2017年8月27日日曜日

亜細亜の子供旅団 朝の徘徊

どの国のどの街でも
夜の狂騒と熱気は つい呑みすぎてしまう。

その街が目覚め始めながら
夜を 少しだけ 引き摺っている
朝の徘徊が好きだ。
まだ暑くならず 人がユックリと今日を動き始める 路地を歩く。


亜細亜の子供旅団 徘徊分団は進む 路地を一筆書きで。

 
ランダム通り周辺 路上にはみ出していた 屋台が無くなっていた。
厳しい行軍 我々は 路上の屋台で お粥を食べる指令を受けていた。

ビルにヤモリ化したお惣菜屋は 卓も椅子も出していない。


分団長は 言う 路上屋台お粥屋を探せと
分団は 進む 腰まで汗まみれ。

が 路上はみだし屋台は無い。

徘徊一時間 拠点近くに戻る。

路上ではないが お粥があった!





2017年8月26日土曜日

亜細亜の子供旅団 そしてバンコクの夜は更けて

吉隆坡からなら 一泊二日 滞在24時間以内で行けるので
ブラリと YUZO LIVE in バンコクに行っていたら
いつの間にか 日本からの「音も達ツアー」に 
コバンザメ化していた。

バンコクライブ後のコバンザメ旅は これまで
サメ島、マラッカ、ペナン、シェムリアップ
今回はヤンゴンだそうな。

夕方 バンコクのホテルで 皆と合流。
あらあら バリのリエちゃんも居た。
明日のライブ後 夜行便に乗って
ムンバイ・トランジットでユーロ入りだそうな。

ランナム通りをブラブラと夕食に 亜細亜子供旅団の行軍は5分だけ。
子供旅団とは言っても 老齢者旅団なので 
これぐらいでちょうど良い、車の隙を縫って 道路を渡る事も無い。

タイ・ローカルの店で 夜の宴。


 

店に入る前は 少し明るかった外
帰りは 微妙な明るさの闇が 拡がっていた。





そして 老齢者旅団は バンコクの緩い熱で
ほんの少しづつ 亜細亜の子供に還り始める。










2017年8月14日月曜日

フィールド・アスレチックスで陽も暮れて

ルンルンと 6ヵ月振りに フィールド・アスレチックスに行ってきた。

まず サイト・オフィスのドアを開けるのに手間取る。
南京錠は 外れていたが ドアノブの鍵穴に 鍵が挿入できない。
遠中近境無し眼鏡を外し 100回位挿入を試みる。
いつものことだが このドアノブは キット壊れるだろう。

袋に入った ダブルフック フルハーネスが
約束通りに机の上にあった。
地べたを歩いて フィールドまでは 15分は掛かると聞いていたので
ハーネスは装着せず 背負って行くことにした。

キャンティーンを横眼に眺めながら抜けると 
午前中の雨で 道は泥沼 特に 安全歩行通路が酷い。
で ズボンの裾を 靴下に入れ 簡易脚絆とし 泥濘を進んだ。

靴まで泥まみれ バカは進めと!
進めと言うバカは俺だ。
で 俺の足元ディアドラ・モッキングジェイは優秀だ。
靴に泥水が浸入する事もなく 行軍していった。
背負った袋 1.5㎏のダブルフック ハーネスが 重く 紐が肩に食い込む。

汗まみれ、意識朦朧の中で 蜃気楼のように見えてきたのは
私のフィールド。

そして ダブルフック フルハーネスを着用する。
半年ぶりだが この帯を肩に この帯は 股間両脇に。
装着できた!

が フックする時に 困った。
あれ なんで バックルの雌が両側に 牡はどこ?
俺は 近くに居た 印度人スタッフに訊く
「このタイプ 初めてだけど 変だよ?」
「ボス 上下が逆っす イエッサー!」

で やはり 装着に手間取らない 
おもてなしフルハーネスの購入を検討している。




















2017年8月13日日曜日

亜細亜の運び屋の苦悩

二週間程前 日本から来馬する方に運び屋になって頂いた。

で その方から バンコクに来る時に これを運んでってと頼まれた。
運び屋から 運び屋を頼まれたって事だ。

週末からのバンコク~ヤンゴン旅の予習をし
頼まれ物を忘れないように キャリヤー・バックの横に置く事にした。

おっ 重い!

他人から 何かを運んでと報酬付きで頼まれた場合
大体 アレだ。
そして 入国先で捕まり 牢屋にブチ込まれ
一生を牢屋で過ごす事になるのが 運び屋の運命だ。
此処マレーシアじゃ 下手すりゃ
鞭打ち百叩きの上 絞首刑だ!

僕が運んでもらったのは ダイナブックだ。
とても 明確なブツだ 筐体の中にアレが仕込んでなきゃね。

還暦にもなって 残り少ない人生を
牢屋で暮らすのは 御免だ。

とりあえず中身を確認しようとすると
ロックされていて 開けられない。
ブツは角形の集合体である事は 撫ぜてみて分かった。
つまり レンガ状に固められたアレだ。
この大きさからすると 末端価格数千万円か!

呆然と見つめる事 2時間45分54秒。

まっ 残りの人生 牢屋暮らしも悪くないさ
食事付きで 運が良けりゃ 病室で看護もしてくれるし
R中とニコニコ中も更生してもらえるってもんだ。

で そうなった時の為に
「命の水」を呑み 大気汚染をしている 今日この頃の僕なのさ。












2017年8月8日火曜日

もうやめよう こんなことは

夜行便で 朝に目的地に着き
打ち合わせに行って 一泊
次の日の朝便で戻る。
ひどい時は 夜行便で行き
打ち合わせして その日の夜便で戻る。

夜行便は 眠れないんだ。
例え 横になれても 眠れない。

今回は インチョンに朝着いて
迎えが来ていないんで
長ベンチで 寝そべるほど 疲れていた。

午前、午後と 話をしながら 寝そうになった。
工場に立っていても 床が上下に揺れている感覚があった。

で 眠い 眠いけど よく眠れない こんな時には

もう やめよう こんな出張をするのは。

2017年8月5日土曜日

吉隆坡 を歩く

何年か前 車でしか移動しない俺に
「銀幕の大スターかいな?」と言った人がいた。
俺には 理解不能な関西ツッコミだった。

吉隆坡 を彷徨い 歩き倒したのは 25年前だのクラッカーだ。
彷徨った街 路地は ブキビンタンから バスターミナルを抜け
中華街と金融機関 セントラル・マーケット
メルディカ広場、オールド・コート、印度人街、旧KL駅周辺だ。
様々な人種が行き交う 混色の街。

久し振りに そんな街を歩く。














 
共棲と不可侵の街。

2017年8月4日金曜日

How I can get Myamer Visa in Malaysia

もう幾つ寝ると ミャンマーに イカネバの私。
ミャンマーに入国するにはヴィザを取得せねばなりませぬ。

普通に考えると 大使館で申請、取得です。
ここマレーシアのミャンマー大使館では 
ヴィザの発行をしてないそうな。
因みに在馬ミャンマー大使館とは こんな所だ。


下々の者達が何やら お願いに行くミャンマー大使館

お隣様は 大使公邸
 
さて どこでミャンマーのヴィザを取得できるのか?
完全外注先があり その場所は メルディカ広場近く
チャイナ・タウン、KL最古のS/Cセントラル・マーケットの近く
雑多な街なみに ヒッソリと存在している。
朝8時半から営業とか マレーシアなので9時過ぎに行ってみた。
 
オールド・コート

メルディカ広場では 8月31日の独立記念日の準備が着々と進んでいた
 
メルディカ広場の地下駐車場に車を置いて トロトロ歩いて5分。
こんな所にその秘密倶楽部が!
ガ~ン ガ~ン ガ~ン なんちゅうこっちゃ 肉骨茶 
改装中で閉まってるがな。
 
 



在馬歴四半世紀の私は めげずに ドアを押すと
開きました パチパチ!
共棲しているホテルが改装中なのだった。
ホテルのレセプションを眺めながら 奥にある秘密階段を上がる。
踊り場では ジャンキーが何やら吸うてる。
 
やっと辿り着いた ミャンマー・ヴィザ発行外注秘密倶楽部。

ヴィザ用写真サービス 4枚で20RM
撮ってもらったが ワタシの目線はソッポを向いてるが 
OKなのだった。

さて ワタシが入った時には だ~れも居なかったのに整理券は1265!

 
審査官のミャンマー娘と 楽しく お話しながら 受理を待つ。
 
ここに来た時から日本人だと思った だって日本人顔だから とか
日本メーカー製品は 高いけど長持ち
それに比べて 某中国製は 一日で壊れちゃうし
フェイクばかりだしね とか
パスポートの入出国スタンプと ワーク・ヴィザ 多いね
何年 マレーシアに居るの?
25年だよ。
ワタシ27歳だよ 凄いね!
そんなこんなで 無事申請受理 お金を払い 
午後4時半の受領まで 自宅待機 お昼寝。
 
で 再び秘密倶楽部へ 受付で整理券を受け取る
待ってる人は 誰も居ない。
すでに 整理券は2138だった ビツクリ!
 

が カウンター No.2には 朝のミャンマー娘が
ワタシのパスポートを手に持って フリフリしてた。