オレがヒロイック・ファンタジー、幻想と怪奇、オカルト等小説に嵌まり込んで行ったのは、1970年 早川文庫の団精二、鏡明訳のR.E.ハワード「英雄コナン」シリーズを読んだからだ。
欧英米の作家は、古代からの伝承をモチーフにして肉付けして、小説化した。
近代日本では、有名なのは栗本薫のネバーエンディングストーリー「豹頭王グイン・サーガ」だけど、この極東島国の古代伝承から小説化したのは70~80年代の豊田有恒だと思っている。
なかでも代表的なのは倭建命シリーズ、阿弖流為シリーズだ。
極東島国の古代は、平安時代初期(9世紀)位迄で、神話的伝承的或いは時の支配者の正統性を御都合主義で捏造する魏志倭人伝ならぬ偽史倭人伝として成り立つ時代だったろう。
古代から中華には、東夷、西戎、南蛮、北狄と言った四夷(夷狄)の思想があり、華人住まう国の四方の民族は 蛮族で蛮族が我が国を脅かし侵略してきてるから、仕方なく防衛しつつ少しでも前線を押し戻してるのよと現在の3大国がやってる事をやっていた。
話は本題に戻るが、古代倭の国(出所不明天ちゃん黎明期)も そんな訳で数度征夷(東夷)を行っている。
先ず倭建命が、女装して川上梟帥を寝所で寝首を掻き熊襲征伐した西征の後、東征に向かった。
どうも此の頃の倭の国の東支配権は、現在の愛知位迄だった様だ。
尾張国造家に寄宿し、娘と婚約した後、駿河に向かい、抵抗に会い、焼津、草薙剣の伝承になる。
この辺りから ヒロイック・ファンタジーになっていく。
その後相模国に辿り着き、現横須賀から現木更津に船で渡るが「こんな小さな海は一跳び」(後年 「時間のラセンをひと飛び」に転用された)と言って、神の怒りを買い、妃を海に投げ込んで難を逃れ進軍を続ける。
ここからは陸路と海路の二説あるのだが、最終的には旧北上川(石巻辺り)で蝦夷と対峙し、勾玉鏡で太陽光を反射し、蝦夷が平伏したそうな。
が倭建命の英雄神話は、本来であれば 都に戻り 万歳三唱で物語がシャンシャン、お後がよろしい様で、ご機嫌よ~と終わる筈なのに「オイディプス王の悲劇」を越える悲劇神話となる。
倭建命は、南下し常総・武蔵から何故か一転し越に行き、臼井、甲斐に入り、尾張に現れる。
そして婚約していた娘と初夜を迎え、しょうもない歌を詠むとある。
「さ寝むとは あれは思へど ながけせる おすひの裾に 月たちにけり」
そして、伊吹山の神と草薙剣無しで対決し秒殺され、ズタボロで都に帰ろうとするが、能煩野(三重県亀山辺り)のどっかの山で野垂れ死にす。
辞世の歌は「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」だったそうな。
そう言えば 遠藤・タケル・勝久と名乗る奴が居たな。
其の二は 阿弖流為だ。座して待て!
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