ホントのところ ボクが考えていたのは
Rolling Coconut Reviewをスピーカーから音を出す前
無音で読んだ 森達也著
「すべての戦争は自衛から始まる」だ。
59歳の2016年まで 投票した事がなかった。
そんな話をした時に仕事の若い日本人が
「投票って 国民の義務と権利ですよね。
30年も投票しなかったんですか!」
ボクは パスポートを会得する権利の為に
義務を日本に対して行ってきた。
それで 十分だった。はず だった。
で 考える 集団って どうして内的 外的に暴走するのか?
そうだ 子供いじめ殺しは 最小集団の暴走だ。
さて ボクは 少しだけクジラを食べたい
それはダメかな?
ウ~ン。
2019年3月3日日曜日
2019年2月6日水曜日
足の裏を巡る 長い旅が終わり あらたな苦悩の巡礼が始まる
霊長類が二足歩行を始めた事で
ヒトの足の裏には 土踏まずが形成され
足指の下平面、側面、かかとだけが接地するそうな。
土踏まずは 地面と足裏に形成される
ほんの些細な空間だ。
土踏まずは ヒトがサルと決別した事で形成された
それが 進化の数ある要素の一つとの事だ。
そんな些細な空間でか?
そして 土踏まずを持たないヒトに対して
偏平足と侮蔑的 差別的用語ができた。
普通(平)と異なる(偏だたる)足も持つ
お前はヒトなのか サルなのかと問う
踏み絵か? 或いは半ヒトと差別されたのか?
土踏まずが無くても 生活上 なんの不便も無い。
なぜ ヒトは そんな些細な空間をもってして
サルではないのだと 声高に主張するのか?
突然だが ワタシは告白しよう 生後60年土踏まずを持たない
半ヒトとして あらゆる弾圧、差別を凌ぎ
秘かに 抜け忍の様に ヒト面して生きて来た。
子供が生まれた時に 足形と 手形を色紙に押す
忌まわしい習慣がある。
ワタシの母は 生まれたばかりのワタシの足裏を
ジッと見つめ その習慣を拒んだそうな。
自分が産んだ子は ヒトなのかサルなのか?
母は 60年にもわたり この命題の解を探し出せていない。
この数年 家で雪駄を履いている。
サンダルより 楽だからだ。
さて 昨年末位から 裸足でタイルの床を歩くと
足裏の側面に接するタイルが窪んでいる感覚があった。
まっ 古いタイルの床だから そこら中痛んで
擦り減っているのだと気にもしなかった。
がっ 今日自分の躰を弄りながら 理解した。
土踏まずが形成されているのだ!
生後61年経って 土踏まずが形成され
ワタシはヒトになったようだ。
今さらなので 裸足で歩く時の違和感を
抱えながら 老後を過ごすには
ゼツボウを覚える。
半ヒトで良かったのに!
ヒトの足の裏には 土踏まずが形成され
足指の下平面、側面、かかとだけが接地するそうな。
土踏まずは 地面と足裏に形成される
ほんの些細な空間だ。
土踏まずは ヒトがサルと決別した事で形成された
それが 進化の数ある要素の一つとの事だ。
そんな些細な空間でか?
そして 土踏まずを持たないヒトに対して
偏平足と侮蔑的 差別的用語ができた。
普通(平)と異なる(偏だたる)足も持つ
お前はヒトなのか サルなのかと問う
踏み絵か? 或いは半ヒトと差別されたのか?
土踏まずが無くても 生活上 なんの不便も無い。
なぜ ヒトは そんな些細な空間をもってして
サルではないのだと 声高に主張するのか?
突然だが ワタシは告白しよう 生後60年土踏まずを持たない
半ヒトとして あらゆる弾圧、差別を凌ぎ
秘かに 抜け忍の様に ヒト面して生きて来た。
子供が生まれた時に 足形と 手形を色紙に押す
忌まわしい習慣がある。
ワタシの母は 生まれたばかりのワタシの足裏を
ジッと見つめ その習慣を拒んだそうな。
自分が産んだ子は ヒトなのかサルなのか?
母は 60年にもわたり この命題の解を探し出せていない。
この数年 家で雪駄を履いている。
サンダルより 楽だからだ。
さて 昨年末位から 裸足でタイルの床を歩くと
足裏の側面に接するタイルが窪んでいる感覚があった。
まっ 古いタイルの床だから そこら中痛んで
擦り減っているのだと気にもしなかった。
がっ 今日自分の躰を弄りながら 理解した。
土踏まずが形成されているのだ!
生後61年経って 土踏まずが形成され
ワタシはヒトになったようだ。
今さらなので 裸足で歩く時の違和感を
抱えながら 老後を過ごすには
ゼツボウを覚える。
半ヒトで良かったのに!
2019年1月26日土曜日
覚醒する精神は 何を越えるのか?
中学生の頃 何で知ったか コリンウイルソンを知った。
多分 実存主義のカウンターの様に新実存主義と日本で呼ばれていたからか?
彼の書籍初出は1950年代から60年代。
神田の古書街を漁っていると 「アウトサイダー」を見つけ購入 当時で100円位だ。
難解な本なのだが なぜか惹きつけられて 古本屋で発行順に読んだ。
精神(脳)を自己で覚醒する事が 深化(進化)する個なのだ
と 勝手に理解する。
コリンウイルソンには、オカルトや殺人を通じた 評論と小説がある。
その人達は 何をキックボードにして 突き抜けた個になったのか?
その答えが アウトサイダーから アウトサイダーを越えてなのか?
今日観た 立花隆との対談で コリンウイルソンは語っていた。
「覚醒した精神の人が拡充し
もし私が2020年まで生きていたら
新しく変身した世界を観る事が出来るかもしれない」と。
が インターネットであげられる誹謗、中傷、確証も取らないシェアー
正しいけど画像はいきなり見せないでねって世界。
もう亡くなったコリンウイルソン 精神寄生体となってね!
多分 実存主義のカウンターの様に新実存主義と日本で呼ばれていたからか?
彼の書籍初出は1950年代から60年代。
神田の古書街を漁っていると 「アウトサイダー」を見つけ購入 当時で100円位だ。
難解な本なのだが なぜか惹きつけられて 古本屋で発行順に読んだ。
精神(脳)を自己で覚醒する事が 深化(進化)する個なのだ
と 勝手に理解する。
コリンウイルソンには、オカルトや殺人を通じた 評論と小説がある。
その人達は 何をキックボードにして 突き抜けた個になったのか?
その答えが アウトサイダーから アウトサイダーを越えてなのか?
今日観た 立花隆との対談で コリンウイルソンは語っていた。
「覚醒した精神の人が拡充し
もし私が2020年まで生きていたら
新しく変身した世界を観る事が出来るかもしれない」と。
が インターネットであげられる誹謗、中傷、確証も取らないシェアー
正しいけど画像はいきなり見せないでねって世界。
もう亡くなったコリンウイルソン 精神寄生体となってね!
2019年1月15日火曜日
サイゴノ ヒトハ
このサナトリウムに来てから 何年経ったのだろうか。
お見舞いに来てくれた友人達の足も遠のき
白樺林で ナースと追いかけっこをしたのも だいぶ前の話だ。
めっきり体力が落ち ベッドで横たわる日々が続いている。
妄想するのは 元気だった頃の事や出来なかった事。
定時には 朝、昼、晩と配膳がやって来る。
マッシュドポテトとやら 細かく刻まれ 柔らかく湯がかれた 緑黄色野菜
汁はポタージュ系が多く ガーリックトーストが添えられているが
供される前に ワラワラと細かく砕かれ ポタージュに投入される。
主菜は 柔らかくソテーされた白身魚だ。
魚の身を抜いて 刻み 皮に戻して ソテーされている。
添え物は 刻みニンジンのグラッセ。
時には豚レバーのパテも。
そして ベッドに横たわり 裏螺鈿の手鏡を見ながら
薄くなった髪を漉き 両側の元気な眉毛をスキムする。
口髭と顎髭を整える 誰に逢うわけでもないのに。
じっと 手鏡を眺める 空虚な口腔に残された
サイゴノ ヒトハ
がんばらなくていい まよわないでいい
いま その執着を棄てなさい!
その時 その日こそ 自由になるんだ~
お見舞いに来てくれた友人達の足も遠のき
白樺林で ナースと追いかけっこをしたのも だいぶ前の話だ。
めっきり体力が落ち ベッドで横たわる日々が続いている。
妄想するのは 元気だった頃の事や出来なかった事。
定時には 朝、昼、晩と配膳がやって来る。
マッシュドポテトとやら 細かく刻まれ 柔らかく湯がかれた 緑黄色野菜
汁はポタージュ系が多く ガーリックトーストが添えられているが
供される前に ワラワラと細かく砕かれ ポタージュに投入される。
主菜は 柔らかくソテーされた白身魚だ。
魚の身を抜いて 刻み 皮に戻して ソテーされている。
添え物は 刻みニンジンのグラッセ。
時には豚レバーのパテも。
そして ベッドに横たわり 裏螺鈿の手鏡を見ながら
薄くなった髪を漉き 両側の元気な眉毛をスキムする。
口髭と顎髭を整える 誰に逢うわけでもないのに。
じっと 手鏡を眺める 空虚な口腔に残された
サイゴノ ヒトハ
がんばらなくていい まよわないでいい
いま その執着を棄てなさい!
その時 その日こそ 自由になるんだ~
2019年1月3日木曜日
佐野眞一著「唐牛伝」
佐野眞一さんの著作は 幾つも読んできた。
オレが10代前半の頃 街で観た70年安保が過ぎ
残り火の中 党的な闘いと
もう少し 違う闘いがあった頃。
あの人は 予備校の先生
あの人は 沖仲士で暮らしていると。
唐牛さんって 60年安保の人がいて
時には 居酒屋のおやじ 時には 北で漁師を
時には 南の島で洞窟で生活してるって
話を聞いた事があった。
なんか 凄い人らしいって。
断片的な情報が耳に入っても
なにせ 唐牛さん 何も書いてないし
酒飲みだし。
佐野さんの「唐牛伝」で 幾つかの事が分かった。
もっと自由に いろんな人と生きたかっただけなんだ。
本の中のたかだか4行だけど
福田恒存の立場を越えた文章は 沁みる。
「私とは全く反対の立場でありながら、私が最も好意をもつ主流派諸君に忠告する、
先生とは手を切りたまへ、ついでに。共産党から、貰ったニックネームのトロッキストを
自称する衒学趣味から足を洗いたまへ。歴史を手本とする教養主義を棄てたまへ。
警官より物を知ってをり、郷里の百姓に物を教えるうるなどいふ夢から覚めたまへ。」
思想に自由あれ 精神に自由あれ 行動に自由あれ。
オレが10代前半の頃 街で観た70年安保が過ぎ
残り火の中 党的な闘いと
もう少し 違う闘いがあった頃。
あの人は 予備校の先生
あの人は 沖仲士で暮らしていると。
唐牛さんって 60年安保の人がいて
時には 居酒屋のおやじ 時には 北で漁師を
時には 南の島で洞窟で生活してるって
話を聞いた事があった。
なんか 凄い人らしいって。
断片的な情報が耳に入っても
なにせ 唐牛さん 何も書いてないし
酒飲みだし。
佐野さんの「唐牛伝」で 幾つかの事が分かった。
もっと自由に いろんな人と生きたかっただけなんだ。
本の中のたかだか4行だけど
福田恒存の立場を越えた文章は 沁みる。
「私とは全く反対の立場でありながら、私が最も好意をもつ主流派諸君に忠告する、
先生とは手を切りたまへ、ついでに。共産党から、貰ったニックネームのトロッキストを
自称する衒学趣味から足を洗いたまへ。歴史を手本とする教養主義を棄てたまへ。
警官より物を知ってをり、郷里の百姓に物を教えるうるなどいふ夢から覚めたまへ。」
思想に自由あれ 精神に自由あれ 行動に自由あれ。
2018年12月14日金曜日
Nothing But Alcohol !
毎日呑んで 41年~
まだ まだ呑み足りない 俺が居る~♪
20年前に 胃穿孔の手術をして 2週間程 禁酒をした。
が 一生の酒量のリセットがかかったのか
以前より 摂取量が増えた。
この1、2年は 増々状態だ。
数年前に読んだ本「生きてるぜ! ロックスターの健康長寿力」
彼らは ドラッグや酒の依存症から抜け出す為に
車や 釣り スポーツ等々に依存したそうだ。
キースは 何も止めずに 「俺は不死身だ!」と言っていた。
さて 今観たい映画は 「Eric Clapton - Life in 12 Bars」だ。
と 思っていたら 今日ある 記事を読んだ。
キースは 1年前から 酒を止めたそうだ。
「もう 必要ないし シラフの演奏が楽しい」と。
ロン・ウッドも酒を止め タバコは電子タバコにしたそうだ。
キースの歳まで まだ14年ある。
オレは その歳に 同じ気持ちになるのだろうかね?
「自殺しなかったのは 酒が呑めなくなるから」
I Got Alcohole!
まだ まだ呑み足りない 俺が居る~♪
20年前に 胃穿孔の手術をして 2週間程 禁酒をした。
が 一生の酒量のリセットがかかったのか
以前より 摂取量が増えた。
この1、2年は 増々状態だ。
数年前に読んだ本「生きてるぜ! ロックスターの健康長寿力」
彼らは ドラッグや酒の依存症から抜け出す為に
車や 釣り スポーツ等々に依存したそうだ。
キースは 何も止めずに 「俺は不死身だ!」と言っていた。
さて 今観たい映画は 「Eric Clapton - Life in 12 Bars」だ。
と 思っていたら 今日ある 記事を読んだ。
キースは 1年前から 酒を止めたそうだ。
「もう 必要ないし シラフの演奏が楽しい」と。
ロン・ウッドも酒を止め タバコは電子タバコにしたそうだ。
キースの歳まで まだ14年ある。
オレは その歳に 同じ気持ちになるのだろうかね?
「自殺しなかったのは 酒が呑めなくなるから」
I Got Alcohole!
2018年11月29日木曜日
早いね時の過ぎるのは みんな昨日のようさ~♪
今週月曜日に出社すると 15年前に退職した会社が破産した様だと。
同期入社(大学も同期)で 俺より早く別会社に移ったO君に確認した。
なるほど そうか もしかして 創業40年ではなかったか?
俺はその会社に成り行きで入社して 21年在籍した。
が 後半11年は馬来西亜に独りで 出稼ぎに出ていた。(出されたか?)
O君と俺は その会社で初めての大学新卒採用だった。
まっ 二人とも何する会社か よく分かってなかったけどね。
創業メンバーは とある会社から スピンアウトして会社を立ち上げた。
なんとその十数人の先輩方の内 下戸は3人だけ
後は ほぼ大酒呑みで 毎晩が宴会状態だったので
俺達には理想的な職場だった。
土日、普通の連休も働き 残業・徹夜も当たり前だったのだが
俺は 他の会社を知らないし 薄給とは言え
月給、ボーナスを貰え 持ち株制なので 配当金まであり
今持っている技術を自習できて なんの不満も無かった。
俺が出稼ぎに出る数年前には親会社の株を買い取り
小っちゃい会社だけど 皆で楽しくやって行こうとしてた。
出稼ぎに出て 何年か経った頃から
今の会社から送金してもらう俺の売り上げが
会社売上の何十%かを占めはじめ
業績が良くないからと 給料をカットされても
拾ってもらった会社だし 皆も苦労してるだろうと考えていた。
それなりの忠誠心を持っていたのだ。
なのだが
電話で名前を言っても「いつもお世話になってます」と
見知らぬ新入社員から 応答されるし
一時帰国で 久し振りに出社すると 俺の机は既に無く
私物が段ボール箱に入れられていた。
出稼ぎ10年目 親会社の株にオマケで付いてきた当時の社長が
話があるから 来馬すると連絡してきた。
日本に戻って来てくれって話だった。
俺は一晩 呑みながら考え 退職する事にした。
1年後に退職とし 今の会社に移籍する事で決着した。
時は過ぎて あれから15年が経ち
社長も代わったその会社とは ほぼ無縁で過ごしてきた。
破産しようが どうなろうが 今さら知ったこっちゃ無い。
でも 出稼ぎから26年 独りで仕事をこなしてこれた
技術や経験は あの会社に 成り行きで入社したからなのだ。
在籍十何年までは 俺にとって居心地の良い ホームだったと
思いつつ 今週は呑み続けているのである。
早いね時の過ぎるのは みんな昨日みたい~♪
同期入社(大学も同期)で 俺より早く別会社に移ったO君に確認した。
なるほど そうか もしかして 創業40年ではなかったか?
俺はその会社に成り行きで入社して 21年在籍した。
が 後半11年は馬来西亜に独りで 出稼ぎに出ていた。(出されたか?)
O君と俺は その会社で初めての大学新卒採用だった。
まっ 二人とも何する会社か よく分かってなかったけどね。
創業メンバーは とある会社から スピンアウトして会社を立ち上げた。
なんとその十数人の先輩方の内 下戸は3人だけ
後は ほぼ大酒呑みで 毎晩が宴会状態だったので
俺達には理想的な職場だった。
土日、普通の連休も働き 残業・徹夜も当たり前だったのだが
俺は 他の会社を知らないし 薄給とは言え
月給、ボーナスを貰え 持ち株制なので 配当金まであり
今持っている技術を自習できて なんの不満も無かった。
俺が出稼ぎに出る数年前には親会社の株を買い取り
小っちゃい会社だけど 皆で楽しくやって行こうとしてた。
出稼ぎに出て 何年か経った頃から
今の会社から送金してもらう俺の売り上げが
会社売上の何十%かを占めはじめ
業績が良くないからと 給料をカットされても
拾ってもらった会社だし 皆も苦労してるだろうと考えていた。
それなりの忠誠心を持っていたのだ。
なのだが
電話で名前を言っても「いつもお世話になってます」と
見知らぬ新入社員から 応答されるし
一時帰国で 久し振りに出社すると 俺の机は既に無く
私物が段ボール箱に入れられていた。
出稼ぎ10年目 親会社の株にオマケで付いてきた当時の社長が
話があるから 来馬すると連絡してきた。
日本に戻って来てくれって話だった。
俺は一晩 呑みながら考え 退職する事にした。
1年後に退職とし 今の会社に移籍する事で決着した。
時は過ぎて あれから15年が経ち
社長も代わったその会社とは ほぼ無縁で過ごしてきた。
破産しようが どうなろうが 今さら知ったこっちゃ無い。
でも 出稼ぎから26年 独りで仕事をこなしてこれた
技術や経験は あの会社に 成り行きで入社したからなのだ。
在籍十何年までは 俺にとって居心地の良い ホームだったと
思いつつ 今週は呑み続けているのである。
早いね時の過ぎるのは みんな昨日みたい~♪
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