2017年1月4日水曜日

トーシローズ・バーで呑んだ夜

そのバーは 同じ県内とは思えない程遠い。
大宮からは 埼京線武蔵浦和駅で武蔵野線に乗り換え
新秋津駅で下車 改札を出て 
西武池袋線秋津駅までブラブラ11分程歩く。
西所沢駅で西武狭山線に乗り換えて一駅目が最寄り駅だ。
が 安心するのは まだ早い!

小手指に向かって 長い 長い坂を旅人は上り続けるのだ。
死の彷徨一歩手前 坂の頂きでピバークし
ダラダラと下ると ようやっと そのバーに辿り着く。

店主が 外に出て髭だらけの顔をクシャクシャにして待ってくれていた。 

ドアを開けると YUZO Live @ Mojoの映像と音が!
「命の水」を頼むと ヤカン型急須で出て来た。
グビグビしながら Yuzo & Che好き店主と お話をする。

すれ違っていた40年前の事
キューバや全共闘の事
そして バカ話 ホラ話を続けた。
ふと気づくと 呑み過ぎているし 結構いい時間になっていた。
が もはや あの坂を上り下りし、複雑な乗り換えはかなり危険だ。
何せ 寝過ごすと池袋や秩父、船橋や府中に行ってしまう。
複雑な乗り入れに乗ってしまったら 関東を一周する事も夢ではない!
で タクシーを呼んでもらい 店主とハグして 帰った。 

このバーは 店主の隠れ家だ。
その隠れ家に吸い寄せられる蛾が 客だ。
この店主は 嫌な客は たたき出して 塩をまくに違いない。
幸い 俺はたたき出されなかったが 
帰った後に塩をまかれたかもしれない。

また遊んでくれるかな? ね~ サクマくん?
 
心優しき 店主の貢物Tシャツ!
 

2017年1月3日火曜日

JANIS: LITTLE GIRL BLUE @ KYOTO CINEMA


東京から京都に移動した その日は
阿佐ヶ谷から乗った中央線が
山の手線で起きた人身事故の影響で
代々木手前で20分強 停車した。

乗るはずの新幹線に乗れず 京都着は一時間程遅れる事に。
メールには 一日前倒しで JANISを観るので
京都キネマに 現地集合と着信。

なんとか Hさん Yさんがチケットを購入しているところに合流。
京都キネマの椅子に深々と 潜り込み 
客電が落ちて 闇の中から
JANIS: LITTLE GIRL BLUEが始まった。

繰り返し 挿入される 列車は 
幾つかの河を越えているのか
戻れないドコカとイツカに 向かって 走って行く。

停車していた数時間前の中央線。
ワタシの前に立っていた ちょっとキュートな若い娘が
ザックリしたコートのポケットから
グミの袋を取り出し 一掴み 二掴みと
次々と口に放り込んでいく。
続いて コートのポケットから コンビニお握りを出して
器用に ① ② ③と外装を解体し 海苔を巻き
食べる 食べる 食べる。
そして 動き始めた中央線 
お握り2個を完食した彼女は オチャノミズで降りて行った。
さて 彼女は ドコに行ったのかな?

2016年12月18日日曜日

時が過ぎ 幾つかは何処へ 何処へ行こう


換金しようと思い 考えた。
お家に近い Mid Valleyの換金屋は 開店前から長蛇の列だ。
ではっと 久し振りに BB Plazaの換金屋へ 行こう! 

Jalan Bukit Bintangにある BB Plaza
何時間居ても 飽きない 複合商業施設だ。
隣接する Sungai Wang Plazaと繋がっているが
微妙に 階高が数cm違っている。
迷路の様な所に
一間間口の店が 小商いをしていて
怪しいコピー商品が 売られていた。
そぞろ歩く 人達は 歩き煙草だったし
俺は怪しいコピーVCDの受け渡しで
この筋を歩いた。

この国の多民族と旅行者が 行き交う魔窟だった。
なので 換金屋のレートは 頗る良いのだ。

BB Plazaに入るのは 4,5年振りだ。
かつての様に Sungai Wang Plaza側にパーキングし
L1に上り 左に歩く 
が 左側は壁で覆われ 進む事が出来ない。

ではと Sultan Ismail側に出て
路上をトボトボ歩く。

なんて ことか BB Plazaは 解体真っ最中! 

27年前 出張で初めて 馬来西亞に来た時の最初の夕食は
BB Plazaの最上階のフード・コートにあった経済飯だ。
何十種類もの料理が パットにあり
野菜料理、カレー、中華風肉料理、魚、豆腐 等々。
美味しいし。

朝 シュンシュンと炭火の上でヤカンが鳴る
肉骨茶屋で飯を掻っ込む。

あ~ なんていい所だろうか!

が 時が過ぎ 犬のBBも逝ってしまった。

2016年12月12日月曜日

Smoking Ears and Screaming Teeth

「耳から煙が出て そして 歯はガタガタさ」
この本は 化学、生理学、物理学 全ての技術探究の為に
自らを検体とした 人達の 努力の本だ。

邦題は「世にも奇妙な人体実験の歴史」
オドロ オドロシイね。

未だに 次々と 未知の感染が 現れる。
で 封印されたと思う 生化学兵器が
まるで パンドラの函の蓋が パフパフと開けられように。

感染症を自らに投与する
放射線を自ら 浴びてみる
何万キロの高低差を 自ら経験する
回虫を 自らの胎内で飼ってみる等々。


さて この何十人もの 科学者は マッドサイエンティストなのか?


俺も含めて 環境や食べるものに関わる 人間は 
時々 マッドだが
全ての人が
モンサンテや バイエルや ダウや デュポンの様には
さもしい 王様の朝食を 受け入れない。

美味しい朝食は
テーブルの向こうで 笑いながら 食べる人と過ごせることだ。











2016年12月10日土曜日

ダーリン・ミシンが 耳に鳴り続けてるよ!


土曜日だけ その日の朝の再放送「べっぴんさん」を観ている。
毎日観てなくても 何となく スジが理解できる。
で 毎土曜日昼下がりに思い出す ミシンの音。

俺の 倉庫番の娘の母は 子供服ブランドのデザイナーだった。 

俺が 毎日 酔っぱらって 真夜中 お家に帰ると
ドアの向こうからは ガガガ ガガっと聴こえてくる。
そっとドアを開け 忍び足で 入ると
居間で その人は 電気ミシンのペダルを膝で踏んでる

ガッガガ ガガガッタ ガガガッ

何でも 公園友達や 幼稚園友達の頼まれ物を作ってると。
「酔っ払いは もう寝なさい
ワタシは これをある程度終わらせるから」

で 俺は ガッガガ ガガガッタ ガガガッと揺られ
手作りの子供服が 手渡しできるのは 良いねっと
思いながら 少しだけ 倖せに眠った。 

30年も経って 気が付いた
あれは もしかしたら 内職だったんではないのかと。
 

2016年12月5日月曜日

Rumbling & Trouble with Me and Luggage


25年以上前は こんなトランクを使っていた。

ホテルに泊まれば ステッカーが貼られ
 


開封確認のシールが いろんな空港で貼られた。

このトランクは 当時珍しい 電子錠だったが

今や 電子錠を無くしたので 中に何があるか 確認できず。

 

もっと 機能化できないかと

購入したのが eagle creekのソフトキャリーバックだ。

これは 優れていた。

収納ポケットが 内外にある。

で エクスパンダブルだ。

 

真っ平な道路では 無い所でガラガラ

立てた状態で 引くのに 低部をキック

オマケに 南京錠の鍵を無くし

ニッパーで切り刻んだ。

 

3~5年置きに 使い潰すトランク。

この数年使った エミレンスも 相当くたばって来た。

 

さて 原点回帰で eagle creakを買おう。

でも ネットじゃないよ。

俺は 開けたり 閉じたり

凹凸をグリグリし 

何処に 何が収まるかを

実地で 確認したいのだ。

 

まるで 愛し合う二人の様にね。

2016年12月4日日曜日

Still Incovenience Stores in My Countory

かつて 某コンビニ TV CMで
「閉めときゃ 良かった!」とか
「開店時間は わずか4時間だけ!」とあったような気がする。

ワ~タシの国 馬来西亞は 周辺諸国と比較して
コンビニ超不毛国家でア~ル。

冒頭のコンビニが そこら中に いっぱいあるのだけど
ま~ お惣菜 お弁当なんて 無いに等しい。
サンドイッチがあるには あるが
ハッキリ言って 不味い。
お菓子とビールを買う位しか無い 不便商店。

この国と比べると 周辺諸国は超級便利商店だ。
特に隣国タイは 凄い!
温泉卵ありーの おにぎりやら 麺類やら
挽きたて珈琲 そしてKitty Goods等々
俺にとっては パラダイスだ!

そんなコンビニ不毛国家に
全家便利商店がやって来た Ya Ya Ya。
一号店は 車で20分程掛かるので 行かなかった。
二号店は 昨日開店 車で十分 それで十分。


お客さん いっぱいいらっしゃいました。
さすが 各国で展開している 全家便利商店
リサーチがしっかりしていました。
初出店でも 完全ローカル化だ。


 
これと言ったお惣菜も お弁当も無い
お握りは 3種類位が雑多に置かれていた。
おでん鍋は グラグラ沸騰し 具が ダンス ダンス
よっ 石川五右衛門や~!

ここまで来たから 鮭お握りとサンドイッチを購入する。

 
レジで 日本でよくある
接客マニュアルの スマイルで
快活に聞かれた 完璧なマレグリで
"Want you warm it!"

"No Neeeeeeeeed la!"