2019年3月26日火曜日

夢で食べたい

最近 同じような夢を見る。
夢の又夢かも知れないけどね。
それは こんな夢だ。

ふと気が付くと店の中 戸口に立っている。
右側に カウンター席と厨房があり
安っぽい4人がけテーブル席が4卓ある。
厨房の出入り口横に ビール中瓶と日本酒1合瓶が入った冷蔵庫がある。
その横の台の上に お茶とマジックで書かれたジャーが
その横には あの青地に白玉の御茶碗がアルミのトレーに置かれている。

家からチョット歩いた八百屋、魚屋、肉屋、酒屋等
数件の小振り商店街によくある ラーメン屋、定食屋の風情だ。

が カウンター席には椅子が無い。
仕方が無いので 他に客も居ない昼下がりなので テーブル席に座る。
カウンターの上の壁にメニューの短冊があった。
かつては 何種類も作っていたのか?
短冊を剥がした跡が 壁と明暗の痕跡を残している。

現在のメニューはと言うと
右から 「御料理」
「野菜肉炒め 450円」「肉入り野菜炒め 450円」「肉野菜炒め 450円」
「ニラ入りレバ炒め 450円」「レバ入りニラ炒め 450円」
 「御飯物」
「御飯、味噌汁、お新香セット 150円」

潔く、謎のメニューで 暫し 悩む。
厨房から 店主が「何にします?」と聞いてくるのだが
即答できず 「日本酒貰います」と冷蔵庫から出して来る。

悩んでいても仕方が無いので こういう場合の鉄則で
右端から注文する事で 納得する。
「野菜肉炒めと セット!」と注文すると
「あいよ!」と店主が答える。

厨房から ジャカジャカ シャッシャッと中華鍋を振る音
時々 カーン カーンとお玉で鍋を叩く音を
聞きながら 日本酒を呑む。

が いつまでも いつまでも
ジャカジャカ シャッシャッ カーン カーンが果てしなく続く。
二本目の日本酒を呑み終わったところで
「ヘイ お待ち!」と店主の声。

で 夢の記憶は途絶える。

ほぼ同じ夢を見るのだが 御料理の短冊の並びが違っていて
注文する物が違っていたりするのであるが
未だに食べた事が無い。

起きてからも 悩む
「野菜肉炒め 450円」「肉入り野菜炒め 450円」「肉野菜炒め 450円」
「ニラ入りレバ炒め 450円」「レバ入りニラ炒め 450円」
何がどう違うんだろうか?

あ~ 僕は 夢で食べたい!












2019年3月16日土曜日

緑地の手前にて

もう20年近く前の事 たぶんね。
大阪 江坂駅に居た。
とある中国福州の仕事で 中国側と
日本で営業権を持つ大阪側と分け前を決める必要があった。
翌日は 大津で値決めに行かなければならなかったからだ。
何もしない奴らに 金を配分する気はサラサラないのだが。
駅前のドトールみたいなコーヒー屋で 煙草を吸いながら
店の前を行き来する ネクタイに背広の男や
会社の制服を着た女を見ていた。

バカげた打ち合わせを終え ビルを出て
そんなに離れていないはずのヴィレッジ・プレス へ歩いた。

豊田勇造のCDを入手するのが目的だが
村元武さんとお会いし ほんの少しだけ 
お話が出来ればいいなと思っていた。

 村元さんは 持っていない雲遊天下があれば 
持って行ってくださいと穏やかに言われた。
ああ これは 中学生の頃 青山のURCレコードに行った時と同じだ。

在庫棚を物色していると 見つけました 金森幸介のCD。
有頂天になり CDのお金を払いV.Pを出ようとドカジャンを着た。
村元さんが穏やかに言われた 勇造のCDを買いに来たんだよね?と。

その夜 梅田のホテルで CDをかけ 幸せな酒を呑み
 肩の荷物を少しだけおろして 眠ったんだよ。






2019年3月3日日曜日

Rolling Coconut Reviewを聴きながらワシも考えた

ホントのところ ボクが考えていたのは
Rolling Coconut Reviewをスピーカーから音を出す前
無音で読んだ 森達也著
「すべての戦争は自衛から始まる」だ。

59歳の2016年まで 投票した事がなかった。
そんな話をした時に仕事の若い日本人が
「投票って 国民の義務と権利ですよね。
30年も投票しなかったんですか!」

ボクは パスポートを会得する権利の為に
義務を日本に対して行ってきた。
それで 十分だった。はず だった。

で 考える 集団って どうして内的 外的に暴走するのか?

そうだ 子供いじめ殺しは 最小集団の暴走だ。

さて ボクは 少しだけクジラを食べたい
それはダメかな?

ウ~ン。 





2019年2月6日水曜日

足の裏を巡る 長い旅が終わり あらたな苦悩の巡礼が始まる

霊長類が二足歩行を始めた事で
ヒトの足の裏には 土踏まずが形成され
足指の下平面、側面、かかとだけが接地するそうな。
土踏まずは 地面と足裏に形成される
ほんの些細な空間だ。
土踏まずは ヒトがサルと決別した事で形成された
それが 進化の数ある要素の一つとの事だ。
そんな些細な空間でか?

そして 土踏まずを持たないヒトに対して
偏平足と侮蔑的 差別的用語ができた。

普通(平)と異なる(偏だたる)足も持つ
お前はヒトなのか サルなのかと問う
踏み絵か? 或いは半ヒトと差別されたのか?

土踏まずが無くても 生活上 なんの不便も無い。
なぜ ヒトは そんな些細な空間をもってして
サルではないのだと 声高に主張するのか?

突然だが ワタシは告白しよう 生後60年土踏まずを持たない
半ヒトとして あらゆる弾圧、差別を凌ぎ
秘かに 抜け忍の様に ヒト面して生きて来た。
子供が生まれた時に 足形と 手形を色紙に押す
忌まわしい習慣がある。
ワタシの母は 生まれたばかりのワタシの足裏を
ジッと見つめ その習慣を拒んだそうな。
自分が産んだ子は ヒトなのかサルなのか?
母は 60年にもわたり この命題の解を探し出せていない。

この数年 家で雪駄を履いている。
サンダルより 楽だからだ。

さて 昨年末位から 裸足でタイルの床を歩くと
足裏の側面に接するタイルが窪んでいる感覚があった。
まっ 古いタイルの床だから そこら中痛んで 
擦り減っているのだと気にもしなかった。

がっ 今日自分の躰を弄りながら 理解した。
土踏まずが形成されているのだ!

生後61年経って 土踏まずが形成され
ワタシはヒトになったようだ。

今さらなので 裸足で歩く時の違和感を
抱えながら 老後を過ごすには
ゼツボウを覚える。

半ヒトで良かったのに!









2019年1月26日土曜日

覚醒する精神は 何を越えるのか?

中学生の頃 何で知ったか コリンウイルソンを知った。
多分 実存主義のカウンターの様に新実存主義と日本で呼ばれていたからか?

彼の書籍初出は1950年代から60年代。
神田の古書街を漁っていると 「アウトサイダー」を見つけ購入 当時で100円位だ。
難解な本なのだが なぜか惹きつけられて 古本屋で発行順に読んだ。

精神(脳)を自己で覚醒する事が 深化(進化)する個なのだ
と 勝手に理解する。

コリンウイルソンには、オカルトや殺人を通じた 評論と小説がある。

その人達は 何をキックボードにして 突き抜けた個になったのか?

その答えが アウトサイダーから アウトサイダーを越えてなのか?

今日観た 立花隆との対談で コリンウイルソンは語っていた。
「覚醒した精神の人が拡充し
 もし私が2020年まで生きていたら
 新しく変身した世界を観る事が出来るかもしれない」と。

が インターネットであげられる誹謗、中傷、確証も取らないシェアー
正しいけど画像はいきなり見せないでねって世界。

もう亡くなったコリンウイルソン 精神寄生体となってね!











2019年1月15日火曜日

サイゴノ ヒトハ

このサナトリウムに来てから 何年経ったのだろうか。
お見舞いに来てくれた友人達の足も遠のき
白樺林で ナースと追いかけっこをしたのも だいぶ前の話だ。

めっきり体力が落ち ベッドで横たわる日々が続いている。
妄想するのは 元気だった頃の事や出来なかった事。

定時には 朝、昼、晩と配膳がやって来る。
マッシュドポテトとやら 細かく刻まれ 柔らかく湯がかれた 緑黄色野菜
汁はポタージュ系が多く ガーリックトーストが添えられているが
供される前に ワラワラと細かく砕かれ ポタージュに投入される。
主菜は 柔らかくソテーされた白身魚だ。
魚の身を抜いて 刻み 皮に戻して ソテーされている。
添え物は 刻みニンジンのグラッセ。
時には豚レバーのパテも。

そして ベッドに横たわり 裏螺鈿の手鏡を見ながら
薄くなった髪を漉き 両側の元気な眉毛をスキムする。
口髭と顎髭を整える 誰に逢うわけでもないのに。

じっと 手鏡を眺める 空虚な口腔に残された
サイゴノ ヒトハ

がんばらなくていい まよわないでいい
いま その執着を棄てなさい!

その時 その日こそ 自由になるんだ~




2019年1月3日木曜日

佐野眞一著「唐牛伝」

佐野眞一さんの著作は 幾つも読んできた。

オレが10代前半の頃 街で観た70年安保が過ぎ
残り火の中 党的な闘いと
もう少し 違う闘いがあった頃。

あの人は 予備校の先生
あの人は 沖仲士で暮らしていると。

唐牛さんって 60年安保の人がいて
時には 居酒屋のおやじ 時には 北で漁師を
時には 南の島で洞窟で生活してるって
話を聞いた事があった。

なんか 凄い人らしいって。

断片的な情報が耳に入っても
なにせ 唐牛さん 何も書いてないし
酒飲みだし。

佐野さんの「唐牛伝」で 幾つかの事が分かった。
もっと自由に いろんな人と生きたかっただけなんだ。

本の中のたかだか4行だけど
福田恒存の立場を越えた文章は 沁みる。
「私とは全く反対の立場でありながら、私が最も好意をもつ主流派諸君に忠告する、
先生とは手を切りたまへ、ついでに。共産党から、貰ったニックネームのトロッキストを
自称する衒学趣味から足を洗いたまへ。歴史を手本とする教養主義を棄てたまへ。
警官より物を知ってをり、郷里の百姓に物を教えるうるなどいふ夢から覚めたまへ。」

思想に自由あれ 精神に自由あれ 行動に自由あれ。