2011年8月23日火曜日

いつも ヘロヘロの 勇造バンコク・ライブ 其の一

さて今年も行ってきました 勇造バンコク・ライブ!
2時半過ぎに、バンコク入管手続き完了して、
空港線、BTSを乗り継いで ホテルにチェックイン。
部屋の時計を見ると、余裕があったので、
シャワーを浴びて、ビールを呑んで まったりしてた。



何気なく 携帯の時計を見ると なんて事か もう5時を激しく過ぎていた。
部屋の時計 20分遅れだったのね。
ヘロヘロ、汗だくで会場に着いたのが 6時ちょっと過ぎだった。
まだ開演してなかった。よかった よかった!

バンコク無宿さんから ビールを一本頂く。
日本からツアーで来たカンチ、さくら大姐、けい子ちゃん、ムラセさん、ひろみさん、
アローイさん、毎回 単独で日本から来られる御夫婦(あぁ いつもお名前を失念)、
バンコク滞在中の鯖丼と再会する。

そしてS木真由美さんと20年振りの再会!
お互い 外見は老けてしまった。でも 中身は何も変わっていない二人。

再会した皆さんとガヤガヤしているうちに、
ライブ開始!

O.Aは、タイの若い人が2曲(一曲は「花」)、キタンチャリーの長女と旦那さん、
そしてカンチが登場!
予習していった「おっさんのブルーズ」は今回やらなかった。
「Knocking on Haven’s Door」のメロディーに乗って、
「No Nukes, One Love, Good Music」を唄った。
カンチ メッセージのある唄も 出来るじゃないか!



メコンを置いて無かったので、サンソムをグビグビ。
キタンチャリー一家が始まる。
一番下の娘が大きくなっていて吃驚!
キタンチャリー一家も「花」を演奏する。


そして サンソムをグビグビ。また グビグビ。

いつも ヘロヘロの 勇造バンコク・ライブ 其の二

グビグビしていると 毎度の事であるが ヘロヘロになって来た。
勇造Tシャツ代金、さあもういっぺんプロジェクト支援金、
御土産、S木真由美さんに渡す写真、あるまじろ通信のCD、
これらは、開演前に渡してあるので、ヘロヘロになっても大丈夫だいっ!

勇造さん 登場!
森さんがアコーディオン、ベースで共演。
キタンチャリーと一緒にやったりして、
最後は、カンチと着流しの男女二人組も加わって、
バンコクライブ恒例のタイ・ダンシング・タイム!
くじ引きでTシャツをGET。




ヘロヘロなので、細かい事は覚えていないし、
写真も手ブレをはるかに超越したものばかり

さくら大姐を激写!


でもね 今回心に滲みた一曲は、「それで十分」!
♪命あれば それで十分~♪
このフレーズで、東日本大震災の被害に遭われた人、不安定な原発の事、
そして 20年振りに再会したS木真由美さんの事を想った。

打ち上げで 更にヘロヘロになって、
どなたかが呼んでくれたタクシーにS木さんと乗り込んだ。
タクシーが道を間違え すごく時間が掛かってホテル着。

皆とロビー前で待ち合わせてたような気がするが、
誰も居なかったので、部屋に戻る事にした。

いつも ヘロヘロの 勇造バンコク・ライブ 其の三

S木さんと部屋で 呑み直し、お話しする。
共通の心配事は、「我々は R中ではないのか?」
S木さんがお酒の飲めない身体になったと佐々木くんから聴いていたが、
お酒が呑めないのではなくて、ビール以外のお酒が呑めなくなっただけ、
酒量は変わっていない、未だに只野酔払姫だ。
お互いヘロヘロなのだが、S木さんは6時にバンコク駅に、
こちらは7時過ぎには、空港に行かなきゃならない。
小一時間ほど 仮眠する事にした。

で、S木さんの御目覚めアラームが鳴り響く。
が 彼女 モソモソして起きない。電車止めてバスで行くと又寝てしまう。
全く 昔と変わっていないよ S木さん!

いつでも目覚めの良い総経理は、キチンと起きて シャワーを浴びる。
部屋番号らしきメモを発見したので 電話するがガチャリと切られてしまった。
誰だったんだろうか?
S木さんを叩き起こして、部屋を撤収。
ホテルのビュッフェで朝飯を二人で食べる。
最初はカオサンからバスに乗る予定だったS木さん。
心変りして 空港からバスに乗る事にした。
別れ難い二人一緒にタクシーで空港へ。
昨夜からの続き タクシーの中でもヘロヘロお話ししてました。

時間は容赦なく来て空港に着いてしまった。
「このまま どっかに旅に行きたいな」っとS木さんがポツリと言う。
あぁ それもいいかもしれないと思った。

「20年後にまた会おうよ 生きてないかもしれないけど」
とS木さんとお別れして バンコクを離れた。

今年も皆さんに迷惑をお掛けしながら バンコクツアー終了。
皆さん また来年お会いしましょう!
あっ S木さんもね!




親切などなたかが 総経理のカメラで撮影してくれた記念写真