2014年10月7日火曜日

Ry Cooder 「JAZZ」1978

ライ好きの僕にとって
このアルバムが出た時 ハード・ローテーションのLPだった。
テックスメックス、ハワイアン、アジアの一寸先に
彼が表現したかった音があったんだろうね。

 内袋に書かれた ライの長文のライナー・ノーツ
スコアとインプビゼーションの 葛藤が書かれていた。
写真には 見た事も無い 楽器。

だけど この時の映像を観ると
確かに ライがやりかった方向と違う事を
ワーナーは考えていたのが分かる。

だから ライは 失敗作と言うんだな。

だけど 大好きなのこのアルバム。

http://www.youtube.com/watch?v=3K6eSQkKh30&list=RD3K6eSQkKh30&index=1

2014年10月6日月曜日

ほ~ら Nobody know !

そんな事さ
誰も 知らない
誰も 見ない
誰も 喋らない


 
Nobody Knows!
 

2014年10月4日土曜日

カジハラって?

日本は 次々にいろんな ハラスメントが出てきて
ハラスメントだらけ。

在馬で お家に独りで居ると なんのハラスメントもありません。

で 昨夜は オムスパ、サラダ、オクラ入りスープ



 
 

2014年10月2日木曜日

俺は引き籠りか?と 夜の食卓に頭 打ち付け~♪

馬来西亞 最北部 銀輪部隊が上陸した街の
お客様に お邪魔した。
この街というか この州の日系企業は この一社だけ。
州都のこの街も ノンビリした田舎だが
イスラム政党が 州政府なので ちょっと堅苦しい街。
日本料理屋も 日本食材店も無い。
まっ ハッキリ言って 駐在には 厳しい街だ。

社長さんが
「これまでも 駐在した何人かは 
 ちょっと 心が壊れて 帰国した」
「やはり 駐在者の精神的な問題が心配になる
 泳いだり、ゴルフしたり、ジムで身体を動かしてくれれば
 まだいいけど 何もしてない駐在者がいると心配になる」

えっ 俺は在馬22年だが
泳ぐどころか、ゴルフを含め
まったく エクササイズなんかした事が無い。
ましてや 蝉も蜻蛉もクワガタも生涯 採りに行った事など無い。

「ハリラヤの長期シャットダウンの時に
 休暇中の予定を報告して貰うんだけど
 タイとか どっか旅行してる者の多い中で
 休暇中この街に居ると書かれていると
 引き籠りじゃないかと心配する」

う~ 俺は在馬22年だが
ハリラヤや中国正月とかの連休には
何処にも行かず 自分の部屋に居る。
部屋を出ても コンドミニアム内を徘徊するだけ。
普段の土日だって 他人に逢う事も 話す事も無いのだ。
俺は 心に病を持った 引き籠りだったのだろうか? 
まっ それは それでいいね!

今晩は ハンバーグ・カレー!

2014年9月30日火曜日

いい感じよ

とんぼの本で「つげ義春 夢と旅の世界」が出た。
つげ義春 デビュー60周年記念保存版。



小学生の頃 町内に変な本屋があり
昼も薄暗いけど 半分は 貸本が並んでいた。
既に 少年漫画は 月刊誌から週刊誌に移行してたと言うのに。

お小遣い帳に 消しゴムとか算入して
「墓場の鬼太郎」は その本屋で借りて読んだ。
その中に つげ義春もあった。
「ガロ」もその本屋で知った。
続いて手塚治虫の雑誌「COM」が創刊され
定期購読を親に進言した。 親には これは許容範囲だと思った。

が 「ガロ」は チョット許容範囲を超えそうなので
暫く 変な本屋で借りて読んでた。
貸すのが既に変なのだが。
なんか 翌月には 買い取りも出来た。

つげ義春の漫画は キリキリ タンタン チョット変だと進みながら
最終コマ 半頁一コマ 見開き一コマで 
ド~ンと 奇妙さを残しながら 訳が分から無い がっ ゾワッと心が揺すぶられた。

何度も 何度も 読み返して 数年が過ぎると
いつの間にか 大好きな つげ作品は「海辺の叙景」の最後の一コマになっていた。



で このコマにいつも 流れる音は 渡辺勝の「あなたの船」なのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=g4GlqqaS9m4






2014年9月29日月曜日

私たちには物語がある

ここのところ 読み続けている 角田光代の書評(彼女曰く 感想文)

僕は 本が好きなのだ。
豪華本、単行本、文庫本、冊子、ガリ版刷り、カタログ、取扱説明書
どれも同じ手触り、読み触りの本は無い。
それは 小説でも 詩集でも エッセイ、ルポルタージュ、漫画
とにかく 言葉があるものが好きなのだ。
嫌なのもあるけどね。

ホールデンの事や 鴨ちゃんや ジョーや 武田百合子や
幾つもの本について 書かれている。

で お気に入りは長田弘の詩についてだ。
長田の詩について言及する前に
「猫に未来は無い」(長新太画)が出てくる。
このエッセイ集は 晶文社版を 中学生の頃に読んだ。
猫は 前頭葉が無い(小さい)から 未来を見る事が出来ない。
けっこう 衝撃的な話。

でもね 未だに 未来なんか 想像できないんだ 猫じゃないけどね。

で 角田さんは 「猫に未来は無い」に 結婚をイメージする。
僕は ふーんと思いながら 長田と同時代(?)の
詩人吉野弘の「祝婚歌」が 結婚式でよく読まれていると言うニュースを思い出す。
あの詩は テーマは好きだけど 詩そのものは好きでは無い。

できれば 叫ばず 長すぎず その言葉が出てきた前後も無いのに
言葉を読んだ時 ブワッと入って来る 詩が良いよね。

「どこへもゆき、
どこへもゆかない。
立ちどまる。」

さて 長田弘の詩集を 探そう!



 








2014年9月26日金曜日

幸せな日の筈だったのに

一昨日の晩 印尼の舎弟から
急な頼まれ物 純米大吟醸一升で請け負う。

昨日の数時間で システム基本設計終了。
今日は 配置を終わらせよう。

お気楽だったので チョット 仕事を抜けて
御買い物。

スタッフから電話
「月曜日の2時は居ますか?」
「居るよ~ん な~に?」
「ちょっと 問題があって サプライヤーが来ます」ガチャと切れる。
あのね 何の問題なの?それを先に言ってほしい。

また電話 客先から
「弊社が 保険掛けるてるから 貴社は保険を掛けないと言われてます。」
スタッフにお電話
「なんで保険を掛けないの? いつも掛けてるでしょ?」
「この国では掛けてるけど あの国は分からない」
「あの国も その国も あんな国でも 自分達で保険は掛けましょうね!」

帰社すると
「この配管は 何メーター位?」って
「ウ~ン 君は図面見た? 見なくても 車で10分の現場だから
確認しに行けば?」
不満そうに Yesもなく 去って行く。

お家に帰る途中 印尼の舎弟から電話
「ここで こうなって 次でこうなるのはなんで ですかね?」

嗚呼 出るのは吐息ばかり。

あのね 君達は 技術屋さん のはず
まず 疑問は 自分で確認 考察して
自分は こう考えたが それで良いのか 教えてねって言って欲しい。
技術屋は 調べて 考えて 形にするのが商売なんだからね。

幸せが 消失した 或る日の午後。

でも 生きてる。