2009年12月8日火曜日

南部国境の街 Johor Bahruに行って来た。

先週の土曜日、副業業務の御用事で、Johor Bahruに行って来た。

KLから片道350km。往復700km
North-South Highway (E2 )を南下する。
日本軍が華人を虐殺したSerembanから、沢木耕太郎も夕日を見たMelakaを通り過ぎ、
金子光晴がパリに行けず、ウロウロしていたBatu Pahatをさらに南下。
南部国境の街 Johor Bahruへ ひた走る。

そんな旅のRoad Musicは、南部国境といえばこの人Ry Cooder。

A Cross The Border Line って、国境を越えれば、
そこは、楽しいメキシコではなくて、
何にでも課税、何にでも罰金、リー・クアン・ユーが作った
A Little Plastic Castleのシンガポール。
煙草一箱から課税されたら、堪らないので、国境は越えません。

8ヶ月振りにネクタイ絞めて、退屈で、長いセレモニーが終り、
お家に辿り着いたのは、夜の9時。
とても、疲れた旅でした。

♪会えるかもしれない、会えないかもしれない♪
さて、総経理降臨はあるのか 聖夜ライブin 拾得 カウントダウン開始!
飛行機の予約はOK。20日朝 関空着 暇な1日だが、仕方が無い。
22、23日の有給もOK。
21日の打ち合わせをジェフられる事が心配。
あと15日。ドキドキ。

2009年12月7日月曜日

マレーシアで手術した素敵な想い出 Vol.2

こ~んな 縦割れの雲の日
モスクからは、朝のアザーンが流れ始めていた。

馬来系美人ナースが来て、お部屋へ。
身ぐるみ剥されて、手術室へ運送され、麻酔で 落ちた。

目覚めると 手の甲に点滴、鼻からと、尿道、脇腹にチューブが挿入されていた。
お腹には 縦一文字に縫った痕。痛み止めが効いているのか、痛みは無い。

二日後 親父様が日本からやって来た。
煙草を吸いながら親父様が、ローカルの旧友とあそこであれを食べたとか、
洗濯物を出したいが、この病院にはランドリーがあるのか? 
ここのキャンティーンでは 何が食えるか?と御見舞の御言葉を。
できたら 病状の1つでも聞いてね、 
それに一応病院だから 個室でも煙草はちょっとね 親父様。
やはり 華人系美人ナースにComplainとWarningを強く受ける。
見舞金を頂戴した上で 親父様には 早々にお引き取り頂く。

点滴の速度が速く、手の甲が腫れてくる。
華人美人ナースの言う事にゃ「私は 速いのが好きっ」って。
それは、点滴代稼ぎって言いませんか? ねぇナース。
昼になっても、尿バッグに溜まらない。チューブを見ると析出物が詰まっている。
馬来系美人ナースが言う事にゃ「点滴だけだから、尿が出ないだけよ」って。
そうかもしれないが、この析出物と膀胱の張りは? ねぇ ナース。
後で 印度系美人ナースに 新しいチューブを尿道に挿入して頂きました。
出るは、出るは。やはり チューブ詰まり、ねぇ ナース。

そんなこんなで、5日目の土曜日 退院宣告、病室を追い出される。
が、「入院代、手術代の振込確認できていないので、帰っちゃだめよ」って。
一時間後確認、デポジットを返してもらい、Taxiを呼んでねって。
馬来系美人受付嬢が言う事にゃ「ここは、Taxi Stationじゃなくて、病院なのよ。
歩いて5分の所でしょ 歩いて帰りなさい」って。
総経理は、炎天下 トロトロと上り坂を 30分かけて お家に帰りました。

そんな、マレーシアで手術した素敵な想い出。 
♪貴方もどう~?少しばかりって~の~を♪
良い子は ちゃんと寝ましょうね!
お休み。

2009年12月5日土曜日

マレーシアで手術した素敵な想い出 Vol.1


あれは、お酒を呑みながら お雑煮の出汁、おせちの仕込みも終った
2001年元旦の午前2時頃だった。

腹部と腰に激痛が走り、床に倒れこんだ。
尿道結石かと、副交感神経緩和剤「ブスコバン」を服用したが、痛みは増すばかり。
普段歩けば5分(下り坂)の病院へ、馴染のTaxi で担ぎ込んでもらう。

印度系美人女医は、巻舌タミール訛りの英語で、あれこれ聞いてくる。
普段でも 聞き取りづらい巻舌タミール訛り。
「チャンとお答えしてね」って。
痛みで意識が飛びそうです、ねぇ ドクター。

印度系美人女医がX線とスキャンを掛けて、あれこれ診断。
ちゃんと立っている事もできず、激痛に「くの字」の総経理。
「ちゃんと 真直ぐ立ってね」と言われるが、立てば激痛に脂汗。
指で腹部や腰を押しては、「痛い?」って優しく聞いてくる。
勿論 押して頂かなくても 痛いのです、ねぇ ドクター。

印度系美人女医が「胃に孔があいているから、手術ね~、ウフッ」って、
でも、X線とスキャンで胃穿孔ってわかるものですか?ねぇ ドクター。
「手術はね、組織を孔の所に張り付けるのネ、入院は一週間位かな、ニコッ」
あっ パチ当てですね その施工方法 知っています、ねぇ ドクター。
「で、手術を受けるのなら、こことここにサインして、
なるべく いっぱいのデポジットを払ってね、今すぐネ、ウフッ」
唸りながら、サインをして、有り金1000RMをデポジットした。
持ってけ泥棒、いや ドクター。

「あっ、パスポートも見せてね、クフッ」
パスポートでも、何でも お見せますから、早く何とかして下さい、ねぇ ドクター。

印度系美人女医が、「お部屋に行くまで、良い子で座っていてね、ニコッ」って。
あら、あら、どっか 行っちゃいました。
あのぅ 痛いんですけど、ねぇ ドクター。

Vol.2に続く。

2009年12月4日金曜日

「世界屠畜紀行」内澤洵子著

日本に居た頃、総経理は、一カ月に一回 「屠殺場」に 副業業務で通っていた。
「屠殺場」或いは「屠場」と言う言葉自体、いろいろな方面、いろいろな立場から
問題があるのか、正式名称は、食肉センター、食肉公社だった。
豚さんが到着して、屠殺、解体、出荷の各工程から 業務対象が排出されるので、
排出工程を知っておく事は、業務遂行の重要な側面だ。
てな事を言って、新入社員を連れて行くと、ほぼ全員 顔色が白くなり、
口数が減り、昼飯には豚肉を食べないものだった。
総経理は、最初からどうって事もなかったけどね。
頼んでおけば、つぶしたてのモツとか牛タンとかも買う事ができたし、
担当の人と新鮮なモツをストーブの上で、焼いて食べたりした。
ハッキリ言って、美味い。

内澤洵子が「世界屠畜紀行」を解放出版社から2007年に刊行した。
シェルパ斎藤と共著「東方見便録」で、
内澤洵子は総経理のアンテナに引掛かっていた。
「東方見便録」は、排便する便器の構造、便の行き先への興味が根本だった。
で、「世界屠畜紀行」も読みました。
この本で彼女が取材して、書いた根本は、自分が食べる動物の肉が どんな風に屠殺、解体されてくるのか、それは国によって どう違うのかとの興味だ。
総経理の業務対象が排出される工程を知りたい解析癖(興味)と同種だ。
屠殺、解体の工程を見て知っている総経理でも、おっと思える所まで、取材されていた。
その上、この取材は彼女の自腹だ。

そして、今年 内澤自身が 3頭の豚を飼育、食肉センターに持ち込んで解体、調理し、食べる事を決行。

さらに、「野生時代」で「もう一周!世界屠畜紀行」を連載するとの事。
これも 読みたい。

ただね、ほんの少しだけ魚の小骨が引っ掛るのは、
前作がどの出版社も腰が引けたのか、「部落解放」で連載だったのに、
今回は「カドカワ」で連載って事かな。


そんな事に関係なく
腐乳和え、ねぎ抜き出汁玉、ニョクニャムスープベト風。

では、良い子で居れば、きっと良い事があるね。

良い子はお休み。

2009年12月3日木曜日

1984年にS木さんと京都遠征した事 Vol.2

次の日、目論見通り、一足早く 京都着。
得意の「構内放送」を流してもらい。S木さんと無事合流。

「総経理の酒も買っといたんだよっ!」と S木さんの顔が渋い。
「ゴメン、ここで呑ませてもらいます」と総経理、S木さんの蹴りが炸裂。
「女独り、どうなるか 分かんないから、寝ずで 全部呑んじゃったよ!」
ふむ、さすがS木さん 正しい呑み助。
でも 夜行列車 女独りで 呑み続けているのも・・・怪しいよ。

公衆電話から、勇造さんに電話。壬生の実家で、昼過ぎに待ち合わせる事に。
京都駅前の周辺案内板を見ると歩けそうなので、
二条城なんぞソゾロ歩き、ウロウロ、キョロキョロしながら、壬生着。

鶴川で会った陽くんと再会。勇造さんともね。お兄さん、お母さんに御挨拶。
2階で 出前の「きつねうどん」を頂いた。
TVで吉本だか松竹を見ながら、くつろがせてもらう。
勇造さん、陽くんに、近所の銭湯へ連れて行ってもらう。
超音波、ジェット、サウナ等のある京都の銭湯に驚く。
さすがに混浴は無かったので、S木さんは、女湯に。

いざ 初めての勇造ライブin京都へ!GO、GO!
って、それが「拾得」なのか「磔磔」だったのか、どんなライブだったのか、
総経理 正しく呑んでいたので、覚えていません。
朝起きたら、どなたかのお家の2段ベッドでS木さんと寝ていました。(上下段です)
たぶん、初めてお会いしたケーメイさんの所? ありがとうございました。

各駅停車で 呑み明かし、無事東京に着き、副業業務に出社するはずだった。
山手線で、二人、寝込んでしまい、山手線三周、もうお昼。
副業業務は病欠。仕方が無いので、正しく昼酒して1984年京都遠征を終えた。 手抜きサンド

今は カンボジアのシェムリアップに居るらしいS木さん。
そこは、どんなところ? なにを食べているの? どんな酒を呑んでいるの?
総経理は、馬来西亞の吉隆坡に居て 独りで日本酒を正しく呑んでいるよ。


じゃあ 鈴木さんも良い子でお休み!
また 一緒に呑もうねっ S木さん!

2009年12月2日水曜日

1984年にS木さんと京都遠征した事 Vol.1

S木さんは、名古屋の銀行を退職し、80年2月の「ジャマイカ録音ツァー」に参加、
その後 東京に来て、バイト暮らしをしていた。
正しく お酒とポーカーゲーム1089機に お金を注ぎ込みながら、
貧しくも清く生きている女性だった。
そして あるまじろ無限公司の強力呑み助スタッフ。

何かと言うと 一緒に呑んでいた。
彼女のお家では、昆布一枚と豆腐一丁を鍋に入れた湯豆腐を肴に
正しく茶碗酒を呑んでいた。

1984年の6月位。
そんなS木さんと勇造ライブ初めての京都遠征を敢行した。
当時まだ運行されていた「東海道本線普通大垣止まり最終」に乗って、
呑み明かして、在来線に乗り換え、京都に行くって、素晴らしい計画の・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・はずだった。

総経理は、新宿にあった 庄司さんの韃靼で「六調子」を正しく呑んでから、
待ち合わせの東京駅に 中央線で向かったが、ふと起きると「吉祥寺」だった。
慌てて、引き返したが、「東海道本線大垣止まり最終」は、とっくに発車。
ホームには S木さんの影も形もない。
携帯なんぞない時代なので、連絡とれず。

あぁ、S木さん 女独りで行ってしまったのね。

朝一番の「ひかり」に乗れば、(まだ「のぞみ」が無かった)
大垣から乗り継ぐ在来線より、30分以上早く京都に着く。
「ナイス! やったね!」小躍りしてしまいました。

一発逆転の目処もたったので、
総経理は 朝を待つ為に 深夜でも開いている呑み屋へ Go、Go!

そして・・・・・
Vol.2に続く。
外れてしまった2333、トンカツ揚げるのは、大変ニャァ~。

2009年12月1日火曜日

マレーシアのATMって

半分に切った本物の紙幣とコピーをセロテープで貼った偽札を、
ATMで入金して、その後 本物の紙幣を引き出していた犯人が捕まった。
こんなチャチな 偽札を判別できないのかな?

何カ月か前には、40RMをおろすと、10RM紙幣が4枚出てくるはずが、
50RM紙幣が4枚出てきたATMがあり、噂を聞いた人達が、続々と40RMをおろして、
銀行が大損こいた記事が出ていた。

以前 ATMの紙幣の補充を見ていたら、内部のラックが数段あって、
ラック毎交換してた。どのラックも同じ形に見えたっけ。
たぶん、ラック内には同一紙幣があって、引き出し金額に応じて、
所定のラックから、適額紙幣が出てくる様なので、
10RMのラックの段に 50RMのラックを取り付けると 間違えが起こるのかも。

う~ん、マレーシアのATMって うまく利用すると百万長者になれるかも。

雪ん子の北の町の画像、もう何年も実際の雪なんか見た事ないよ。
通詞経理のお家の建設、雪が本格化する前に内装にかかれそうで良かったね。

今日は 飲み会なので お夕飯の画像は 無しです。

では、お休み。