其の一に書いた あったかどうかも分からない倭建命の東征から、数百年が経ち、ほぼ数百年前と変わらない前線(むしろ後退している)で倭の国は再び、東征、征夷を行う。
先ず、砦麻呂の乱があった様だが真相は不明、ここで石巻南部の最前基地多賀城を失う。
それから数十年後に、陸奥最大のヒロイック・ファンタジーの阿弖流為と坂上田村麻呂が突如登場した。
陸奥とは、陸の奥、陸の行き止まりの意味だ。
がっ、阿弖流為(蝦夷の本拠)は胆沢(現岩手水沢近辺)なので 陸の行き止まり(大間)迄350km位あり、当時だったら途方も無い彼方なのだ。
当時、阿弖流為は現十和田なんぞに居なかったのだ。
阿弖流為に馴した蝦夷部族 陸の行き止まり北方に散じ、阿弖流為は500人の族と投降する。
そして坂上田村麻呂は阿弖流為を捕縛し、都迄連行し、助命嘆願するもののバカ達が阿弖流為の首を切り、田村麻呂は慟哭す。チャンチャン。
とは終わらない。幾つかの祭儀に於ける東北映像資料を観た。
その祭儀は、阿弖流為或いは後付け凶賊悪路王に捧げられているそうな。
祭儀に重要なのは、歌舞音曲だ。リズムと舞が プチチョム、チャンゴチュム、ヒャンバルム、サルムノリにクリソツなのだ!
蝦夷の戦法は 騎馬民族のゲリラ戦で、坂上田村麻呂はこの戦法を学び、戦ったのではないかと思う。それは、かつて騎馬民族の倭人だった血が蘇ったのかもしれない。
日本仔は 何処から来たのか?元々居たのか?って命題がある。
例えば 香港辺りから臺灣経由でとか、東南亜細亜のどっかから、フィリピンからの船旅漂流説、シベリアから徒歩南下説が入り乱れている。
その中で最も頷けるのは 韓から来た人達が 原人と混触しながら 何となくなってしまっただ。
海を渡った韓の人達が南に辿り着いたり、北に辿り着き 果てし無い漢民族闘争をしたのかも知れない。
それは妄想のヒロイック・ファンタジーの世界。
この妄想を与えてくれた 水沢出身のバカデブズームと苦節30年未だ津軽弁が理解できない子午線午の助(阿弖流為は青森出身じゃねーよ)に謝意を。
そして 子午線午の助がコミットした映画(?)「阿弖流為」を座して待つ。