豊田勇造を初めて知ったのは、長野隆とのライブ盤の頃(74、5年)、
NHK ラジオ「若いこだま」の放送だった。「うさぎ」が耳に引っ掛った。
その名を再び発見したのは、75年末か76年初頭の「宝島」誌上で。
「さあ もういっぺん」LP製作への出資を募る 見開き2ページの記事。
一万円で 5枚入手する事ができ、二千五百円の定価で4枚 売れば、
1枚がタダで自分のものになる勘定だった。
ラジオから録音したテープでしか聞いた事のない「豊田勇造」、
そして製作、販売が伝説のアングラ劇団「発見の会」。
なにより、ここで出資しないと一生 入手できないかもといった「恍惚と不安」で、
即行で入金した。
高校を卒業してブラブラしていた事もあり(つまり大学浪人)、
東京でのライブに行ったり(LP発売記念が中野文化センター)、
ファンクラブに入会したり、
発見の会 福田荘に遊びに行ったり、勇造本人と会ったりした 76年の春の日。
総経理にとって、76年は勇造元年と言える。
上記 一口出資額の記憶が曖昧。
もしかしたら3枚五千円?2枚を定価で売れば、一枚タダで自分のもの?
一万円は「走れ アルマジロ」「血を越えて愛し合えたら」の一口出資金額だったかも?
いずれにしても、会った事も、話した事も無い人達を信じる事の出来た
純真無垢な19才の総経理であった。
そんな日も 「卵とトマトの炒め物」「牛肉の黒胡椒炒め」で、一杯。
そういやぁ、今日は 休刊日のはずなのに。
2009年10月26日月曜日
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興味深いお話です。(^-^)
返信削除卵とトマトの炒め物って
以前、「これは何かわかない」とおっしゃっていた
私が沖縄「青島」で食べた台湾料理の一品に
似ているような。
卵はとろとろの半熟で
お出汁もしっかり効いていましたが…
同じく興味深い話だと思います。
返信削除しかし、相変わらずのご馳走ですね。
涎が出ます!
いつか、そのご自慢のランチョマットを持って出張料理人して頂きたいです♪
あのころの私は,なぜ近畿放送のラジオばかり聴いていたのか不思議な縁だと感じます.それから今年の円山まで,ずっとジェフらずに聴き続けてきました.お蔭で多くの人たちと喜びを共にすることができました.この世界を知らなかったら生きてる価値がない.トラパン万歳!
返信削除>さくらさん、Browneさん、ジェフ春友Masaoさん
返信削除未だ、会った事もない友って、良いですね。
このまま、会わなくても良いかも。
興味深い話は、まだ続きます。
嫌だって言っても、あと10回位は。
>さくらさん
卵とトマトは、中国のお弁当に、必ず入っていたものです。さくらさんが食したものと、ちょっと違うかも。
>browne さん
素敵なランチョンマット、いくらでもお届けします。
>春友さん
関東では、深夜 近畿放送は受信できませんでしたが、
なぜか 毎日放送は受信できました。
勇造さんを知る前は、「加川良と金森幸介」のヤンタン?を雑音の中、聞いてました。
なんで、関西に生まれなかったと思いながら。