ネットの新聞も トップしか見ていなかった。
26日に赤瀬川原平が無くなっていた事を昨日知った。
親の「朝日ジャーナル」を盗み読みしていて
アサジャを包装紙とした 櫻画報で赤瀬川原平を知った。
1971年に青林堂から「櫻画報 永久保存版」が上梓されるが
その頃は 上梓された事を知らなかった。72,3年頃に永久保存版の存在を知ったが
どこの書店、古本屋でも見つけられなかった。
そんな74年に青林堂から アサジャその後
新包装紙「現代の眼」含むを増補した「櫻画報激動の千二百五十日」が上梓された。
美麗函入り 大判 値段は忘れたが 当時2千円前後だった様な気がする。
欲しくて 欲しくて 高校の帰り
池袋パルコ内 詩の専門店「パウロル」
毎日 手に持ち 撫ぜて 匂いを嗅ぎ 頬擦りし
溜息を尽きながら 棚に戻した。
書店員から 気味悪がられてきたので
清水の舞台から 飛び降りて 購入した。
その日のお小遣い帳には 参考書と記載した。
それからは 赤瀬川原平は フェーヴァリット・アーティスト
超芸術トマソン、路上観察学会、老人力、日本美術応援団、尾辻克彦
宮武外骨を知ったのも 赤瀬川原平だ。
今年6月に豊田市美術館で天才アラ~キ展を観た際に
赤瀬川原平の「全面自供!」を購入。そのすぐ後 某雑誌の安西水丸追悼号の追悼文偽造があり
赤瀬川原平の家人が
「寝たきり 入院中で 文章なんか書けません」とコメントしていた。
28日から 千葉で大展覧会が始まる 二日前に亡くなり
自ら華ををそえられた。
合掌。
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