2021年10月6日水曜日

外食グルメ・ブームとは無関係に食べて来た!

阿古真理著「日本外食史」第二章 外食50年 まで読み進む。

日本人の外食は 1970年に始まり 外食元年と呼ぶそうだ。

これまでも 他の食文化研究家も同じ様な事を書いている。

基本となるキーは 1970年に千里丘陵筍畑跡地万博があり 国民の半分が押し掛け 各国の料理を 初めて食べたみたいだ ホントかな?。

そして 70年代前半 ファミレス、ファスト・フードが 開業したからだそうな。

家の近所のラーメン屋や蕎麦屋、定食屋、百貨店の食堂で食べる事は 1970年以前もあったのでは無いのか?それは 外食とは言えないのか?

当時 開業したファミレスやファスト・フードは 暫く 1店舗運営 ましてやファミレスは 郊外の街道沿い営業で 集客能力があったとは思えない。

1957年生れのオレは 千里万博に行っていない国民の半分である。

ファミレスが開業した事を当時オレの家族は知らんし 車も無いので 街道沿いには 行かないし興味もなかった。

オレが 初めて ファミレスっぽい所に入ったのは 大学向かいのペコ屋 1979年の事だ。

がっ そんな事は 些細な事だ。

千里万博で 日本人の半分(?)が 初めて 異国料理を食べて 衝撃を受け、1980年代のバブルあたりからのフレンチ、イタ飯、エスニック等々のグルメ・ブームに繋がって外食文化が開花していくのだ的な論拠に オレはハゲシク反応する 個人的に。

1960年代前半から 新橋第一ホテルのワールド・ビュッフェ、新宿中村屋や高野、アスターに 家族に引きずられ 世界各地の食べ物を食べに無理矢理 泣きながら連れて行かされた。

それが ホントの現地の味だったかは別にして。

オレにとっては 土日の夕方からは 研究しなきゃいけないTVがいっぱいあるのだから 当時の家から歩いて1分の狭い焼き鳥屋で 皮と軟骨 塩でぇ~、カシラとレバーはタレでと 家族のササヤカな外食をチャッチャと30分位で切り上げたかったのだ。

その上 父の海外出張も多く 帰って来ると アレが旨い こんな味だったとノタマイ 母が試作する。トーゼンの様に オレは下請けンと化す。がっ これは違うっ!と卓袱台返しをする 父が居た∼♪。

味を論理技術的に伝えきれず 他人に再現して頂くのは 論理的ではないと 判断したのか 父は 臺灣や韓国、馬来西亜位からは 現物を帰国日早朝の市場で 恐らく現地のスタッフに 調達させて 帰国する様になった。 

例えば ローストダック 一羽、虱目魚粥、魯肉飯 牛肉麺 抜き、キムチ各種各1㎏、肉骨茶(素では無い) 、各種チリ、各種醤油 魚醤等々。

その後も オレの家族の外食は 1980年代前半まで続いた。

街の路地を歩いてたら 印尼が 地中海が 独逸が メヒコが 日本各地食べ物等々と 情報をコレクト・コールで交換し 一緒に御飯を食べた。父母が お代を払ってくれるので。

なんかその~ グルメブームとは 全く無関係だった個人的外食史 。 

ただ 食べた事無い料理を食べ それを再現してみよう 或いは 再び食べに行こうと思う事が大事な気がする。

こんな 時でもね。