2011年4月25日月曜日

A Hard Rain’s a-Gonna Fall

この1、2週間 夕方になると必ず 激しい雨が降る。
雨だけではなく、激しい風も吹き 激しい雷も鳴る。
要は 雷を伴った暴風雨。但し 30分位ですけどね。

この数年馬来西亞も異常気象なのか、この一定時間暴風雨が激しく無かった。
以前は、吉隆坡であれば 午後4時から6時位の間に、
必ず 雷を伴った暴風雨があって、1ヶ月弱位続いた。
激し過ぎる時は 木が倒れ、道路は冠水し、ブレーカーが落ちた。
サージ・プロテクターが無いと、CDプレーヤーが壊れた。
当然ですが、傘なんか何の役にも立たないし、落雷も怖い。
外を歩いていた人は、近くのビルに駆け込んで、雨宿り。
フードコートで ノンビリとCopi(珈琲)なんぞ呑んで、やり過ごします。

こちらでは、Hard Rainとは言わず、Heavy Rainって言いますね。
この暴風雨は、局所的に移動するので、遅刻の言い訳にも使われる。
「今 ここは Heavy RainでHeavy Jamだから、
打ち合わせの時間には、着きそうも無い」と言って来る。
でも こっちはカンカン照りだったりする。
「木が倒れて 道が塞がっているし、冠水しているし、一歩も動かない。
遅くまで待たせちゃ 悪いから、明日 行くよ」って。
そのまま トンズラされる事もあった。

まっ 暴風雨で無くたって、マレーシアン・タイムで、遅れて来るんだけどさ。

どこでも 激しい雨は降って欲しく無いですね。

バナナ・リーフ・カリー、タンドール・チキン



2011年4月22日金曜日

「献血」と「大きな自由」

学生の頃 何度も「献血」した事がある。
日本赤十字社の献血車で 献血したわけではない。

日赤の献血でも採血後 乳酸菌飲料を貰えるが、
この「献血」では、千円分の食券が貰えた。
クラブの医学部の先輩から「悪魔の様に囁かれ」て
医学の進歩の為に 血液を献じる「献血」。決して 売血では無い。

最初は、大学病院にあった「帝国ホテル」系列のレストランの食券。
ただし 千円で食べられるのは カレーライスだけの上、
とても優雅な盛り付けなので お腹がいっぱいにならない。
食堂選ぶ「大きな自由」をくれと 先輩に 泣いて頼んだ。

当時 大学の近くで 食事が出来る所がなかった。
構内で食べられる所は、他に「学食」「ドミトリー」「カフェ」があった。
「カフェ」は、サンドイッチ程度しか作っていない。
「学食」は、千円であれば、三、四食分にはなるが、頗る不味い。
「ドミトリー」は、研修医やナースが利用する食堂で、
「学食」より美味しく、メニューはちょっと高級 お値段もちょっと高級。
千円だと 二食弱ってとこだった。
選択する「大きな自由」は ただ一つ。当然「ドミトリー」の食券千円分だ。

医学の進歩の為に クラブの後輩まで引き込んで、何度も「献血」した。
中には 採血されている自分の血液を見て、気が遠くなった軟弱な後輩もいた。

後で食べるであろう「トンカツセット」に想いを馳せ、
シリンジの中に入って行く自分の血を眺めながら
「大きな自由」を口ずさんでいた。

♪いつか晴れた日 目覚めた朝に 血を越えて 愛し合えたら♪

もう30年以上も昔の話、あの血液は、なんか医学の役に立ったのだろうか?
現在は「献血」しなくても 自炊ではあるが「トンカツセット」が食べられます。

2011年4月19日火曜日

特別な日には 特別な事をしよう 其の二

特別な日には、特別な「命の水」を呑もう。特別な友の貢物。

だって 「命の水」の在庫が無くなっちゃたんだもの。
出場機会は皆無だが 頼りになるスーパー・サブだっ!

特別な昼飯を準備しながら、グビグビしていると
酒屋さんが「命の水」2L半ダースを届けてくれた。
産地での「放射線非汚染証明」を付ける様に 税関から指導されたそうな。
今後 通関が難しくなりそうだとの事。期せずして 休肝日が出来るかも!
早速届いた「命の水」をグビグビしながら 特別な昼飯を食べる。


特別な日には 特別な6.6 CDと6.6DVDを掛けよう。
円山に参加した 参加できなかった 心清い男や女の
何人の方が3.11の災害にあい、何人の方が亡くなられたのか・・・
あの特別な日の「住所録」を聴きながら、少し 涙ぐみ グビグビする。
あの日一緒だった 長州と蝦夷の特別な友人達を映像で見て グビグビ。
今日は鎮魂曲の様にも聞こえるギター演奏、
そんな 特別に格好ええエンドロールを見終わると もう 夜。
あの人は、今夜 神戸で唄っている。
特別な友人達もライブの後 呑んでる様で、くしゃみがひとつ、ふたつ、みっつ。
特別な日なんだから、もう少しだけ グビグビしていよう。

翌朝 散歩して、買い物に行き 戻って来ると 特別な日が続いていた。
ぎるどでしじゅう嬢が退院したと 特別な友人達から便りが届く。

♪My Baby バラバラ♪から一年、ちゃんと治っとるがな!
すっかり完治して、特別なおっさんに早速抱かれてる。
退院祝いの御披露目会は、4月23日だって!


と言う事で、特別にミックス・フライ(肩ロース、ヘレ、アジ)
嬉しくって また また「命の水」を 特別にグビグビした。
特別な日には 特別な事をしよう。
毎日が 特別の日で在ります様に! グビグビっと!

2011年4月18日月曜日

特別な日には 特別な事をしよう 其の一

生誕日は、何でも無い日で 何でも無い事をして寝てしまった。
翌日を勝手に 特別な日とした。特別な日には 特別な事をしよう。

普段は、朝食を食べないのだが、特別な日なので、
午前7時半 朝食を食べに 近所のコピティアムに行く。




特別に 雲呑麺ドライ、水餃、椎茸とモミジの炊いたん。

特別に ハマチのサクを買う。
3.11以来 印度洋、台湾、ローカルとか水揚げ地(?) が記載されている。
日本からの直輸入とは、謳わなくっている。
回遊魚の場合 水揚げ地の記載に何の意味があるのかな?

特別な日なので 自分で特別なプレゼントを買う。


Zwilling J A Henckels 製 Twins I.V.I. 16cm ソースパン!


蓋のツマミのこんなところにも双子が。


身体を洗ってあげて 早速 働いてもらう事にした。
特別な日の 特別な味噌汁。

2011年4月15日金曜日

そして またひとつ



副業の事故報告会に出てねって言われて同席した。
副業舎弟Bald Koba(52歳)が報告している
「え~ 午前何時何分 ヒューム発生を確認・・・・
 その後 漏洩がありまして、え~ ・・・・
 ・・・の損傷状態は、・・・」
同じ様な報告をこの一カ月間 聞き続けていますね。

Fatty Dannyちゃんが久し振りに事務所に来た。
Dannyの嫁は、とても綺麗なので、会う度にドキドキする。
「総経理の日本のお家は、Power Stationから1000km位離れている
東京の横だから、Radiationの影響ないよね」
「Dannyちゃん300km位しか離れてないから、何とも言えないよ」
「えっ 北海道ってそんなに大きいの?」
Dannyちゃん(42歳) 地理を勉強してね。

Slender Yvonneちゃんから久し振りに電話があった。
YvonneはとてもCuteでSexyなので、
会ったり、電話でお話しをする度にドキドキする。
「日本のお家や家族は、M9の地震で大丈夫だった?」
「大丈夫だったよ、だけど一ヶ月前なんだけど」
「外国行ってたから、電話遅くなっちゃって、ゴメンネ」
Oh Yvonne!なんて可愛いくて、優しい娘(46歳)なんだ!

彼らとは20年前からの付き合いだ。
ここ馬来西亞で、彼らが歳を重ねて来たのと同じ様に、
能天気、只野酔払、人間関係崩壊者と呼ばれながら
今日 また一つ歳を重ねてしまった 私(54歳)。

いろんな事が平等には起こらない、この世で、
生きている限り 歳だけは平等に一つずつ積まれて行く。 

2011年4月13日水曜日

毎週の事ではあるが

土日は、完璧な沈没船。
両日とも 朝5時過ぎに犬の娘B と散歩。トボトボ。
洗濯しながら、読書と2度寝。
洗濯物を干して、昼食用の米を研ぎ、浸水。
干し椎茸を水でもどす。

8時過ぎ再び 犬の娘B と散歩。トボトボ。
土曜日は、この後買い出しに出かけ、11時過ぎに帰宅。
日曜日は、Blind Sweet Tanとのセッション。

昼飯を作りながら、「命の水」グビグビが始まる。
脳細胞を壊しながら、昼飯完了。夕食の仕込み。
三度目の犬の娘B と散歩。トボトボ。
定期購読雑誌を読みながら、お昼寝。

ゴソゴソ起きて、洗濯物を畳み、
夕食の準備をしながら、再び「命の水」グビグビ。

脳細胞が壊れっぱなしで、夜9時前後に睡眠。
意識がはっきりしている時間より、
意識が混濁、意識が無い時間の方が圧倒的だ!

こんな怠惰な週末を過ごせない人達が居ると言うのに。
そんなこんなで あっと言う間に週末が終わる。


時々出会うフェンス向こうの豪邸にお住まいのムクムク君
いつも 黙って ボーっと見ているだけの奴だ。
そして 犬の娘Bは、まったく関心を示しません。

2011年4月11日月曜日

暗かったけど 明るい夜の記憶

34年位前に、豊田勇造ライブの追っかけで松本に行った事がある。
新宿から中央線の各駅停車に乗って。
何処かで乗り換えたかも知れないが 記憶が無い。

松本に着いてから 夏休みで帰郷していた友人の案内で、
ロック・フォークの名所を探訪。
ロック喫茶だとか、女鳥羽川とか、松本城公園南便所とか・・・。

ライブは旧制松本高校の会館だった仄かな記憶がある。
ライブの内容は・・・・ 覚えていません。

例によって 勝手に打ち上げに参加して、
主催者の方か関係者の方のお家に泊めて頂いた。

反原発の方で、電気を使われていなかった。
蝋燭だったか ランプだったか ホンノリの薄暗がりの中
夜中まで お酒を頂いて お話しをした。
家の暗さとは別に 明るい夜だった。

翌日 一緒に泊った目の不自由な方と一緒に松本城に行き、
各駅停車で帰った。

夏休み明けに、帰郷していた別の友人から、
「お前 松本城で女と 腕組んで歩いていただろう!」と言われた。
そうか あの人 髪が長くて、明るい色のサングラスをしていた。
そして おいらの ひじをつかんで 半歩後ろを歩いていたんだっけ!
女性に見えない事は ないか。

ずっと昔の電気を使わない方の お家で過ごした夜の記憶。