2014年9月23日火曜日

待てば海路の日和あり

ここ馬来西亞で イミグレとかの公共機関や
電話、インターネットの手続きには 忍耐を要する事が多かった。
この書類が無いから また来なさい
持って行くと この書類 要らないよとか。
電話やインターネットを活かしに何時に行くから 居てねって
待ってても 待ち人来たらず。
待ちくたびれて 飯を喰いに出ると
携帯に 何で居ないんだとクレーム・コール。

特に解約は 面倒だ。
P1WimaxUSBモデムの解約では、
本店に行って 2時間待ち
挙句の果ては ああでも無いこうでも無い。
午後一杯掛かって やっと解約できた。

家にブロードバンド(Unifi)を導入してから
御用が殆ど無くなった CelcomUSBモデム。
Unifiがダメな時のスーパー・サブにしようと 
使わないのに 毎月 支払っていた。
最後に使ったのは 今年の四月頃。
で 請求書も送られてこないので
時々 デポジットしてたが この数か月滞納していた。

で 先週 Celcom名義では無い会社から 督促状みたいのが届いた。
バハサ・マレーなので 内容が分からないが
315RMだけ分かったので 日曜日にデポジットしたが
解約の潮時だと思って 今日 仕事のお出掛けついでに 解約しに
待たなくても良さそうな KLIAの支店に行った。

「これ 解約したいんだけど」
ネ~チャンが キーボードをカチャカチャ。名前の確認後
「もう解約されてるよ」
「え~ そんな~」
どーも 滞納の上 使用して無いと
ターミネートされる様だ。
督促状と思っていたレターは テンポラリーにターミネートしたよ
2ヶ月後に本格的ターミネートするから 2ヶ月分支払いなさいの通告だったのだ。

どーせ 支払わなかったら 回線止められて使えないし
デポジットなんかせんで 滞納し続けてればよかった。

まっ おかげで 直帰できて マッタリできたから
良しとしよう。

22年居ても 馬来西亞 恐るべし!

で Unifiの回線速度が 導入時には 必要だったが
現在は 必要ないのかもしれない
いいね!を確認するのには 必要ないし。
いいね!も無いし。
ましてや 回線速度の必要な コールは無いのだ!
 

2014年9月19日金曜日

No Reply, No Life

そんな 事もあるね。

2014年9月17日水曜日

龍が舞う夜

有山じゅんじの唄が 頭ン中で鳴る
 
酒のことばかり考える
坂道を下りる時上る時
あの娘のことばかり考える
いつもの信号を渡る時
 
いつかあの娘が戻ってきたら
二度と酒の事なんか考えない
夜道をまた歩き始める
酒の事を考えながら
 
 
二本の木が立っている
話し相手が欲しいのは僕だけじゃない
発電機が灯した笑いには
おでんの臭いがしているよ
 
 
いつかあの娘が戻ってきたら
あの窓際の席に座ろうか
二人でワインを飲んでたら
きっと貸し切りみたいに見えるだろう
 

2014年9月16日火曜日

「ひそやかな花園」角田光代著

角田光代が小説家である事を知らなかった。

2週間前位に「キッドナップ・ツアー」を読んでから
次々と 角田ワールドに 耽溺している。
そして「ひそやかな花園」を読了。

夏の数日だけを一緒に過ごす 7つの家族。
ある年から 夏の集いは 終わり
子供達の記憶の片隅で 夏の思い出の残滓が固まる。
そして 7人の子供達が大人になり
夏の集まりが なんだったのか
なぜ 終わってしまったのかを 知ろうとして再会する。

子供達は、非配偶者間人工授精(AID)で生まれた。
彼らは 何か他の人と違う空白(残滓)を心に宿している。
その空白を埋め 新たな扉を開ける。

「キッドナップ・ツアー」、「予定日はジミー・ページ」、
「ツリーハウス」
何れも 父、夫、男が問われていると思う。
「ひそやかな花園」では 男側に不妊の要因がある事で
問われる父、夫、男の位置を明確にしている。
生んだ妻()、生まれた子供に対して
男は 苛まれ 家族から離脱していく。

受精から十月十日 へその緒で 繋がっていた
()と子供が共有する 原初的な愛憎には 
入って行けない何かがある。

子供達の一人 樹里が離脱した父と逢って想う
「自分達は川に突き刺さった二本の棒のようだ」
「母の静けさは満月に似ていて、父のそれは雪に似ている」

ならば 暖かくなったら 融けてしまおう。
 
 

2014年9月9日火曜日

北へ 東へ 音もを連れて

昨日は 北へ 往復8時間弱のドライブ。
音もは The Allman Brothers Band
Fillmore East 三点盛り!
 


フライング・ドッグのギターが吠え 飛び回る。

起きてよ ママ お話をしようよ
起きてよ ママ 愛してるって言って
私はあんたのママじゃないよって
あの娘は どっかに出て行ったけど
そんな あの娘が好きだよ

俺は知らなったけど 誰かが悪かっただけなんだ
だから 帰って来てよ 

日曜日の 買い物から帰って来ない お前
そんな 月曜日の朝には 砂嵐が俺にまとわりついて
お前を呼んでも お前には届かない

君は 俺の事 嫌いかも知れないけど
俺は 皆に あの娘を愛してると言った
皆が 言う お前もあの娘は若すぎると

何十分か毎に 別テイク、同じテイクが流れる。
もう 頭ン中は グルグル!グシャグシャ!

で 今日の東の音もは この方です。
 

2014年9月7日日曜日

また また 再開する 料理!

子供の頃 家には「栄養と料理」とか
友の会発行の中華料理本やらがあった。

父がどっかの国に出張に行って
こんなものを食べた こんなんもあったと言う。
乾物のフカヒレやらナマコやらを買ってくる父。
これらをキチンともどす方法は 昭和30年代で
キチンと書かれていたのは 友の会の本ぐらいかな。
偉いぞ 羽仁家!

食べた事も無いお料理を 調理するのは
想像力だけが頼りだ。

当時 ちょっと洒落た 中国料理を食べられるのは
「銀座アスター」ぐらいだった。
ふかひれスープは食べられても 
フカヒレの姿煮は 食べられない。
ナマコの餡かけなんて 無い!

で 当時小学生4年頃 俺は 野球チームに入っていた。
練習の後 昼食で
小学56年の奴等が 爬虫類の眼で俺に言う
「お前ん家では ライスカレーかもしれないが 
 これは カレーライスって言うんだ!」
「お前んとこみたいに カレーと御飯が別じゃないんだ」
「スプーンは コップに入って出てこないんだぜ!」
「お上品に喰ってんじゃねーよ 混ぜて喰えよ これが本場のカレーだ!」


は~い は~い!
俺は 母親の趣味で 白シャツ 吊り半ズボン() 編み上げ革靴で
小学校に通っていたし ピアノも習ってたし、
毎週日曜日は 教会に行って 都内の進学教室に通ってたよ。 
でもね 家だって スパイスから カレーは作って無い。

高野のカレーや中村屋のカレーは 食べに行ったし。
第一ホテルのバイキングで スリランカやら タイやら のカレーは食ったけど
町内会の蕎麦屋のカレーライス(グリーンピースのり)だって喰ってたんだよ。

その頃 俺が始めて 料理したホウレン草のベーコンバター炒めだけど
ちょこまか 作ったのは カレーだ。

幼戯で くだらい事を俺に言い続けた方々
50年以上経っても 俺はカレーを作り続けてるよ!
あんたがたに 食べていただきたい為にさ!
それは ライスカレーでも
カレーライスでもない
ただのカレーだよ!

2014年8月29日金曜日

Let’s Summon!或は 変遷する寄付の体系

この国の 交通違反の罰金は いろいろだった。
以前は、
異議申しだてをしないで支払えば150RM
異議申しだてをして 立証されると300RM
さらに いろいろの手立てを取れば ディスカウントしてくれた。

実質的に免許の減点制度が機能していないので
罰金を払わない輩が多く、
年末半額プロモーションがうたれた年が 何年かあった。

この数年は 厳しくなって 一律300RMになり、
一時は 半年以上 支払遅延は600RMだった事もある。

現社内スピードキング=罰金王の舎弟によると
今回貰った違反の罰金支払いは 
リボルディング払いみたいになっていて
一ヶ月以内の支払い 150RM
一ヶ月を超え一ヶ月半までの支払い 200RM
一ヶ月半を超えた支払 300RM と
支払体系が 細かくなっているそうだ。

払わない奴が 多いから 緩和したようだ。
制限速度を順守し、信号を守っている
善良な市民の俺には 関係ない話だ。

と思っていたら
寄付の依頼がやってきた。
誰が運転してたんだろうか?
おかしいな。

怒らないでね
遅い車(110km/h以下)を追い越すのには 
ちょっとアクセルを踏まなきゃならないから