2022年4月1日金曜日

妄想の一杯は もう一杯を呼び 長い夜は続いて行く~♬

 

ワタシは 大阪のオバチャン建築士から送ってもらった 資料「ニコイチ・あすなろ夢建築」を印刷し、ジックリと研究す。

一頁目から -事業の構成員-とある。さすが大阪 墨筋で組が構成されている。

次に -ニコイチとは- 隣り合う2住戸を繋ぎ 90平米とする。なるほど。

つまり 1住戸は45平米だった事になる。それは 高級ホテルのセミスイートと同じ平米数だ。

次に注目したのが コンクールの点数だ。

何故 グランプリが1点しか貰えないのに、佳作が3点貰えるのか?不平等だ。

グランプリ作品を検証す。対象設計は 22105号室 389.96平米だ。

何故 3階なのに105号室なのだろうか?ワタシの経験では 集合住宅、ホテル等の部屋番号は 先ず階数が一桁、二桁そして部屋番号が一桁、二桁、三桁となる。謎だ。

-主な変更点-先ず 既存排水経路位置が決まっている為便器の向きを変更。

悩む 実施前は共通階段に対して対面に排水周りが集中している。

実施施工図では 便座が180度回転し 排水口とは真逆だ。どう 繋いだんだ既存廃水経路と?

とツッコミながら 考えた。大宮倉庫は 階段室が吹き抜けになっているだけで 隣住居とは完全ミラー構成だ。

隣を占拠し 壁をブチ破れば グランプリと同様であるが148平米にリノーベーションができる。さらに ベランダ間の非常壁もブチ抜けば ベランダで 独りBBQや朝の爽やかな風に吹かれながら朝食と珈琲、命の水を愉しみリッチな朝やハーブ等オーガニック野菜を自家栽培も可能になる。

更に キッチンの排風ダクトを延長しベランダ上部にフードを設置すれば 上階からのケムケムクレームも無いはずだ。

がっ 問題は 大宮倉庫のトイレ位置なのだ。キッチン横にあるので キッチン拡充を図れないのだ。

そして 金は天下の回り物と嘯いて生きてきたが、この歳になると 回るものも回らなくなるのだ。テヘへ。

 

2022年1月15日土曜日

人生には 分岐点が数回ある 選択は個人の自由だ で、それが?

下川裕治さんの「12万円で世界を歩く」1990年、「12万円で世界を歩く リターンズ(赤)」2019年、「同(黄)」2020年、「世界一周ビンボー大旅行」1998年、「10万円でシルクロード10日間」2019年を再・・読、新読している。
一冊目が元本で 他4冊は元本を辿る旅だ。
元本の旅は、1988年89年であり そこから30年以内の旅だ。
オレが 仕事で初めて馬来西亜に出張したのが89年、92年本格的に居ついて30年経つ。
この間 東南亜細亜諸国に出張しては短中長期滞在をしていたので つい行った事のある街や国が登場するとグルグルマップで確認したり、あの頃はあの国やあの街にも行ったなと反芻確認するので 遅々として読み進めない。
下川さんの旅は 他の本もそうなのだが、移動と街を徘徊しているだけで観光はしていない。
オレは出張三度笠なので、昼は御仕事し 晩は同行者や現法出向者と呑んでいたりするので オレがその街を徘徊出来るのは 早朝だけで 勿論観光なんぞとは無縁だった。
激しい時は 各国ワン・ナイト・スタンド・亜細亜ツアーだった。
朝市がホテルの近くにあれば行く、無い場合は路地巡りして路上屋台で朝食。
単独の場合、晩は 帰りがけに総菜屋で打包かルームサービスで部屋呑み。
タイ・サラブリ・ノンケーの宿に一ヵ月近く居た時は ルームサービスが無かったが 一階に安い中華料理店があり メニュウを入手し 宿に帰ると フロントで1,2品を毎晩順番で番号注文し ボーイさんに部屋まで持って来てもらった。全料理制覇す。
その上 ボーイさんに頼んで パッタイやバ―ミー、カオマンガイ、メコンウィスキーを買って来てもらった。
宿に帰り着くのは夜8時過ぎ、小さいSCもあり、小規模フードコートもあるそれなりの街なのだが 街灯が少なく 暗い、疲れもあり、部屋で他の仕事もしなきゃならなかったので 夜に徘徊する気が失せるのだ。
朝は 7時過ぎにタイローカルスタッフが迎えに来るので 徘徊している暇もなく、その上 土日も現場仕事だった。
オレの唯一の愉しみは、スタッフの昼飯を買出しに行くローカルスタッフに同行して、掘立小屋のブッカケ飯屋で自分用のオカズを選ぶ事だった。
そして 悲劇が起こった。
その日 選択したオカズの一つにブツ切り豚肉ナンプラー煮込みがあった。
現場事務所で 発泡スチロール容器から食べていた。ガリっと音がした後 口中に異物感が。
豚の骨だなと亜細亜あるある感で 口から出した。
出てきたのは豚の骨と出張前に入れたインプラントの割れた仮歯だった。
食わなきゃ午後の仕事が出来ないので 弁当完食す。
宿に戻り 口中を鏡で確認するとオネジ・アンカーが寂しく屹立していた。
一週間後 吉隆坡に戻り 歯医者に行くと アンカー曲がってるから 打ち直しと言われた。
トホホ。
そして あの数年で 5本打ち込んだ全てのインプラントも  もう~居ない~♬ 誰も居ない~ ブラックフォール~♬ワタシは~けして忘れない~30年前のこの本を~♬ 





 

2022年1月5日水曜日

とある廃水処理技術を巡る旅 或いは その周辺の・・・・

 さてと屠場の廃水処理技術再勉強を昨年末からして来た。

各種論文から 現在の屠場廃水技術は 40年前と何も変わっていない事が検証できた。

論文数(N値)はあっても 引用ばかりで ガッカリす。

廃水発生源 生産工程 大筋では大きくは違いが無い。 

かつての屠場と違っているのは 屠場の集合化とオートメーション化及び 周囲から隔絶したビル化だ。

屠場の集合化:地域毎にあった屠場は 恐らく地域住民の抗議で 集合化され 一か所で集中捌き。捌き頭数は 数千頭!かつては 朝7時過ぎから 潰しが始まり 昼には終了 昼飯食って 帰宅が無くなったそうだ。ハードな仕事なのにさ。

オートメーション化:オレが最初に目視した 屠場の職人さん達は 歩きながら ナイフを丸鑢棒で シュッ シュッシュと研いでた。現在は 機械が 放血、皮剥ぎ等々するので ナイフが要らない。

隔絶ビル化:廃水処理も含め全てを見えなくしてしまう。エアーオープン型の旧屠場との大きな違い。

で 豚さんや牛さんが ノラノラノーラと発生元 牧畜 畜舎廃水を研究す。論文少ない。

畜産業に寄り添っている アホからの情報が薄い。

仕切り直しする事にし 駅そば研究に向かう。

この1ヵ月 これらを再読す。

各世論文:特に記載しません

内澤絢子:世界屠畜紀行 、飼い食い

上原善広:被差別の食卓、被差別のグルメ、白丁を探して、日本の路地を旅する、私家版差別用語辞典

佐川光晴;牛を屠る

シェルパ斎藤 内澤絢子;東方見便録、東京 見便録

湯澤規子:ウンコはどこから来て どこに行くのか

用水廃水便覧:V11.2 と場(屠場)廃水

 

 

 

 

 

 


2021年12月28日火曜日

上原善広著「私家版 差別用語辞典」を読む

 オレが再勉強をしている 屠場廃水処理技術から ここまできた。

この本は ある集団から ある集団を指す用語から始まり、現代的に使われない用語とその背景をタンタンと書かれている。

半世紀前に普通に使われていた言葉が 差別用語になってしまうのか?を問われている本だ。

子供の頃からオレは その用語を他人を差別する様に使った記憶が無い。


2021年12月21日火曜日

何かを誰かが屠り 食べる

 前の会社に就職して 2週間後位に明日はS模屠場に廃水処理の点検に行くから 7時に会社(恵比寿白金)に集合と告げられた。

小田急線の始発に乗り一時間半掛けて 会社に行き 車で用賀から東名高速 港北PAで立ち食い掻き揚げ蕎麦を食って 降りたのは町田ICだった。見慣れた街なみ、街道筋を通り 着いたのは オレのアパートから 自転車で3,40分の処だった。

屠場敷地にズカズカ入って行くと 白い作業着を着た方々が革の腰帯 右にナイフ 左に研棒で 歩きながら 時折 ナイフをシュッ シュッシュと研ぎながら歩いておられる。 

オレの目の前を横切るゴンドラは隣のハム・ソーセージ工場に繋がっている。その瞬間は 例えば映画で 何か知らない場所や時に前方から ドッ ドッドと押し酔て来る様な感じだった。匂いもオレは気にならない、つぶしの工程や内蔵、面の処理も勉強できたし 昼飯にトンカツも食えた。

その後 廃水負荷の高い 放血作業場で放血採取し 何度で丁度よい煮凝りが得られるのかを素手で潰して設計基準とするかを毎日 遊んでた。

ようやっと 実機をいれたが 思うようにはならなかった。オレの朝の仕事は 廃水受槽に入りポンプのストレーナーに付着したホルモンを素手で引きはがし、次に 煮凝りを取りに来た農家のトラックに煮凝りを入れる為 固まり過ぎた煮凝りにダイブしスコップで降ろす作業をした。

そして 廃水処理操作盤室に戻り ストーブで 朝一番のモツ素煮込み(水も味も要らないモツから水分が出る)に ホンノ少しだけタラ~っと醤油を垂らして食べた。 

つぶしたてのモツ(内蔵)は熱い この状態でどう調理するかがきもだ。何度も御裾分けを貰ったが 熱量が減少すると美味しく無いのだ!

 



2021年12月15日水曜日

世界屠畜紀行を読みながら

 内澤絢子著「世界屠畜紀行」を再々・・・読している。

2007年に解放出版社から刊行され 即買いした。

全人類の何割かが 食している肉。

 対象動物が屠ふられ 解体されるのかの工程及び どのように食べるかを世界各地で体験したレポートだ。

この本はオレにとって貴重で 何度も読み返している。 

1980年代 廃水処理屋になってから 毎月一回、時には 装置増設で数ヵ月 通っていたのが 屠場だった。

オレが処理(放流基準値以下に)しなければならない水は 何処から出て どう高濃度と低濃度を分別処理できるのかを知る為には 無粋な言い方をするには その工程を見る事なのだ。

20年位の違いがあるが 内澤がレポートした 工程は 物理的な技術の違いがあっても ほぼ同じ屠畜工程だ。

かつての屠場は 各地域にあり 前日夕方辺りに持ち込まれた 生物を朝早くから「つぶし」ていく。そして 昼飯食ったら上がりだった。

そこで働く人達は 腰皮ベルトの右に形状の異なるナイフ、左にはナイフを研ぐ棒状研磨 をぶらさげていた。そして 歩きながらシュ、シュっと研ぐのだ。

オレが 師匠から 与えられたミッションがある。

放血工程時のサンプルを採取し 何度何分で 煮凝りになるのか?そして どう装置化できるか? 

そして 小僧達が 一人、二人・・と脱落していった。

 


 

 

 


2021年12月7日火曜日

世界で最も危険な作業を想う

 湯沢規子著「ウンコはどこから来て どこに行くのかー人糞地理学ことはじめ」研究す。

読み進めていると 昔の記憶が 蘇る屎尿!

オレは 大学4年になる時 何処かの研究室に所属しなければ 卒論が提出出来なくなるので何処かを選ばなければならなかった。

ほぼ全ての研究室が オレには興味が無くそれまでバイトを斡旋してくれた研究室を成り行きで選択した。

衛生工学研究室だ。研究室名は 御立派なのだが 何のことは無く 浄化槽の大家の教授が居て そこに入学当時から出入りする学生は 各地の浄化槽屋の御曹司。

ここには各種サンプルが200L~300Lオープンヘッドドラムで届く。この開封作業はヒエラルキー最下層ドレイの作業だ。このドラムをオレタチは トイレに運び 開封作業をする。貴重なサンプルだ。

がっ サンプルがどれだけの時間を費やして届いたのかはオレタチには分からない。既に嫌気発酵しメタンガスで天蓋が膨らんでいる。オレタチは自前の白衣一丁。

天蓋リールの蝶番を外す瞬間が肝だ。相方とお前がやれとの無駄な会話で議論す。下手な開け方した時にゃ オレタチは屎尿にまみれながら 研究室にサンプルですとお届けし。教授が居る時は ご苦労だったな ビーカーに酒を注がれ 呑んだ。

そんなときには 他の研究室から抗議が殺到し、オレは各研究室のお局様方にお弁当をお届けるヒトになった。