2014年1月22日水曜日

君は井の頭公園の池で泳いだ事があるかい?

俺は1mmも泳げないので泳いだ事は無いが
池に沈んだ事がある。
それは 30年位前
あるまじろ無限公司の仲間と
毎年 井の頭公園で花見をしていた ある年の事。

俺達の花見は 全く計画性が無いので
日時と集合場所(音楽堂辺り)だけ決めて
ワラワラと集まって 空いてる隙間に潜り込んで呑むだけ。
ある時なんか ほぼ全員の持ってきた食べ物が
いせやの焼き鳥だった事もある。
ポトラック形式だから 仕方がない。

豪勢にやられている周囲の知らないグループから
貢物を奉納される事もあった。

亡くなられた庄司さんが そんなある年
井の頭公園の池を泳ぐぞ 行くぞっと
立ち上がって 俺の手を取って走り始めた。
泳げない俺を 置き去りにした 
庄司さんは抜き手を切って 泳いで行かれた。
仲間の誰かも庄司さんと泳いでいる。

何とか 浅瀬まで戻った俺は
池の真ん中辺りを泳いで行く奴らを見ながら
今年の花見は ほんの一寸だけ 素敵だと思った。

随分遠回りして 呑んでた所に戻ると
一人居た女の子から
「何やってたの!庄司さん向こう岸で警察に捕まっちゃって
皆 身請けに行ってるよ!こういう時に頼りにならないんだから!」
と 怒られた。

身請けできた庄司さんを確認して 解散。

ドブ臭、ずぶ濡れのまま 電車に乗って東中野まで
宿泊先の住民が帰っていなかったので
近くの焼き鳥屋で 一杯呑んで 時間を潰した ドブ臭、ずぶ濡れのまま。

なんで こんな事を想い出したか?

現在 「井の頭恩賜公園」100周年に向けて 
井の頭池は かいぼりして 土壌と水棲の浄化を行っている。
なんと 自転車が何十台も出てきたそうな!


 

 

 

2014年1月21日火曜日

荻原浩著「砂の王国」

ここの所 体感温度が低く 寒く感じる吉隆坡。
風邪で怠かったので 副業をお休みした ある日の事。
ベッドで横になりながらウツラ ウツラ。

昼前から萩原浩の「砂の王国」を読み始めた。
文庫本496頁あり
著者の作品にしては、分厚い本で
新興宗教で一儲けしようとするホームレス3人のお話。
読み進めると今までに無く 暗ーいテーマだった。

著者は、作品毎にシリアスなテーマから
ユーモアまでテーマ 文体をガラリと変えてくる。
どんなテーマでも 読ませる上手さがある。
悪く言うと 小器用な作家だ。

「砂の王国」も6時間位で読了した。
そして、表紙を見た。

なんと 「砂の王国」()とあるじゃ あ~りませんか!

上巻がある事を気づかせずに読ませる作家。
なんて 上手いんだ!

そして 上巻を読むべきかどうか 悩んでいる。
肌寒い熱帯の国で。

そんな日には Caféの出前

ツナトーストサンド、フィッシュ&ポテト

 
どんな日やねん!

2014年1月19日日曜日

みんなの願いは ただひと~つ お金は やっぱり ある方が いいっ♪

計画的な御買い物は 全くしないし
食材、本とCD以外の御買い物は ほとんどしないけど
数年に一度 しょうもない 衝動的御買い物をしてしまう。
買ってから 少~しだけ 反省をして 数年を過ごす。

で 去年の暮れ位から 数年に一度の状態に陥っている。

まず ブロードバンドを契約した。
別に速く落ちてきたり 上げたりする必要も無いのに!

冬用のジャンパーコートを買った。
この国で着る事も無いのに!

TVですかいぷできる CAMを買った。
すかいぷするお友達も居ないのに!

居間の壊れてるシーリングライトの代わりに
LEDのフロアーライトを買った。
明るくなるわけじゃ無いのに!

フリースの上下スエットとヨモギ色のカーディガンを買った。
命の水呑んでると 暑くなって脱いでしまうのに!

で Nikon P520のカタログを眺めてる
iPhoneのカメラで充分なのに!

そして スイーツを食べる俺が居て
食べもしないのに おくれと寄って来る犬が居る~



駅伝は やっぱり~ 女子の方がいいっ♪

2014年1月17日金曜日

満月の夕

俺は1994年の半場から1年程 日本に戻っていた。
なので 副業に行くには 石原裕次郎ではないので
電車に乗らなければならない。

混むのが嫌なので
6時前に起き マンデーして 珈琲で一服し
ニュースをチラ見して 出かける。
副業先には7時過ぎに着くけど。

この日のニュースはチラ見では済まなかった。
架空を走る 高速道路が下に落ち 車が潰れてた。
長田が燃えてて 副業パートナーがどうなってるのか分からない。

で 副業先で 誰も居ない早朝のルーチンワークを終えて
皆が来ると Ωがとか言ってる。

えっ それって 何?

1995117日 日本時間54652
棲む家が無くなり 彷徨った人達
今も 心の何処かに トラウマを持ち続ける人達もいるだろう。
そして 亡くなった方々に 黙祷。

地震が無いこの国から。
 
 

2014年1月14日火曜日

積木を積んだり 崩したり

わ~た~しの国では 今日は 預言者ムハンマドの御誕生日で祝日。
ムハンマド 君は幾つになったのかい?
君が受けた啓示を信じた人は 何人位 幸せになったのかな?
その内の何人かは 他者を殺めてるよ。

でも それは君のせいじゃないよ。

ここでは 理解できない事で 
他者を罵ったり 殺めたりする人がいっぱいいるから

君も 一言残すと良かったのに
自分達と違う考え方をする他者も居て
その人達を罵ったり 殺めたりしては いけないと
そして 報復しては いけないと

右の頬を打たれたら 左の頬を差し出しなさいと
言った人を信じてる人達が居る国も
罵ったり 殺めたりしてるし

そんな 君の誕生日だけど
俺は お家の執務室で 副業業務をしているよ。
積木を積んだり 崩したりして 
パズルを合わせる 仕事さ。

君が受けた啓示には 無かったかもしれないけど
一寸 面白そうだろ?


2014年1月9日木曜日

食の街 怡保

少し雨が降ったのか 熱帯だというのに 涼しい
華人の街だからか 微かにしかアザーンが聴こえない。
まだ闇が深く支配している朝6時。

この街の朝は 飲茶で始まる。

煌々と灯りが燈る飲茶屋には、大所帯の家族、幼馴染の爺さん達、
夫婦連れ、カップル達が 円卓を囲んでいる。
蒸籠を覗き込んでは 点心を幾つか卓に取り、
一口食っては あぁでもない こうでもないと。
街の噂話、遠くに住む子供の話、将来の話でもしているのだろうか?
まだ暗い朝だと言うのに お喋りは果てしなく続く。
小一時間が過ぎ やっと重い腰を上げた朝が ゆっくりと明け始め、
仕事にでも行くのか 円卓を離れ しらみ始めた街へ溶けて行く。


殺意の様な日差しが 暗雲に隠されると 雨がやって来る。
驟雨に濡れる前に 路地裏から抜け出して コピティアムに入る。
椅子に座ると 雨が降り始めた。

この街の昼は 河粉と白珈琲で始まる。

客は 麺を食べ終わっても
ノンビリ座って コピを呑んでいる。
驟雨を眺めながら 
見た事も無い遠くの故郷の事を想っているのか?
遠くに住む 恋人の事でも想っているのだろうか?
雨雲が一閃で断ち切られたのか 突然 驟雨が止む。
仕事に戻るのか 一人また一人と 小雨の街に消えて行く。
 

街を支配していた陽が沈み 少し雨が降り
残熱と混ざり合い 温気が立ち昇る。
店の外に食み出したテーブルがならべられ、
通りには 屋台や露店が店を拡げる。
煌々と灯りが点り この辺りだけ 暗闇から浮き上がっている。

この街の 夜はモヤシと怡保鶏で始まる。

街の家族、異国の旅行者達が 混ざり合い
モヤシと怡保鶏をメインに
スープやら 鶏飯、蒸し魚やらを食べている。
旅行者は 今日 うろついた街の話を
街の人達は 日常のチョットした事でも話しているのだろうか。
一日の終わりを惜しむ その一寸した時間を過ごし
露店をひやかし 暗闇に 潜り込んでいく。
 

一日中 そんな街をうろつき ボンヤリと眺めていた僕達も
この街の真っ暗な路地裏に滲んでいく。

2014年1月5日日曜日

新春放談「手繰り寄せる系譜」

この正月は この事を考えていた。

元は「手繰り寄せる音」
2010年の8月の濡れた砂ではなく
20108月末のある昼下がり 中華街のヒンズー寺院で
床に寝っ転がりながら ある女と禅問答したテーマだ。

あるミュージシャンを好きになったら
その音が何処からやってきたのか
それを手繰る人と手繰らない人が居るのではないか?
そんなのが 禅問答の発端だった様な気がする。

そして その音を一緒に演っているミュージシャンや
ディレクター、プロデューサー、ミキサー、レーベルにまで
手繰り、またまた 派生して 手繰っていく。
別に手繰らなくても良いのだけど
まっ 手繰った方が 「深化の知」。

これは 生きる事の全てに纏わる事も同じで
料理、食材、着る物、アート、掃除、洗濯、お仕事 等々。
知る事は 知らないより 良いと思うよ。

故きを温ねて新しきを知る。

それは 俺が70年代前半に読み漁ったり、聴き漁ったりの
そして 今も 読み続け 聴き続ける人や
その後 好きになった 新たな人達が居る。

でも 逝ってしまった「知の巨人達」に
大瀧詠一が加わってしまった。

それは僕じゃないよ それ~はただの風さ~♪

風に攫われず 床で舞う数本の髪を眺め

なにをそんなに にらむんだい?
ごらんきみの髪がふる~♪
 
「手繰り寄せる系譜」について 覚酔している。