2018年10月14日日曜日

AIロボットは 作業前にラジオ体操第二でボールジョイントをほぐすのか?

現場監督として AIロボットを導入するそうな。
ワタシにも馴染みがある 某建築さんの工事現場で
テストが行われた映像を見た。

現場を狗の様にウロツキ回り
パシャ パシャと現場写真を撮ってる。

ほんの一瞬 作業着、ヘルメット、安全帯、安全靴で
身を固めた 人の監督さんが縄みたいなのを
投げているのが 映り込んでいた。
不安全行動か?!

2019年夏頃から 導入されるようなのだ。
確かに 現場をウロツキ回り
現場写真や 不安全行動・場所の写真を撮って
下請け会社に 改善させる状況証拠を
収集するには 役立ちそうだ。

ルンバ君以上の AIお掃除ロボットはもう 導入されている。
その内 自走するAI溶接ロボットや
AI配管フィッターロボも出て来るだろう。

AIロボ監督さんには PPEが要らないのだろうか?
ワタシは観てみたいと切に 妄想する。
落下事故で フルファーネスの安全帯でブラブラ舞っているのを
15段こはぜの安全地下足袋を履くのを
紫のニッカポッカを自慢げに穿いているのを
休憩時間に吸ったタバコを 手で消すのを
皮手を取ると 小指が短かったりするのを
土日の現場 午後3時ごろ ソワソワするのを

ワタシは 現場仕舞いで
セキネの親方に呑ませてもらった。
カウンターだけの中華屋で 親方と呑んでいると
組の人達が やってくる
「監督居たの~」って
近くの店のトンカツが出前されてくる。
近くの店の刺身が出前されてくる。
ホラ話を聞き 話し 幸せなafter hoursだ。

AIロボットは 砂町で呑めるのか?




 

2018年9月30日日曜日

一人抜け また一人・・・そして独りになったDMKの深夜

朝 目覚めるとベッドの上だった。
7時過ぎ 4人で 再び市場へ。
朝の市場は 活気にあふれている。
俺の好きな生鮮豚肉売り場も 生気に満ち
壁の開口部から 差し込む光で 包まれ
肉を捌く 男や女の 叩きつける中華包丁の音が
静逸な 音楽になっていた。

朝食をどこにするか?
市場の中にあった よさげな麺屋は 満席だった。
場外にある ビルマ料理屋に吸い寄せられた。
店先に 3個の寸胴鍋が置かれている。
蓋を開けると 美味しい匂いが食欲をそそる。
が 店には誰も居ない 
奥から何やら美味し気な調理の音と匂いがしている。
覗いているみると 女将さんが 出て来て
中国語で対応してくれる。
どうも Azureと同じように華人系だ。
ビルマスタイルで メインに何品か付いてくる。
美味しいのであるが 何か品数が少なく
客は我々だけなのが気に掛かる。
朝食だしね まっ いっか!


ホテルに戻り お片付け寸前のビュッフェで珈琲とジュース。
ウダウダ過ごして タチレクへ。
と 昼食をチャイントンで食べて行くのだと。
ヴァンは 市場に向かい とあるビルマレストランに。

再びAung Nang Myanmar Food Restaurantで昼食を!



店先には 朝と違って いろんな総菜が並んでいた。
あっ 朝は開店前だったのね~。こりゃまた 失礼しました~♪

タチレクに着き さらにミャンマーを旅する 
勇造とヒバリちゃんと別れる。
小雨の中 徒歩で出国し メーサイ タイへ入国。
チェンラーイ空港で 川村さんと別れる。元気でね 川村さん!

日本からの 7人は同じフライトだが Fly-Thruなので ここでお別れ
オレとプンが最後に残った。

が 機内で再会 そして DMKで強制送還の難民の様に
ドナドナ状態で引いて行かれる7人と別れ
再び オレとプンになった。

で DMKには プンをお迎えに来ていた某小野崎さんが居て。
じゃ また 来年と言って別れた。

それは まるで歯が一本 また一本と抜けて行くような一日だった。

そして 独りになったオレは 無用にアップグレードされた
スイートルームで 独り ベッドで眠った。
本日の歩数10,000歩







 

2018年9月28日金曜日

ドナドナ日和の日@ミャンマー

さてと ベッドで目覚めた。
小高い丘にある 元藩主の御宅のホテル(らしい)。
ベランダから 街を眺め 
プール沿いに ユックリ歩く ホテルの人達が居る。
そんなマッタリとした 朝7時前。
ホテルで朝食、ウダウダして 市場へ。


総勢12名 連隊は ズンガズンガとは進まない。
昼食後 ドナドナ状態で何処かに行った。



 





アクーの集落へ 行ってみー 囲まれでー♪


 




幾つかの集落と寺院を巡り 帰る事に。
オレの心配事は 「ミャンマー命の水」を仕入れる事だ。
がっ 帰り際の夕方市場み寄る事に急遽なった。
俺は はたして「ミャンマー命の水」を入手できるのか?

夕食は 再びAzureで ホテルに戻り
「ミャンマー命の水」を呑み
静かに ベッドで寝た。
本日の歩数 14,000歩。

2018年9月7日金曜日

The Long and Winding Road to Kyaingtong

朝 目覚めるとベッドの上だった。
6人編成の徘徊部隊で ヘロヘロ ウロウロ、タチレクを徘徊す。
ロータリーを東に向かうと
路地に物売りと行き交う人々が見えたので 吸い込まれる。

 
 
普通の生活市場が路地で 商いをしている。
昨日の国境越え後にあった市場より 地元生活感が溢れている。
隣接するタイヤイ寺院周囲に展開する 門前市場なのだ。
市場から 坂をチョット歩いて行くとキリスト教会があり
その先の お茶屋で ビールを呑んだ。
帰りしな 白い象寺院に寄り 昨夜ビールを呑んだ店で朝食を。
 
入国許可書を ガイド兼運ちゃんに預ける。
出国するまでは この運ちゃんが ワシらの身元引受人なのだ。

 最初の検問所を通過 しばらくして 電話がリンリン
Uターン・ダッシュ!
検問所に戻り 彼は手ぶらでオフィスへ
そして 入国許可書を鷲掴みで 戻ってきた。フムフム。

タチレク出発一時間程で ターレイで昼食 ビール。
トイレのキレイなドライブイン。
道端の青果、野菜売りやら モンピャック昆虫食市場に立ち寄って進む。
近々 アカ族のブランコ祭りがあるそうで ブランコ見学で停車。
と少年がブランコして下さいました。フムフム。

峠を攻めて 棚田を眺め ド~ン ド~ン進んで行く・
次の検問所を無事通過。入国許可書を持っている事を確認。フムフム。

チェントンの街が一望できる中腹の白い仏陀を拝観する。
山の頂上まで 仏陀パークを建設する一大プロジェクトであった。
無事チェントン到着。
湖畔をそぞろ歩き Azureで夕食を。美味しい。



湖畔を反時計回りで ゾロゾロ。チョット 一服。
湖畔を一周して ホテルに戻り チョット一杯。
ウィスキーを呑み切り 豊かな気持ちに包まれながら ベッドで寝た。
 

本日の歩数 約15,000歩。
 
 

2018年9月3日月曜日

Across the Borderline on Foot from Mae Sai to Tachileik


朝目覚めるとベッドの上だった。
移動が9時なので 徘徊中止 ホテルで朝食を食べる。
と言っても 無駄に6時前起きてしまうのだが。
チェンライ空港で 川村さんとプンちゃんが合流 総勢12名となる。

車でメ―サイに着き ヘロヘロ ゾロゾロと歩きタイ出国。
10m弱のサイ川 緩衝地帯の橋を渡り ミャンマー側へ。


いよいよ 今回の旅で 最も関心があった入国手続きだ。

タイ人、ミャンマー人は ほぼノーチェックで行き来している。
ここに座りなさいと言われ 机越しに 3人のオフィサーから
何日いるの?とか どこ行くの?と聞かれるのだが
相手の英語が分かりづらく こちらの英語も旨く理解して頂けない。
ガイドは?と言っているようなのだが 一向に埒が明かない。

タイ語を話す川村さんとプンが別室に連れていかれる。
何ヵ国の入国手続き(空港)で別室に連れていかれた事があるけど
無事入国できても あんまりウレシイ事ではなかった。
そんな中 マレーシアのパスポートを幾つか持って来た人が居て
オフィサーがパラパラ眺めてOKだった。わしらと何が違うの?

10分位待っただろうか 川村さんが戻ってきた。
隣のツーリズム・オフィスで 入国許可書を発行してくれるとの事。
お向かいのカフェで良い子にしててねとオネーさん。
オネーさん フツーに英語話せる!

ヘロヘロ ゾロゾロと道を横断。そこは免税店で ビールも呑める。
タチレク以外へ行く場合の入管システムを理解した。

オネーさんから道路越しに呼ばれ ヘロヘロ ゾロゾロと戻り
荷物を受け取り 入国許可書を押し頂く。
パスポートは イミグレ預かり、
 出国時入国許可書と引き換えで戻ってくる。
チェントン往復のガイド兼運ちゃんも確保した。
川村さん プンちゃん ありがとう!

ロータリー脇の屋台でビルマ料理。後ろの店でビールを調達。
夕食後 呑み足らない仲間で ホテル近くでビール。


何せ午後7時過ぎ位なのに 店が閉まっているのだ。
3月の旅でタナカが発見したウィスキーを入手。

ワッキー、勇造、ヒバリちゃんとチョット一杯
少し幸せにベッドの上で眠った。
本日の歩数 約9900歩。

2018年8月30日木曜日

旅の路上で 途方に暮れる

って言っても 夏の旅は ズンガ ズンガ ズン ズンと進んでいた。
途方に暮れているのは 旅を終えたワタシだ。
前回 チョビットいい加減に記載した部分を
とある 親切で優しい方から 教えて頂き 訂正した。

さて 次からは いよいよミャンマーに北上するのだ。
ワタシは ミャンマー三回目だが 
ミャンマー と言いましても広うござんす。
3月の旅と同じシャン州ですが 今回はタイ国と接する東シャン州。
ここで 悩む 州の中に 州がある?ウ~ン?
この辺りは タイ語が通じ 使用可能通貨は チャットとバーツ。ウ~ン?
通過する地域は 県とか郡とか ネット上で 記載されている。ウ~ン?

あの世界中の人家をストーカーできる グルグルマップでさえ
天の眼でしか場所を確認できないし 街の名も少ない。
ワタシは 酔っ払いなので天の眼を持っていない。ヤレヤレ。
移動中にグルグルマップで ピンを立てようとするが
山中では 圏外かGが立たないのだ。

で 今回の旅の辿り着く北東の街だが
アルファベット表記で6種類ぐらいある。
それは シャン語、ビルマ語、タイ語から

無理矢理アルファベット表記し
自称、他称等々が入り混じって混沌が闇の中から現れる。
更なる混沌を招く カタカナ表記なのだ。
少数民族の名前も いろんな表記だ。
行った所は特定できず あれは邯鄲の夢だったのか?

ふと気が付いたのだ。
それは 妄想かもしれないが正しいのだと六感が言う。

「あの山の途中には 似た奴らが居るらしい 
ワシら山の途中の人って言ってるんだぜ」
「お陽さんが上がる麓にゃ なんか毎朝 市が立つみたい」

そうだ 僧房や集落やら特定する名称はどうでもいいのだ!
それは例えば
「ちょっと行った所の集落で 僧房があり」とか
「ウロウロしてたら 豚舎があった」とか
そんな点と点を結ぶ 地図が出来るのかな。

また 旅を始めようか。














2018年8月26日日曜日

8月の旅は いつもバンコクから始まる

さてと 8月の旅 先ずはバンコクに向かう。
日本から あれを4カートン受け取るので
パッキングは あれのスペースを確保した。用意周到だ。

あっ!という間にDMKに着き イミグレ、カスタムを最速で潜り抜ける。
がっ!約束の場所に待ってるはずの勇造とヒバリちゃんが居ないのだ。
仕方が無いので 某所で一服し トイレに行き
出来たての7-11でチャンビールを買い 立ち飲みをしていると
二人がやって来る 10日振りの再会に涙する。

日本からの御一行7名と合流し ホテルで呑み ベッドで寝た。
本日の歩数 約6,600歩であった。

朝 ベッドで目覚め 千晴ちゃん、直ちゃん、手塚さんと朝の徘徊。
ピンクでカオマンガイを食す。普通に旨い。

午後は マーシャと再会し 例のブツを受け取る。
マーシャ先導で 総勢8人がゾロゾロとついて歩く。
歩く ただただ歩く。マーシャと最後尾の差は約500m そして歩く。

パヤタイ宮殿で 1時間半のガイドツァー。
所々で ガイドさんのタイ語説明(約15分間)を
マーシャが通訳してくれる。
まっ 要約するとラーマ5世の息子ラーマ6世がこの離宮を建設し
ラーマ7世は ラーマ6世の兄弟で
3年前に逝去されたラーマ9世が住んだ事があり
一時期は病院、一時期はホテル、 現在は観光スポットと
100年以上 あの手 この手で 生き延びた建物と言う事だ。






ガイドさんが ここではライブもできるから 勇造ライブをやらないかと。
それは それでいいかもしれない~♪

マンゴシャワーの中 寄り道しながら 勇造ライブ in バンコクへ。
いろんな人と再会、いろんな人と出会う。
良いライブだ。外で沈思黙考していると 小野崎さんが寄ってきて
進行表を見せながら 次の曲で 
オレがチン・チャップを叩くことになっていると
ダチョウ倶楽部と化しながら 連れていかれる。
自慢だが 素面では軽度の 
そして酔っぱらっていると重度のリズム音痴なのだ。
しかも チン・チャップを叩いた事なんて 無~い 無~い 無~い。
2分程 クンと勇造奨学生の男子に特訓を受けるが 無理 無理。
仕方が無いので 微笑み懇願し 奨学生男子の手を引いて舞台へ。
ホックンモン・クルングをやったそうな。
朝6時半に起きたら 可笑しなチン・チャップの音が聞こえてた~♪
盗撮は千晴ちゃんの画像を無断借用

そして 夜も更けて オレは今日もベッドで寝た。
本日の歩数 約20,500歩であった。