1970年代初め 文庫新刊棚で この本を立ち読みし 購入した。
倉橋由美子の小説を初めて読んだ。
この本を読んだ動機は、幾つかある。
当時 ワタシは、コミュニスト、アナーキスト、ナチスト、テロリスト、ピアニスト、ギターリスト、教師スト、国鉄スト、ハンスト、サディスト、マゾヒスト等語尾にスト或いはズムが付くとカッチョイイのだと思考していた。
また、阿Q正傳を読んでいた事、幻想と怪奇(冒険奇譚含む)やシュールレアスティック&スラップスティックSF、思想の科学、明治・大正・昭和の詩人と思想家、アングラ演劇、新実存主義(コリン・ウィルソン)等々 同時並行的に読書対象が飛躍的拡充し始めていた。
音楽的には、当時 好きなミュージッシャンから ルーツ・ミュジックを辿り始め、浅草オペラ(浅草芸人)等 聴く事も拡充し始めた。
つまり、捻くれた子供から紅顔の美少年に脱皮・進化の過程に居たのだ。
スト・Q・冒険のキー・ワードがタイトルに含まれ、立ち読みをすると幻想怪奇譚、革命、脱出の要素があって、出会うべくして出会った本なのだ。
或る日 スミヤキストQが 閉ざされた空間に上陸する場面から 物語は始まる。
その閉ざされた空間は、反スミヤキズムと或る種の全体主義に或いは社会的諦念に覆われていた。
さて スミヤキズムとは、反スミヤキズムとは何か?
いつ スミヤキズムは炭焼き思想なのよと明かされるのだろうか?
Qは、阿Qの様に 公開処刑となるのだろうか?
そして 阿Q公開処刑を観に来た野次馬と同じ様に、こう嘆かれるのだろうか?
「銃殺刑って 斬首刑や絞首刑に比べあっけなくて、なんの風情もありゃしない 無粋なモンだな」と。
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