2022年7月2日土曜日

もはや戦後ではないなら 戦後は何処で彷徨っているのか?其の一

 

「もはや戦後ではない」は、オレが生まれる一年程前1956年の経済白書の“記述”。

生誕後34年程、糸魚川に親らしき人達の事情があり潜んでいた。

此処での記憶は 殆ど無い。唯一 あるのは、流行りもん好きの父らしきがテレビを買い、夕方になると近所の人達が 相撲を見に来て、そのまま呑み会になり、阿鼻叫喚、夏場所では 熱中症対応で 麦酒を頭から浴びるヒトばかりなので、皆さん茶髪だった。

そして、埼玉、蕨の郷に一家難民す。父らしき人は、白石に黒彫字の表札を門に掲げられた。

「廣川寓」と彫られていた。御幼少のオレは、父が普段名乗っている“昭夫”は 幼名であり、成人名は 寓だと理解し、そしてオレも“昭彦”と言う幼名が 成人の暁には「寓の大兄の王子」になると理解し、父を「寓の大君」と呼ぶと理論的に論破され、グーと呼ぶなとグーで殴られていた。

 

蕨の郷 日の出処る國で 人口密度第一位を古事記の頃からダントツで保守している 古都。

潜んでいた家は、準表通りから入る、鍵型袋小路にあり、家々が複雑に交差し、味噌・醤油小醸造工場があった。

袋小路と言っても、ご近所さんの庭を抜けると次の筋に出れるのだ。

幼稚園にも保育園にも行っていないので 人口密度一位の郷で 小童などの存在を小学校に行くまでは 知らなかった。

 

あの味噌・醤油工場に潜入して 樽と樽の隙間で 幾つかの芳醇な香りに包まれて 眠りたい。

 

「もはや戦後ではない」ふむふむ なるほど?

2022年6月17日金曜日

ワタシには 接点が無かった1980年代後半の流行経済 其の一

 

あの頃、日出る処では、バブルとかでハシャギまくっていた。

ハシャギまくる数年前から 水面下でゴトが始まっていた。

そんな時の話。

高校からのポン友から、同民族3世が新しい商売に乗り出すから 話を聞いてアドバイスしてもらいたいから六本木の店に来てくれと。

六本木は 不良の街だから行きたくなかったが、彼奴の頼みだから行った。

彼奴の同民族3世の若者が説明してくれる。

「オゾン発生器を家庭用に販売するんです。塩素も飛び、殺菌効果もあるんです。専門家だから分かりますよね」

「理論的には分かるし、環境的にいいね」

「僕は、自分の家の風呂で試しているのですが、2ヵ月水替えしてません。で、アドバイスして欲しいのは、ご家庭に売り込みに行くのに、こうなにか 劇的に水道水の色が無色透明になる様な 誰もが分かる化学的な手法を教えてくれませんか?」

ワタシは即座に、ノートを破りある手法を説明した。

「凄いっす、もうバカ売れ間違いなし!売れれば月十万顧問料払います。今日はドンドンやって下さい!」

ワタシは、ブランデーをアイスペールで呑む馬鹿を初めて見た。

その後、地上げに取り組んでいるポン友と渋谷のガード下の焼き鳥屋台で呑んだ。

「ヨンチュン、あの話どうなった オレ10万貰ってねーよ」

「倉庫が火事でオゾン発生器焼けてさ、奴一家は行方不知」

「そうか、仕方ないな。どうだ最近仕事は?」

「実入りもいいが、出も多いよ。だから 30歳前にこんな店でお前と呑んでんだよ」

「高校の頃から こんな所で呑んでるからな」

そして、ヨンチュンと連絡が取れなくなった そんなバブル前。

2022年6月14日火曜日

ワタシは丼物が好きではないのだ!

 

天丼、カツ丼、鰻丼()、親子丼、深川丼、スタ丼、牛丼等々。

丼物は、飯の上に主菜が鎮座し、汁椀、漬物小鉢で大体構成されている。

ワタシは、汁かけ飯や東南亜細亜の各種オカズ乗せ御飯は好きだ。

丼物は、混沌からとは程遠い食べるヒトの自由度が少ない。

自由度とは、食べるヒトが飯の上に好きな具材を乗せ、飯と一緒に食べる或いは掻っ込む要素だ。

例えば 浅草の老舗の名物海老天丼。丼からはみ出す海老天が数尾鎮座し、御丁寧に蓋が乗っている。蓋としての蒸しとかの機能性は失われている。蓋が閉まらないのだから。

海老天は、箸で千切れないので、先ず海老天を噛み咀嚼中に天ダレが付いた飯を一口箸で入れる。

ここで違和感を感じる、掻っ込み感・一体感が無いのだ。

こうやって食べ進めていくと、海老天は無くなり丼の三分の一に残った天ダレも滲みていない飯が残る。

どうしようか?既に口直し的に使った汁椀は空だ。

フト見ると漬物があるのだが、沢庵二切れと胡瓜二切れだ。これを飯に乗せ御茶漬けで掻き込むのも一手ではあるが 微塵切りであれば掻き込めるのであるが、喉に詰まらせるだけだ。

と言った様に丼物は不自由なので ワタシは好きではない。

ワタシは、自立的に味や素材が違う料理を飯に掛け、時には汁を飯に掛け食べたいのだ!

と言うモノの食べた事が無い大阪の木の葉丼は食べてみたいと妄想している。