2009年12月31日木曜日

唄が出来、唄う迄に必要な時間とは

豊田勇造F.C.は1975年7月に発足し、あやふやな時期があるが、
1987年から土田さんが第2次F.C.会長となり、今年で34年目となるはず?
今回発掘してきた古文書の中にこんな物があった。
豊田勇造F.C.機関紙「アルマジロ」
第1次F.C.会長栢下さんの頃、会員に配布されていた機関紙だ。
会長の文中に、「二千円もの大金はたいて会員」とある。
機関誌創刊号は、1976年1月1日発行(定価250円)、
同年5月20日に2号(以降定価300円)、1977年6月1日に3号、
1978年6月24日に4号が出ている。5号の配布は不明。
87年5月の「勇造通信」Vol.3  も発掘。

4号に勇造寄稿文「今、うたうこと」があった。

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そう、2007年CD「夢で会いたい」の3曲目「はだしの歌うたい」だ。
年間4~10回位聞きに行っていた76年から91年までのライブで、
怪しい記憶ではあるのだが、この歌を聞いた事が無い。

勇造Freak のSet List宝庫「さくらWeb文庫」で確認すると、
最古の記録は、2002年5月12日in 南風楽天
「裸足の唄うたい」(ママ)となっている。
今までに 一度も聞いていない唄もある事だから、
まぁ、2002年以前に出来たのだろう。

もし、98年頃に唄い始めたのだとしたら、
寄稿文から20年経っている事になる。

この寄稿文が、どの時点で唄になったのか?
唄になるまで、勇造はこの寄稿文を何度読み返したのか?

30年の時を超えて、結びつく文と唄。

78年から30年以上経ったインドで、
はだしの歌うたいは 今も 唄っているのだろうか?


刺身とトロロブツ

さて、あと一日 良い子は明日も夜更かしかな。

3 件のコメント:

  1. 完全に乗り遅れちまったですが…。
    雪ん子は79年に「はだしの歌うたい」を地元で聞いています。
    歌詞も、コード進行も、曲調も現在のモノとはチト違っていますが…。
    何かの参考になれば…です。

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  2. to 湯金庫
    79年に「はだしの歌うたい」を聴いておったか!
    いかに 違っていたのか、
    事細かく、考察の上、レポートを提出せよ!

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  3. 総経理、しばしのお待ちを!
    ただ今頑張っておりますが、歌詞の所々が消えています。
    う~ん、2~3日中に知ってる(思い出す)範囲を
    投稿します。
    あとは、他の(キチンとした)Freakの方々にお任せって事で…。

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