2022年6月14日火曜日

ワタシは丼物が好きではないのだ!

 

天丼、カツ丼、鰻丼()、親子丼、深川丼、スタ丼、牛丼等々。

丼物は、飯の上に主菜が鎮座し、汁椀、漬物小鉢で大体構成されている。

ワタシは、汁かけ飯や東南亜細亜の各種オカズ乗せ御飯は好きだ。

丼物は、混沌からとは程遠い食べるヒトの自由度が少ない。

自由度とは、食べるヒトが飯の上に好きな具材を乗せ、飯と一緒に食べる或いは掻っ込む要素だ。

例えば 浅草の老舗の名物海老天丼。丼からはみ出す海老天が数尾鎮座し、御丁寧に蓋が乗っている。蓋としての蒸しとかの機能性は失われている。蓋が閉まらないのだから。

海老天は、箸で千切れないので、先ず海老天を噛み咀嚼中に天ダレが付いた飯を一口箸で入れる。

ここで違和感を感じる、掻っ込み感・一体感が無いのだ。

こうやって食べ進めていくと、海老天は無くなり丼の三分の一に残った天ダレも滲みていない飯が残る。

どうしようか?既に口直し的に使った汁椀は空だ。

フト見ると漬物があるのだが、沢庵二切れと胡瓜二切れだ。これを飯に乗せ御茶漬けで掻き込むのも一手ではあるが 微塵切りであれば掻き込めるのであるが、喉に詰まらせるだけだ。

と言った様に丼物は不自由なので ワタシは好きではない。

ワタシは、自立的に味や素材が違う料理を飯に掛け、時には汁を飯に掛け食べたいのだ!

と言うモノの食べた事が無い大阪の木の葉丼は食べてみたいと妄想している。

2022年6月12日日曜日

どんな旅もパッキングから始まる

 

紅顔の美少年の頃、幾つか観ていたロードムービーやホーボー映画があった。

映画の中の彼らの持っている旅装は、極めて単純だ。

ブランケットを一本の紐で 両端を縛り、小さな袋と一緒に斜め掛けする。

或るいは 長い袋の首元を縛り斜め掛けする。究極は 何も持たない。

荷物を収納するバッグは、荷物の嵩と重量に比例している。

成り行きで 仕事上の旅が増えてしまった数十年前から 持ち歩くバッグの嵩と重量を考えてきた。

一は資料とPC周辺機器、二は衣類。

一は、嵩も重量も減らせない、A3 35㎜巾2冊位が収納できる大きさが必要だった。PC周辺機器は プリンターや延長コードを担いでいた時から 少し楽になり、15インチと老眼眼鏡が収納できる大きさが必要だった。

二については、当初ホテルのバスタブで一緒浴したりしてたが、東南亜細亜ではランドリー・サービスが安い或いは一袋無料、近所の路地の洗濯屋ではキロ幾ら或いは一袋幾らで洗濯してくれる。パンツと靴下は2枚、Tシャツは3枚、シャツは1枚にす。

圧縮袋で嵩を減らせる。

 

そして、気が付くとPC収納型のデイパックを担ぎ、A3ファイルが入るエキスパンダブル・布製キャリー(3,40L)をガラガラし、パスポート、財布、携帯を入れる小さなショルダーを襷掛けして 旅をしていた。

パッキングは 出発10分前でOK、いつでも何処にでも行ける。

気分は もうホーボー!

 

もう3年も君達を抱きしめて 旅をしてなくて スマン。

 


2022年5月28日土曜日

東征或いは征夷を巡る二つの英雄奇譚 其の二 阿弖流為と坂上田村麻呂

其の一に書いた あったかどうかも分からない倭建命の東征から、数百年が経ち、ほぼ数百年前と変わらない前線(むしろ後退している)で倭の国は再び、東征、征夷を行う。

先ず、砦麻呂の乱があった様だが真相は不明、ここで石巻南部の最前基地多賀城を失う。

それから数十年後に、陸奥最大のヒロイック・ファンタジーの阿弖流為と坂上田村麻呂が突如登場した。

陸奥とは、陸の奥、陸の行き止まりの意味だ。

がっ、阿弖流為(蝦夷の本拠)は胆沢(現岩手水沢近辺)なので 陸の行き止まり(大間)350km位あり、当時だったら途方も無い彼方なのだ。

当時、阿弖流為は現十和田なんぞに居なかったのだ。

阿弖流為に馴した蝦夷部族 陸の行き止まり北方に散じ、阿弖流為は500人の族と投降する。

そして坂上田村麻呂は阿弖流為を捕縛し、都迄連行し、助命嘆願するもののバカ達が阿弖流為の首を切り、田村麻呂は慟哭す。チャンチャン。

とは終わらない。幾つかの祭儀に於ける東北映像資料を観た。

その祭儀は、阿弖流為或いは後付け凶賊悪路王に捧げられているそうな。

祭儀に重要なのは、歌舞音曲だ。リズムと舞が プチチョム、チャンゴチュム、ヒャンバルム、サルムノリにクリソツなのだ!

 

蝦夷の戦法は 騎馬民族のゲリラ戦で、坂上田村麻呂はこの戦法を学び、戦ったのではないかと思う。それは、かつて騎馬民族の倭人だった血が蘇ったのかもしれない。

 

日本仔は 何処から来たのか?元々居たのか?って命題がある。

例えば 香港辺りから臺灣経由でとか、東南亜細亜のどっかから、フィリピンからの船旅漂流説、シベリアから徒歩南下説が入り乱れている。

その中で最も頷けるのは 韓から来た人達が 原人と混触しながら 何となくなってしまっただ。

海を渡った韓の人達が南に辿り着いたり、北に辿り着き 果てし無い漢民族闘争をしたのかも知れない。

それは妄想のヒロイック・ファンタジーの世界。

 

この妄想を与えてくれた 水沢出身のバカデブズームと苦節30年未だ津軽弁が理解できない子午線午の助(阿弖流為は青森出身じゃねーよ)に謝意を。

そして 子午線午の助がコミットした映画(?)「阿弖流為」を座して待つ。