2022年10月24日月曜日

Ry Cooder 40hrs耐久レースは、粛々と続いて行くのだ

 

1987”Get Rhythm” 以降 Ry病い者達は、Ry名義のアルバムは2007年“My Name Is Buddy”まで Stay状態であった。

1982年“The Slide Area”から”Get Rhythm”まで5年間の空白があるので、な~に耐えて待つ事にゃなんて事無いダケンね~ではあるが、20年は長過ぎる。

1980年代のこの空白の5年と1990年代3年間、2000年代の7年間は、ある意味で充実している。

幾つかのブートレグを除き、アルバム活動は 「映画音楽」と「各国のミュージッシャンとのプロジェクト・アルバム」2軸だった。エキセントリック・ルーツ・スーパー・バンド”Little Village”もあるのだが、“Rising Sons” と同様に それはそれで また別の話だ。

 

「映画音楽」は、Wim Wenders 監督作品以外は Ryが音楽担当なだけで観た映画が幾つもある。

そんなWim監督以外の映画は、どうしてこんな映画に?これは映画そのものが良いではないかとワタシの受け止め方がある。

どうしてこんな映画に?を省くとRyの音楽がワタシ的にハマった映画。

“The Long Riders ”, “Southern Comfort”, “The Border”, “Alamo Bay”, “Johnny Handsome “, “Last Man Standing”, Geronimo: An American Legend, “My Blueberry Nights”

ワタシの傾向は、「国境」「新旧ピカレスク」「都会の喧騒と孤独」なのだ。

Ryの音楽がハマる映画とハマらない(映画自体?)のメガホンを一番多く撮った監督は、Walter Hillで ワタシは 他作品も含め、映画製作者として 最も謎(腰の座らない)な監督・製作者だ。

 

プロジェクト・アルバムは、1975”The Gabby Pahinui Hawaiian Band”が先駆けだ。

ワタシが吹っ飛んだのは、1993”A Meeting by River”(Mohan veena発明者・演奏者 Vishwa Mohan Bhattとの共作)、因みに Mohan veena とは、ヒンドゥー音楽の各種弦楽器とハワイアン・ギターが融合したそうな。楽器形状と演奏スタイルは 一見 弦高アコースティックギターをラップ・トップ・スライドで演奏している様に見えるが、音色はインドで、印度人特有な瞑想型複雑怪奇チューニングなのだろう。

1974年“Talking Timbuktu(マリのギターリスト後にマリのJohn Lee Hookerと呼ばれる Ali Ibrahim "Farka" Touréとの共作)

Aliのギターは、普通のアコースティックギターなのだが、これもまた なんか複雑な音色と独特なピッキング・リズムなのだ。

この辺りから息子Joachim Cooderが パーカッションで参加するようになる。

因みに 馬来西亜を始め亜細亜各国(空港内含む)の 妙にワタシ的に充実しているレコード屋でCDを購入し始めた。

プロジェクト・アルバムが一大プロジェクトに発展したのが、1996”Buena Vista Social Club”だ。

レジェンド・キューバン・ミュージッシャンとの共作。

が、映画音楽とプロジェク・トアルバムが融合してしまいRy本人が映画の素材になった同名映画、キー・パーソンは Ry Cooder, Wim Wenders, Joachim Cooderだ。

この映画に原作は無いのだが、“The Motorcycle Diaries”や”On the Road”と同じ様に 実在者が非実在者として流浪するロード・ムーヴィーとして観るべきではないかい?

 

そして Ryの全地球的チャンプルー音楽への流浪の旅は 果てし無く続いて行くのだ。

 



 

「スミヤキストQの冒険」を読み直す休息と遍歴或いは巡礼の旅

 

1970年代初め 文庫新刊棚で この本を立ち読みし 購入した。

倉橋由美子の小説を初めて読んだ。

この本を読んだ動機は、幾つかある。

 

当時 ワタシは、コミュニスト、アナーキスト、ナチスト、テロリスト、ピアニスト、ギターリスト、教師スト、国鉄スト、ハンスト、サディスト、マゾヒスト等語尾にスト或いはズムが付くとカッチョイイのだと思考していた。

また、阿Q正傳を読んでいた事、幻想と怪奇(冒険奇譚含む)やシュールレアスティック&スラップスティックSF、思想の科学、明治・大正・昭和の詩人と思想家、アングラ演劇、新実存主義(コリン・ウィルソン)等々 同時並行的に読書対象が飛躍的拡充し始めていた。

音楽的には、当時 好きなミュージッシャンから ルーツ・ミュジックを辿り始め、浅草オペラ(浅草芸人)等 聴く事も拡充し始めた。

つまり、捻くれた子供から紅顔の美少年に脱皮・進化の過程に居たのだ。

 

スト・Q・冒険のキー・ワードがタイトルに含まれ、立ち読みをすると幻想怪奇譚、革命、脱出の要素があって、出会うべくして出会った本なのだ。

 

或る日 スミヤキストQが 閉ざされた空間に上陸する場面から 物語は始まる。

その閉ざされた空間は、反スミヤキズムと或る種の全体主義に或いは社会的諦念に覆われていた。

さて スミヤキズムとは、反スミヤキズムとは何か?

いつ スミヤキズムは炭焼き思想なのよと明かされるのだろうか?

Qは、阿Qの様に 公開処刑となるのだろうか?

そして 阿Q公開処刑を観に来た野次馬と同じ様に、こう嘆かれるのだろうか?

「銃殺刑って 斬首刑や絞首刑に比べあっけなくて、なんの風情もありゃしない 無粋なモンだな」と。

 

2022年10月16日日曜日

How many times to cross the borderline?

 

これまで 6回パスポートを更新してきた。

各パスポートの変遷と出入国スタンプ記録

    1976(5)

1976年と1977年に 臺灣に2度旅しただけだ。

    1989(5)

仕事で 馬来西亜主体で 臺灣とインドネシアがある

    1965(5)

同上+香港、中国

    2000(10年 増補)

馬来西亜に本格的に腰を据えそうなので10年パスポートにしたのだが、日本、シンガポール、インドネシア、臺灣、中国、香港、タイ、ヴェトナム、フィリピン、韓国を目まぐるしく行き来した。

そして、増補をしたが 増補頁(6頁残し)で使い切った。

    2009(10年 増補)

同上だが 出張回数が減り、旅行が増え カンボジア、ミャンマーに行く。

増補はしたが、ワークパミットの更新には有効期限日数が足りず 増補頁ほとんどを残し 更新。

    2019(10)

もう三年も経つのに、あれやこれやで出張無しで日本、タイ、ミャンマー、印度だけだ。

 

各国の出入国スタンプ上の国境(入管審査場所)

日本:成田、関空、中部、福岡、福岡(海路)、那覇、新千歳、羽田

馬来西亜:スバン、KLIA、檳城、パンダ―ベサ~(鉄路)、ツアス(陸路)

タイ:スワンナープ、ドンムアン、メ―サイ(陸路)、パンダ―ベサ~(鉄路)

シンガポール:チャンギ、ツアス(陸路)、ベドック(海路)

インドネシア:スカルノハッタ、バタム(海路)、スラバヤ

フィリッピン:アキノ、クラーク

臺灣:松山、桃園、高雄

中国:香港、北京、広州、福州、寧波、上海浦東、上海虹橋

カンボジア:シュムリアップ

ミャンマー:ヤンゴン、マンダレー、タチレク(陸路)

ヴェトナム:ホー・チ・ミン(新旧)

韓国:ソウル、釜山(海路)

イギリス:ヒースロー

インド:チェンナイ、コーチ、ガーディン

スタンプ上確認できる 越境ポイントなだけで、そのポイント・スタンプを数えるのはめんどくさくなって止めた。

その上、シングル/マルチエントリービザや馬来西亜のワーク・パーミットや滞在延長スタンプも数知れず パスポートの一頁ずつを占拠している。

スタンプは、重なってたり、曲がっていたり、逆さだったり、頁飛ばし、判別不能等極めてシュール芸術的に押されている。

 

で オレは これまでに何回 国境を越えてきたんだい?

左から2000年、2009年、2019年

かくもシュールなスタンプ 2頁に渡るシンガポール・スタンプ! 

なんと 増補最終頁にヴェトナム・スタンプ