2015年3月14日土曜日

バンコク徘徊

前日は 仕事の都合で6時出だったので
朝の徘徊が出来なかった。
昼便移動の朝 徘徊を試みる。
ホテルの前のSoiから大通りに出た処で発見!
肉骨茶同好会会長の仕事をしようとするが
開店してません。
 
タイでよく見かける路上に突き出た水道メーター。
カラフルで好きです。
 
マレーシアでもある木の花
 
おねーちゃんが僕の麺を作ってくれてる。
 
この焼売は タレが甘すぎて 僕的には失敗。
 
バーミーに魚のつみれやら血の煮凝りが入った醤油味の麺。
ドカドカ チリを入れて食す。美味しい!
 
佇まいがよろしいね、
 
部屋のバルコニーから見える一軒にもれなくある 祠。
 
バルコニーの下は ホテルの調理場だった。
 
ファミリーマートでゲット!
どうしてマレーシアのコンビニは プアーなんだろうか?と
考えさせられる 東南アジア諸国のコンビニ。
 

2015年3月13日金曜日

悶え苦しむ機内上映

クアラルンプール・バンコクの飛行時間は 2時間だ。
映画が観れるのは 1時間半位。
上映時間136分の「ミリオンダラー・ベービー」を選択。
当然ですが 最後まで観る事が出来ずに バンコク到着。
帰りの飛行機で続きを観よっと。
 
往きはタイ航空で 帰りはマレーシア航空だった。
最近は共同運航便が多いので 
往復で オペレーションが違う航空会社になったりする。
機内上映プログラムが違い
「ミリオンダラー・ベービー」は上映していない。
ではと 確実に最後まで 観れそうな上映時間97分の
Elsa & Fred」を選択した。
英語音声だけ テキスト無しだったが細かいセリフの内容は別にして
シャーリー・マクレーンとクリストファー・プラマーの
老獪な演技力のおかげで 充分内容が把握でき愉しめる映画だった。
 
おお 最後まで観れるぞと安心したのが間違いだった。
終了20分前 ランディング30分前にイヤーホンを回収しに来た。
トレヴィに行く辺りから 音声無しで観る事に
トレヴィの泉でモノクロに変わって 無声映画を観てる気分。
でも 観終える事は 時間的に十分可能な筈だった。
 
が KLIA案内やらが画面に取って代わられ
ランディングした時は エンドロールチョイ前
ゲートに着くまでのロスタイムで やっとエンドロール!
 
気になっていた 劇中のアコギの奏者が誰かは確認できず。
エンドロールの挿入歌だったと言うDr.Johnも聴けなかった。
 
何てこと無い ありがちな映画だったけど
80歳を過ぎて シワシワ ボテボテの体になっても
愛する人と抱き合って ベッドで眠りたいと思わせてくれた映画だ。
 
二日目のカレーを少しだけ暖めて
二日目の冷や飯に掛けて いただく。
心なしか酸っぱいのは 入れた梅干しのせいにしておこう!
 

2015年3月7日土曜日

定点観測 in 吉隆坡

日本潜入から 吉隆坡に戻って
洗濯、徘徊、お掃除を済ませ 珈琲を呑んでる。
月曜日からは 曼谷出張さ。
 
 
 

2015年2月22日日曜日

誰にでも 誰かと話したい時がある

昨日 御昼寝から 起きて PCを見ると
IEがクラッシュしていた。
何度 再起動しても駄目なので
試しに スタート画面のIEアプリから立ち上げると
ネットに入れたので 気にしないで オニオンスープの準備を始めた。
って 玉葱刻んだだけだけどね。
 
電話が リンリン!
リスペクトしている人からのコールだ。
この人は 89年から15年程 
馬来西亞のお仕事ジェットコースターに乗せてくれ
唯一 地獄まで付いて行っても良いと思った人だ。
この人の場合 電話を掛けても出ないので
まったく一方通行の連絡だ。
今は MM2Hで 単身馬来西亞で暮らしている 76歳。
私は 20年以上 この人のITマンをしている。
 
案の定
「あのさ インターネットが繋がらないんだけど 
TMがおかしいのかな?」
「それ IEがおかしいんですよ、TMは生きてますよ」
「どーすりゃ いいんだい」
「え~と カーソルを右下の画面端に 持ってくと
ピロロンとタブが出てきますよね」
「ウーン ウーン おっ なんか出たぞ」
「スタートって窓マーク出てますよね?」
「うーんうーん これか?」
「それ ポチして下さい」
「もう押しちゃったよ」
「IEのアイコンを押してください」
「もう押しちゃったよ 中日スポーツが出た なんでかな?」
「私が ホームに設定したからです。」
「あのね 中日スポーツは 今読みたくないの お気に入りがないんだ」
「右下のスパナマークの横にお気に入りアイコンありませんか?」
「う~ん う~ん ピンなんとかってあるけど 押しても 何にも起きないよ」
格闘2分 超イラチの人なので 面倒くさくなったのか
「ほっときゃ その内なんとかなるか!」
「そうですね 多分 明日辺りには 繋がりますよ」
 
普段なら 手間取らせちゃイカンから 切るね 
またなんかあったら 訊くからって ガチャリなのだが
珍しく なんか話し始めた。
「最近さ~ カントリーを聴いてるんだよ フォークじゃなくて
カントリー」
とカントリーの話をし続ける。
「最近さ~ 目が疲れちゃうんで あんなに本読んでたのに
本読まなくなっちゃったんだ」
と 本を読まない事を話し続ける。
30分後
「おおっ もうこんな時間だ 明日はゴルフだから寝るよ 
悪かったね じゃまたね」
ガチャリ。
 
そっか この三日間 CNYで恐らく 
華人の御友達とゴルフ出来なかったんだろう。
私と一緒で 誰ともお話してなかったのかもね。
 
オニオンスープの作成に戻りながら 気が付いた。
あのね もう寝るって まだ午後6時なんですが K合さん!
 
マグロとホタテのカルパッチョ
 
オニオンスープ
 
ブレブレ チョコモンブラン
 
 
 

2015年2月20日金曜日

一人ぼっち部屋にいると~♪

CNY二日目
窓から見下ろす道路には
人っ子一人 車もバイクも通っていません。
 
 
毎年 思うことだけど
人口30%の華人の お正月なのに
な~んで こんなに静かになってしまうのか この国は。
 
20年前と違って CNYでも ショッピングモールが開いている。
空いているので 普段寄り付きもしない 
フロアーに行ってみたりするが
 
人波の無い中にいても 早く帰りたいと思い~
冷房の無い部屋に帰れば 街が恋しくなる~♪
 
街が恋しくなっても 人波の無いCNY
家にいても独り 街に出ても独り
そんな CNY でも お洗濯はかかしません。
 
 
 

2015年2月19日木曜日

新年快楽 恭喜發財!

わ~た~しの 国では
全ての民族と 全ての宗教に
慈悲深い方の 御恵みで 
Chinese New Yearで今日から 4連休です。
 
華人の方々は 昨日あたりから 一週間か10日程 お休み。
昨夜 CNY大晦日なので 花火が上り
違法な爆竹が 炸裂していました。
 
吉隆坡の街は 静か 通り静か
 
そんな日も 洗濯は欠かせません。
 
 

2015年2月15日日曜日

ヴィクターの犬

さて 「はっぴいえんどマスターピース」を入手してから
早や 一ヶ月がたった。
 
ハイレゾ音源を
今日 低音がブースできる H/KのNOVAに繋いで聞いてみた。
 
執務室のテーブル上では すんばらしい 音だ!
左右のスピーカーから 音がクッキリ ベースが テーブルを這ってくる。
「ヴィクターの犬」状態!
 
その昔 親が 自宅を建て 蕨から大宮に引っ越した。
お家のある 住宅街周辺には 畑が拡がっていた。
蕨の頃は 駅まで歩いて10分 都内までは 30分位。
都内に行くには 高崎線の宮原駅まで 自転車で15分以上掛け
そこから 池袋には 小一時間掛かった。
絶望的な 遠さ ド田舎に住んだもんだ と嘆いた。
City Boyがカンポンボーイになっちゃった。
 
独立した自分の部屋(6畳)を貰った。
それは2階で 隣の姉の部屋(10畳)より 小さいが 横の納戸(1畳)よりは広い部屋。
が 俺の部屋には なぜか本棚があり
そこには なんたらかんたら百科事典全集 全百巻やら
海外文学全集 全五十巻、日本文学全集 全二百巻
俺の本をどこに置けばいいのか状態!
資金が足りなかったのか 工期が間に合わなかったのか
ベランダが無いのに 床上からの窓があった。
窓を開けると 奈落。
なのに 雨戸もあった。
懐から 雨戸を引き出す作業は 安全帯無しにはできない作業さ。
 
そんな状況だが 
同じ部屋に こうるさい姉がいない!
わざわざ 居間にあるステレオで 両親や姉から ああだこうだ言われて
LPを聴く状況から解放された。
で 数千円のポータブル・プレーヤー(スピーカー2個付き)を買った。
 
スピーカーを最適に配置しようにも
ベッドと本棚以外のスペースは限られている。
何故か 新宅に不要になったらしい ちっちゃなソファもあったので
執務机しかないのだ!
 
そして 執務机に置いた ポータブル・プレーヤーのターンテーブルに
初めて乗せたのは
同潤会アパートのURC東京事務所で 入手した
はっぴいえんど「風街ろまん」だ。
貧しいアンプとスピーカー
フルヴォリュームにすると
近隣の家族から 苦情がくるので ひっそりと掛ける。
俺は耳をスピーカーに近づけて聴く
音が右から 左に流れると
耳も 右から 左に動かす。
 
イヤフォン・ジャックのあるプレーヤーに買い替えるまでは
俺は「ヴィクターの犬」状態になりながら
いろんなLPを聴いた。
 
唯一 「ヴィクターの犬」から解放されるのは
家族が外出している 数時間なのだが
そんな数時間は 愛する人と時間と過ごすので
スピーカーから 流れる音よりも
愛する人の 言葉と仕草に「ヴィクターの犬」
状態なのです。