」 B5一枚 片面印刷。
青森から宮崎まで会員75名。土田会長の後記に、「出羽!」が無い。

88年4月のカセット・アルバム製作のお知らせ。
アルバム・タイトルは「ポチャナ」 ほえっ!?
5回目の一口出資制、これが最後じゃないかな。
この時は出資しなかったが、
76年からの追っかけで初めて、ケースにサインを貰った。

88年8月 勇造さんから タイに住むよって連絡があった。
4年後、入れ違いで 総経理は 馬来西亞に住む様になった。

ハヤシライス、サラダ、目玉焼き、オニオン・スープ

勇造幼馴染のおっちゃんが、昨日 久し振りに営業しに来よった。
円山の後、桃谷のガレージに、勇ちゃん 聞きに行ったでぇ、
今回 関空でインドのビザ切れ発覚、インドへは出直しや、
タイも行かなアカンし、タイで勇ちゃんに会えまっしゃろか?とか。
一人で喋くって 帰らはった おっちゃん 何しに来たん?
自分のローカル・スタッフ 横で寝てたでぇ!

アジアの片隅で 良い子は、みんな お休み。