1987年から土田さんが第2次F.C.会長となり、今年で34年目となるはず?
今回発掘してきた古文書の中にこんな物があった。
豊田勇造F.C.機関紙「アルマジロ」
第1次F.C.会長栢下さんの頃、会員に配布されていた機関紙だ。
会長の文中に、「二千円もの大金はたいて会員」とある。
機関誌創刊号は、1976年1月1日発行(定価250円)、
同年5月20日に2号(以降定価300円)、1977年6月1日に3号、
1978年6月24日に4号が出ている。5号の配布は不明。
87年5月の「勇造通信」Vol.3 も発掘。
4号に勇造寄稿文「今、うたうこと」があった。


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そう、2007年CD「夢で会いたい」の3曲目「はだしの歌うたい」だ。
年間4~10回位聞きに行っていた76年から91年までのライブで、
怪しい記憶ではあるのだが、この歌を聞いた事が無い。
勇造Freak のSet List宝庫「さくらWeb文庫」で確認すると、
最古の記録は、2002年5月12日in 南風楽天
「裸足の唄うたい」(ママ)となっている。
今までに 一度も聞いていない唄もある事だから、
まぁ、2002年以前に出来たのだろう。
もし、98年頃に唄い始めたのだとしたら、
寄稿文から20年経っている事になる。
この寄稿文が、どの時点で唄になったのか?
唄になるまで、勇造はこの寄稿文を何度読み返したのか?
30年の時を超えて、結びつく文と唄。
78年から30年以上経ったインドで、
はだしの歌うたいは 今も 唄っているのだろうか?
刺身とトロロブツ
さて、あと一日 良い子は明日も夜更かしかな。
完全に乗り遅れちまったですが…。
返信削除雪ん子は79年に「はだしの歌うたい」を地元で聞いています。
歌詞も、コード進行も、曲調も現在のモノとはチト違っていますが…。
何かの参考になれば…です。
to 湯金庫
返信削除79年に「はだしの歌うたい」を聴いておったか!
いかに 違っていたのか、
事細かく、考察の上、レポートを提出せよ!
総経理、しばしのお待ちを!
返信削除ただ今頑張っておりますが、歌詞の所々が消えています。
う~ん、2~3日中に知ってる(思い出す)範囲を
投稿します。
あとは、他の(キチンとした)Freakの方々にお任せって事で…。