2022年1月15日土曜日
人生には 分岐点が数回ある 選択は個人の自由だ で、それが?
2022年1月5日水曜日
とある廃水処理技術を巡る旅 或いは その周辺の・・・・
さてと屠場の廃水処理技術再勉強を昨年末からして来た。
各種論文から 現在の屠場廃水技術は 40年前と何も変わっていない事が検証できた。
論文数(N値)はあっても 引用ばかりで ガッカリす。
廃水発生源 生産工程 大筋では大きくは違いが無い。
かつての屠場と違っているのは 屠場の集合化とオートメーション化及び 周囲から隔絶したビル化だ。
屠場の集合化:地域毎にあった屠場は 恐らく地域住民の抗議で 集合化され 一か所で集中捌き。捌き頭数は 数千頭!かつては 朝7時過ぎから 潰しが始まり 昼には終了 昼飯食って 帰宅が無くなったそうだ。ハードな仕事なのにさ。
オートメーション化:オレが最初に目視した 屠場の職人さん達は 歩きながら ナイフを丸鑢棒で シュッ シュッシュと研いでた。現在は 機械が 放血、皮剥ぎ等々するので ナイフが要らない。
隔絶ビル化:廃水処理も含め全てを見えなくしてしまう。エアーオープン型の旧屠場との大きな違い。
で 豚さんや牛さんが ノラノラノーラと発生元 牧畜 畜舎廃水を研究す。論文少ない。
畜産業に寄り添っている アホからの情報が薄い。
仕切り直しする事にし 駅そば研究に向かう。
この1ヵ月 これらを再読す。
各世論文:特に記載しません
内澤絢子:世界屠畜紀行 、飼い食い
上原善広:被差別の食卓、被差別のグルメ、白丁を探して、日本の路地を旅する、私家版差別用語辞典
佐川光晴;牛を屠る
シェルパ斎藤 内澤絢子;東方見便録、東京 見便録
湯澤規子:ウンコはどこから来て どこに行くのか
用水廃水便覧:V11.2 と場(屠場)廃水
2021年12月28日火曜日
上原善広著「私家版 差別用語辞典」を読む
オレが再勉強をしている 屠場廃水処理技術から ここまできた。
この本は ある集団から ある集団を指す用語から始まり、現代的に使われない用語とその背景をタンタンと書かれている。
半世紀前に普通に使われていた言葉が 差別用語になってしまうのか?を問われている本だ。
子供の頃からオレは その用語を他人を差別する様に使った記憶が無い。
2021年12月21日火曜日
何かを誰かが屠り 食べる
前の会社に就職して 2週間後位に明日はS模屠場に廃水処理の点検に行くから 7時に会社(恵比寿白金)に集合と告げられた。
小田急線の始発に乗り一時間半掛けて 会社に行き 車で用賀から東名高速 港北PAで立ち食い掻き揚げ蕎麦を食って 降りたのは町田ICだった。見慣れた街なみ、街道筋を通り 着いたのは オレのアパートから 自転車で3,40分の処だった。
屠場敷地にズカズカ入って行くと 白い作業着を着た方々が革の腰帯 右にナイフ 左に研棒で 歩きながら 時折 ナイフをシュッ シュッシュと研ぎながら歩いておられる。
オレの目の前を横切るゴンドラは隣のハム・ソーセージ工場に繋がっている。その瞬間は 例えば映画で 何か知らない場所や時に前方から ドッ ドッドと押し酔て来る様な感じだった。匂いもオレは気にならない、つぶしの工程や内蔵、面の処理も勉強できたし 昼飯にトンカツも食えた。
その後 廃水負荷の高い 放血作業場で放血採取し 何度で丁度よい煮凝りが得られるのかを素手で潰して設計基準とするかを毎日 遊んでた。
ようやっと 実機をいれたが 思うようにはならなかった。オレの朝の仕事は 廃水受槽に入りポンプのストレーナーに付着したホルモンを素手で引きはがし、次に 煮凝りを取りに来た農家のトラックに煮凝りを入れる為 固まり過ぎた煮凝りにダイブしスコップで降ろす作業をした。
そして 廃水処理操作盤室に戻り ストーブで 朝一番のモツ素煮込み(水も味も要らないモツから水分が出る)に ホンノ少しだけタラ~っと醤油を垂らして食べた。
つぶしたてのモツ(内蔵)は熱い この状態でどう調理するかがきもだ。何度も御裾分けを貰ったが 熱量が減少すると美味しく無いのだ!
2021年12月15日水曜日
世界屠畜紀行を読みながら
内澤絢子著「世界屠畜紀行」を再々・・・読している。
2007年に解放出版社から刊行され 即買いした。
全人類の何割かが 食している肉。
対象動物が屠ふられ 解体されるのかの工程及び どのように食べるかを世界各地で体験したレポートだ。
この本はオレにとって貴重で 何度も読み返している。
1980年代 廃水処理屋になってから 毎月一回、時には 装置増設で数ヵ月 通っていたのが 屠場だった。
オレが処理(放流基準値以下に)しなければならない水は 何処から出て どう高濃度と低濃度を分別処理できるのかを知る為には 無粋な言い方をするには その工程を見る事なのだ。
20年位の違いがあるが 内澤がレポートした 工程は 物理的な技術の違いがあっても ほぼ同じ屠畜工程だ。
かつての屠場は 各地域にあり 前日夕方辺りに持ち込まれた 生物を朝早くから「つぶし」ていく。そして 昼飯食ったら上がりだった。
そこで働く人達は 腰皮ベルトの右に形状の異なるナイフ、左にはナイフを研ぐ棒状研磨 をぶらさげていた。そして 歩きながらシュ、シュっと研ぐのだ。
オレが 師匠から 与えられたミッションがある。
放血工程時のサンプルを採取し 何度何分で 煮凝りになるのか?そして どう装置化できるか?
そして 小僧達が 一人、二人・・と脱落していった。
2021年12月7日火曜日
世界で最も危険な作業を想う
湯沢規子著「ウンコはどこから来て どこに行くのかー人糞地理学ことはじめ」研究す。
読み進めていると 昔の記憶が 蘇る屎尿!
オレは 大学4年になる時 何処かの研究室に所属しなければ 卒論が提出出来なくなるので何処かを選ばなければならなかった。
ほぼ全ての研究室が オレには興味が無くそれまでバイトを斡旋してくれた研究室を成り行きで選択した。
衛生工学研究室だ。研究室名は 御立派なのだが 何のことは無く 浄化槽の大家の教授が居て そこに入学当時から出入りする学生は 各地の浄化槽屋の御曹司。
ここには各種サンプルが200L~300Lオープンヘッドドラムで届く。この開封作業はヒエラルキー最下層ドレイの作業だ。このドラムをオレタチは トイレに運び 開封作業をする。貴重なサンプルだ。
がっ サンプルがどれだけの時間を費やして届いたのかはオレタチには分からない。既に嫌気発酵しメタンガスで天蓋が膨らんでいる。オレタチは自前の白衣一丁。
天蓋リールの蝶番を外す瞬間が肝だ。相方とお前がやれとの無駄な会話で議論す。下手な開け方した時にゃ オレタチは屎尿にまみれながら 研究室にサンプルですとお届けし。教授が居る時は ご苦労だったな ビーカーに酒を注がれ 呑んだ。
そんなときには 他の研究室から抗議が殺到し、オレは各研究室のお局様方にお弁当をお届けるヒトになった。
2021年11月5日金曜日
「茨木のり子の献立帖」を読み 自分の記憶に浸る
詩人が残した膨大な日記、手書きレシピ―・スクラップ、等々を元に 詩人の料理を再現した本。
先ず のっけから痺れた。1958年に建てられた御自宅、台所とダイニングは壁で仕切られ 食器棚があるのだが ちょうどいい塩梅の高さに引き戸があり 料理やグラスや皿が遣り取り出来る様になっている。
オレが一歳の頃だ。確か 5歳頃まで住んでいた フォッサマグナ起点地の家は、台所は土間で、ダイニングなんて無かった記憶がある。
自宅のオープンキッチン化なんて つい30年位な様な気がする。
それも 狭い空間を あたかもトレンドな建築設計的に。
まっ 土間と居間の位置関係はオープンキッチンと言えなくも無いのだが。
オレの一家は 父の転勤で 京浜東北線に乗れば 10分位で荒川を越え 東京に越境できる街に引っ越した。
詩人が残した料理のレシピ―、何処其処で食べたとの記述を読むと
オレのその頃の食の記憶が揺すぶられた。
詩人が食べた料理、作った料理が オレの食体験と不思議に重なっているのだ。同時代体験かも?知れない。
パエリア、ビーフストロガノフ、中華粽、リゾット、ブイヤベース、ジンギスカン、ザワークラウト,肉骨茶等々。
そして 料理屋で食べた 味を再現す と。
詩人の日記には 度々「暮らしの手帖」の記述がある。
ここで ナルホドと膝をポ~ンと打つ。
オレンチは 家族が所有する本は オープンだった。
そこには 文春や週刊新潮や 瀬戸内晴美等々。
「暮らしの手帖」と「友の会 料理本」もあった。
更に 父が海外出張すると アレが コレが旨かったと自慢し、
自分が食べたいだけで 買って来たローストダックを食べた。
半年の予定で行き 2年弱帰って来なかった キューバ料理は 講釈を足れなかったが。
そして ドーモ そんな料理が食べられそうな 料理屋に行き 食べる。父の講釈を拝聴しながら。
オレの幼い食の記憶では 祖父が道内から 内地に越境し、オレだけを連れまわした 蕎麦屋、鰻屋、天麩羅や、寿司屋、おでん屋なのだ。
